花海とねむる

 仕事で汚れた身体を清めて、眠る前に少しだけでも顔が見たいとゲームを起動させた。ヘッドセットを装着して目を開ければ、いつもなら医局か病室にいるはずだった。しかし今日は何故か廊下がスタート地点で「何だ、特殊イベントか」と当たりを見回した。看護師たちが集まって噂話をしている。
「最近は病状も安定していたのにねぇ」
「でも、治りかけが一番危ないってよく言うじゃない」
「そうだけど……何かきっかけでもあったのかしら」
「さあね。あんな遺書まで遺されちゃ、担当の先生もきついでしょうね」
 遺書? 誰か自殺したのだろうか。気になって彼女たちに近づく。何かあったのですか、と問おうとしたところで彼女たちは顔色を変えた。「あっ」と視線を彷徨わせて、蜘蛛の子を散らしたようにはけていく。首を傾げていると背後から声がした。
「安室先生、ちょっと話が」
 振り返るように視界を回すと厳しい顔をした上司がいた。


 xxが死んだ。それが上司からの話だった。深夜にこっそりと病室を抜け出し、裏庭で栽培されていた薬草を採って飲んだらしい。毒にも薬にもなる植物は厳重に管理しておいてくれ。今更言ったところで遅いだろうが。
「辛いだろうが、この仕事をしていくなら今回のようなことも――」
 上司の言葉があまり頭に入ってこない。呆然自失、まさにそれだ。
 一体どうして、と画面から離れてソファに身を投げうった。どこだ。どこで選択肢を間違った。好感度は常に上々だった。なあxx、教えてくれよ。俺の何がいけなかった。
 つまらなそうにしていたあなたに推理小説を勧めたこと? 好きな映画の話をしたこと? 夜景を見に連れて行ったこと? いつか名所で花見をする約束をしたこと? 一緒に歌ったこと? 2人だけの秘密で酒盛りをしたこと?
 考えれば考えるほど、今までの思い出が鮮明に蘇ってくる。耐え切れずに嗚咽した。ぐっと眉を寄せ、濁る視界を閉ざす。目じりが塩辛く湿った。
 ゲームを中断するのを忘れていたらしい。とっくに上司の慰めと叱責は終わっていて、画面にはxxからの手紙が映し出されていた。
 今までお世話になったことへの感謝や、どれほど俺のことが好きだったか、楽しかった出来事、そして自ら命を絶つことへの謝罪。遺書は最後に「いつまでも大好きです、レイ先生」と締めくくられていた。それならばどうして、俺の手の届かない所へいってしまったのか。xx、とかすれた声を絞り出す。先ほど拭った塩辛さが、口の端まで伝った。
 動揺して上手く回らない頭でコントローラを操作していれば、ゲームオーバーの表示からいつのまにかタイトル画面に戻っていた。まだxxを失いたくなくて、体験した過去イベントや集めたボイスなどを再生していく。噛みしめるように眺めて、ああそうかと己の選択を心底後悔した。
 雨の日に炎、加えて煤だなんて。伏線に気が付かなかった自分を殴ってやりたい。xxの肌が冷たいという情報が渡されたからといって、どうして暖炉に火をつけてしまったのか。仰向けに倒れこんで深呼吸をする。さらばもう一度、と気合を入れなおして“はじめから”を押した。おそらく分岐点であるところのセーブデータは残っているが、またゼロからxxとの関係を始めていきたかった。未回収の部分も埋めたい、と思ってしまうのは仕方がないだろう。
「待っていて、xx。すぐにまた俺に夢中にさせるから」
 画面の向こうにそっと微笑んだ。
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