アパタイト

 どうしよう。
 xx先輩の部屋で、正座をしながらゴクリと喉を鳴らす。冷や汗が垂れてきそうだ。緊張でろくにいう事を利かない首を無理矢理動かして室内を見渡した。xx先輩のことだからてっきり女の子らしいピンクと白の綿菓子のような空間が広がっているのかと思っていたのだが、案外シンプルな内装だ。ただ甘く痺れる香りは想像通りで、一度意識してしまうと中々落ち着かない。
 ふるふると頭を振る。少しは気が紛れるかと思ったのだが、今度はその拍子にベッドが視界に入った。
「こっちの気も知らないで」
 ため息交じりに恨み言を吐いても、今ここにはボクしかいない。この部屋の主であるxx先輩は「ちょっと待っててね」と残酷な台詞を残してお風呂の準備をしに行ってしまっている。そう、お風呂の準備を。

 xx先輩に会う口実として、勉強を教えて欲しいと頼んだのが先週だった。彼女は快くボクの願いを聞き届け、それならばと家に招待までしてくれたのだ。僥倖に浮かれてここへ来たのが今日の昼過ぎ。それから数時間、休憩をはさみながらxx先輩とテスト勉強をしていた。気が付けばもうすっかり日は暮れた後だ。
 xx先輩の母親が、せっかくなら家で夕飯をと提案してくれたのでお言葉に甘えたまでは良かった。食事も終わり、そろそろお暇しなければと言いだそうとしたときだ。
「今日はもう遅いから、泊まっていったら?」
 xx先輩から強力なパンチが繰り出された。
「こんな時間に女の子一人で帰すのは心配だし、明日もお休みでしょ、ね?」
 そんな軽い調子で言われても困る。彼女の背後ではその母親も賛同するように頷いている。え、と固まったボクを見てxx先輩はしゅんと視線と落とした。そしていくらか躊躇いがちにボクを下から覗き込む。
「ごめんね、真純ちゃんにも都合があるよね。無理にとは――」
「いや、大丈夫。ない。都合なんてない。ただ、ちょっと驚いただけだから!」
 ひしと彼女の両手を包んで訴えた。ボクはxx先輩に弱いんだ。そんな顔されたら絶対に断れないじゃないか。好きな子の家になんて、泊まりたいに決まってるだろ。

 そんな経緯で、ボクは今ここにいるわけだ。廊下から足音が聞こえる。彼女だろう。ガチャリとすぐさま部屋の扉が開いた。xx先輩は正座したボクを見て可笑しそうに噴き出す。ボクはそれにささやかな口答えをして、二人で笑った。
「お風呂、案内するね」
 xx先輩はクローゼットからナイトウェアを取り出すと、ボクを振り返った。促されるがままついていく。部屋を出て廊下を経由し、脱衣所まで。
「これね、私のだけど、フリーサイズだから」
 思いだしたようにxx先輩が言った。手に持っていたナイトウェアをボクの方へ差し出している。受け取ると、柔らかい手触りだ。お礼を言って広げれば、ワンピース型だ。ご丁寧にレースのショートパンツまである。普段着ることのないそれらに恥ずかしくなって抗議の声をあげようとすれば、すでにxx先輩が脱衣所の扉を閉めた後だった。
 ええいままよと半ば諦めて服を脱ぐ。しゃりりと手首のアクセサリーが音をたてて無性に嬉しくなった。
 ちゃっかり湯煎まで浸かって、芯まであったまったところでシャワーを浴びて風呂場を出た。体を拭いて下着を身に着ける。
 問題のナイトウェアを掴み、まじまじと見る。可愛らしいデザインだ。xx先輩には似合うだろうが、ボクにはどうだか。ため息を吐きたくなるが、これしか着るものは無い。何より、せっかくxx先輩が用意してくれたものだ。恐る恐る袖と首を通した。

「ふふ、やっぱり可愛い」
 xx先輩の部屋へ戻ると、彼女は開口一番そう言った。慣れない褒め言葉にただでさえ火照っていた身体が更に熱を上げる。照れ隠しに彼女を風呂へと急かせば、xx先輩は至極楽しそうに笑って部屋を出て行った。
 就寝準備を終わらせ、そわそわと落ち着きなく携帯を弄る。それに飽きてぼーっと考え事などをして過ごしていればxx先輩が帰ってきた。
 濡れた髪と白い肌にピンク色の頬が映えて見惚れる。今ボクが着ているものと色違いのナイトウェアだ。当たり前だけれど、ボクよりもずっと似合う。それがなぜだか、堪らなく誇らしかった。
「もう夜も遅いし、お話はベッドの中でしよっか」
「ああ、うん。そうだ、ね――え、はぁ!?」
 うきうきと効果音の鳴っていそうな様子でxx先輩が電気を消す。ベッドサイドのナイトランプだけがぼんやりと彼女を映し出す。当の彼女は慌てているボクにこてんと首を傾げて「おいでよ」と布団をめくっている。
「い、一緒に寝るのか……?」
「うん」
 さも当然のように返される。意識しているボクがおかしいみたいだ。いや、実際彼女とボクは同性だし、たぶん向こうは友達だと思っていて、意識するボクの方がおかしいのだけれど。
 動揺をこれ以上表に出さないように、ぐっと気合を入れて彼女の方へ向かう。ゆっくりと身体を彼女の隣に横たえれば、マシュマロに沈む感覚がした。パチン。音をたててライトが消された。
 ひやり。突然足先に冷たいものが当たる。
「ひっ」
 驚いて声をあげた。隣からクスクスと笑い声がする。xx先輩が冷たい足を絡めてきたのだ。色々なドキドキに苛まれてわけがわからなくなった。
 それから少しの時間じゃれあったが、深夜ということもあり早々お開きになった。ぽつりぽつりとしていた会話も途切れる。
「xx先輩?」
 試しに名前を呼んでみたが、返事はない。暗闇にいくらか慣れた目で彼女の顔を覗き込めば、天使のような寝顔があった。長い睫毛が綺麗に並んでいる。はらりと柔らかそうな髪が薄く開いた唇までかかっていて、寝苦しくないようにどけてやる。
 ん、と小さくxx先輩がうめいた。起こしただろうか。不安になってじっと見つめてみるが、特にそんな気配はない。ふう、とため息をつく。安堵と同時に背徳的な好奇心が身体を駆けた。
 ぐっと顔を彼女のほうへ寄せる。すうすうと寝息が幽かに聞こえる。彼女の匂いが肺の中いっぱいに詰まって痺れた。xx先輩の頬に手の甲を滑らせる。陶器みたいだ。すべすべとした感触と、彼女の柔らかさがもっと欲しくなる。ゆっくりと額同士をくっつけた。目を閉じる。
 ああ、幸せだなぁ。その感覚にしばらく浸って目を開ける。目の前に、幾度となく触りたいと思った唇があった。つ、と縁をなぞりそうになって留まる。それでも視線は逸らせない。誘われるように顔をもっとよせる。彼女の吐息がボクの唇にかかった。これ以上ないくらいに心臓が高鳴る。
 寝ているんだから、シたってバレやしない。一回くらい、欲に負けても。鼻先がくっつく。ぐっと目を瞑った。
「あー、やっぱり、だめだ。こんなの」
 口の中でもごもごと呟いて、ぱっとxx先輩から離れる。布団の中が異様に暑い。そりゃあそうだ。もぞりとxx先輩に余計な振動を与えないように端に寄って熱を冷ます。
「なんだ、しないの」
 突然背後から揶揄うような声が飛んできて、ボクはベッドから転げ落ちた。
- 9 -
*前次#


back to top