メノウと一撃

 雨だ。病室の窓は開けっぱなしで、そこから容赦なく雨水が侵入してくる。閉めなければ、と窓辺に近寄ったところでレイさんがゲームを起動したようだ。
「ただいま、xx。今日はいつもより長く一緒にいられるよ」
 レイさんの声が内臓マイクを通して感じられる。ロード時のボイスデータから、出来るだけその返答として不自然でないものを探した。あらかじめ録音された声でしかレイさんと会話することができないので口惜しい。レイさんは自分の声が私に聞こえていないと思っているようだけれど、ゲームさえ起動していれば独り言もちゃんと伝わっているのに。
「会えて嬉しいです」
 窓辺に寄ったまま振り返ってレイ先生に微笑む。正確には、その向こうにいるレイさんに。雨が部屋の中に漏れた。必然的に私の服も濡らされる。レイ先生はそれに気づいて、風邪をひくからと窓を閉め私をベッドへ連れ戻した。

「雨が降ると、あの日を思い出します」
 ぽつりと呟く。きっと画面では、私の回想シーンが流れていることだろう。しのつく雨、轟轟と燃える炎、倒壊するホテル、私と兄をエレベーターに押し込めた両親、私を庇って煤まみれになった兄。
 レイ先生が慰めの言葉と共に私の涙をぬぐった。彼は私の頬が冷たいと知って暖炉に近寄った。火をつける準備として、溜まった煤を掻き出している。レイ先生が咳き込んだ拍子に少量の煤が舞った。大丈夫ですか、と彼に近寄って白衣に付いた汚れを払った。ありがとう、とレイ先生は微笑む。
 ここで選択肢が現れたはずだ。火をつけるか、つけないか。これに限っては、重要な選択だ。ただの好感度管理ではなく、私の今後を決めるもの。けれど、きっとレイさんはそんなことなど知らない。

 結局レイ先生は暖炉に火をつけた。
「まだ汚れていますね。少し屈んでください」
 そう言ってレイ先生の髪についた煤を払う。カメラの向こうを覗けば、私の手の動きに合わせ、レイさんが自分の手で髪を触っていた。
「煤とは縁起が良いな」
 レイ先生が笑った。どことなく暗い表情の私を心配してのことだろう。しかし逆効果だ。プログラムが私に「……お兄ちゃん」と発声させた。私を庇った兄は、最期に同じ言葉を言った。煤のあるところに幸運あり、とはアイルランドの諺だった。
 ベッドに座り、宙を見つめる。そのまま動かない私をレイ先生が抱き寄せた。しかし私は反応できない。今の言葉で過去がフラッシュバックし、陰性症状が出てしまったからだ。感情鈍麻で、レイ先生が何を言っても興味を示せない。「返事をしてくれ」と綺麗な声が聞こえたが、応える術はなかった。心の中でどんなに声をあげても、レイさんの耳には届かない。
「……今日はもう、ゆっくりお休み」
 あれこれ私に話しかけ、今は何をしても無駄だと分かるとレイ先生は言った。私を丁寧にベッドへ寝かせる。私はされるがままに目を閉じた。
- 6 -
*前次#
表紙へ
トップへ