オパール

 こちらへ来たばかりで、米花町の地理には未だ明るくない。予定の無い休日というのは至極暇で、時間もたっぷりとあることだし散策でもするかとホテルを出た。
 通学では決して通ることのないだろう細い路地なんかを覗き込み、意気揚々と進む。古くて目立たない看板やチラシの溜まったポストを後目に行けば、また知らない道へ出た。それを繰り返す。時には意外な発見もあって、これは近道になるなと一人でニヤリと笑ったりもした。
 ひと気のない場所ばかりというのも味気ない。恋しくなって、商店街を抜けていく。ざわざわと混ざる人の話し声の中、総菜屋が目に留まる。コロッケやハムカツなんかも売っていて、友達と買い食いできたならと考える。放課後、クラスメイト、寄り道の三コンボは憧れる。蘭くんたちならば頼まなくても付き合ってくれそうだ。楽しみだな、と未来の機会に思いを馳せた。
 商店街にあるのは食料品店だけではない。可愛らしい雑貨屋のディスプレイに、新装開店という文字が踊っている。自分には縁のなさそうなデザインのものばかりだ。ちらりと外から眺めるだけで通り過ぎようとする。しかし、ふと、足が止まった。キラキラとした商品たちが眩しい。店の少し奥に、天然石を使ったアクセサリーが陳列しているのが見えた。
 ああ、あれなんか、先輩に似合いそうだな。
 細いチェーンに桃色の石が絡まるブレスレットをみつけて、そう思った。クスリと笑みが漏れる。ディスプレイのガラスには、頬を染めた自分が反射していた。それに気がついて、途端に居心地が悪くなる。
 名前も知らない先輩がどうしてこうも気になるのか。未だ二度しか話したこともなく、それも一度目は遠い過去の話だ。あの時の光景だって、どうしてこんなにも心に残っているのか。甘ったるくてもやもやとした綿菓子を胸に詰め込まれているような感覚だ。気もそぞろに商店街を抜けた。

 ふわふわと内に残る違和感をぎゅっと押し込めたくて、風を切るようにして歩いた。いつもより少しだけ大きい歩幅で気を紛らわせる。
 いくらか落ち着いてきた頃、遠目にさっき想像した人影を見つけた。先輩だ。のぼれば住宅街へ続く階段に座り込んで、俯いている。何事か駆け寄っていけば、先輩が顔を上げた。
「あ、」
 途方に暮れたように下がった眉と、こぼれんばかりにチカチカする瞳がこちらを覗く。ずっと見ているとクラクラしそうだ。目を合わせられなくなって、咄嗟に下を向いた。先輩の足が視界に入る。くるぶしまであるワンピースの裾から覗く細い足首が、赤く腫れあがっている。小さな足を包むハイヒールは、片方だけいやに汚れてしまっていた。
「足をくじいた――ん、ですか?」
 無理に丁寧語を使って問いかける。普段あまり使わない口調というのは、慣れなくて難しい。すると先輩は含羞を孕んだ顔で肯定したあと「ですますは、別にいいよ」と目を細めた。
「廊下で会った子、だよね」
 確認するように先輩が首をちょっとだけ傾ける。さらりと黒髪が肩から零れた。そうだと頷いてからしゃがみ込む。
「あの時はごめん。それと、ありがと。ボクは世良真純」
 そうして自己紹介をすれば、先輩はnnxxと名乗った。xx先輩、xx先輩。何度か心の中で呟く。しっかりとその名前を仕舞いこんで、しゃがんだままxx先輩に背を向けた。
「xx先輩、家はこの近く?」
「えぇ、うん。そうだけれど」
 困惑しているのが分かる。両手を後ろに広げて「乗って」と声をかけると、xx先輩は戸惑いの言葉をもらした。
「その足じゃ、歩けないだろ。送っていくからさ」
 ね、と肩越しに振り返る。でも、とxx先輩は尚も渋る。遠慮をしているのか、他人の背に乗るのは抵抗があるのか。後者の場合は無理強いをするつもりはないが、それならば救急車でも呼ぶべきだろうか。バイクが近くに無いことが少しだけ悔やまれた。
「この間のお礼とお詫びとでも思ってよ。それとも、ボクの背に乗るのはイヤ?」
 そう言って片方の眉を上げ、じっと見つめる。xx先輩は「う」と声を詰まらせると、おずおずといった様子でボクの首に手をまわした。
「おじゃまします」
 その言葉と一緒に、特有の柔らかさが背中に押し付けられる。幽かに、彼女の匂いが鼻腔をくすぐった。想像していたよりも、xx先輩の肌は冷たかった。それなのに耳の裏にかかる吐息は熱くて、どきまぎしてしまう。
 xx先輩を落とさないようにきゅっと足を抱えて立ち上がる。xx先輩に道を聞きながら歩き出した。あの時と逆だな。じんわりと光の滲む記憶を思い返して、口元が緩んだ。
 xx先輩が口を開くたび、鼓膜が震えて甘く痺れる。何度も反応しそうになるのをぐっと我慢して、何でもない会話をした。好きな食べ物や趣味の話、お互いの事をぽつりぽつりと打ち明けるくらいしか話題はない。xx先輩のことが知れて、それはそれでいいけれど。あれ、どうしてボクは、xx先輩のことがもっと知りたいだなんて思うのだろう。
 十分もしないで、彼女の家の前まで辿り着いた。立派な一軒家だ。xx先輩はボクにお礼を言うと玄関を開ける。帰宅を知らせる彼女の声に、奥から母親が現れた。母親は顔を綻ばせてボクに頭を下げた後「どうぞ上がっていって」と誘ったけれど、ボクは首を振った。
 彼女はこれから病院に行くべきなのだ。本当はそこまで送り届けたかったけれど、母親と行った方が良いだろう。ヒラヒラと片手を振って、xx先輩の家を出た。

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