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 朝の支度を進めていく。歯を磨いて顔を洗い、髪をとかす。化粧はお休みだ。部屋着だと言い張っている寝間着のままトーストを焼いた。コーヒーを淹れるためのお湯を沸かす。
 ふと、視線を感じた。首だけを回して肩ごしに振り返る。セイくんが私を食い入るように見つめていた。思ったよりも近くに立っていて驚く。
「どうかしたの?」
 お腹でも空いたのだろうか。心配しなくとも、朝食は二人分用意するつもりなのに。
 キッチンの引き出しからネルを取り出す。今やボタンひとつでコーヒーが出てくる時代だが、時間のあるときにはハンドドリップをするのが私は好きだ。
「朝の支度」
 セイくんの視線が私の手元に固定されている。お湯の沸いた合図がした。
「覚えれば、あなたの役に立てるかと思って」
 胸元で握りこぶしを作ってセイくんが言う。一挙一動をも見逃さんとする構えに思わず吹き出した。何かおかしいことを言っただろうかとセイくんが目をぱちぱちさせる。惚れ惚れするほどに規則正しく並んだ睫毛がいっそう際立つ。
「ふふ、なんだか嬉しくって。ありがとう」
 昨日拾ってきたばかりだというのに、もう愛着が湧いてしまったらしい。ネルにコーヒー粉を入れてポットを持つ。お湯を注げば粉は膨らみ、ふわりと匂いが広がった。
「やってみる?」
 半分ほどお湯を残したところでセイくんを見上げる。体を少しだけずらしてネルとポットを見せれば、彼は頷いてからおっかなびっくりに手を伸ばした。
 ヒトよりも僅かに低い温度の指先が触れる。両手に持っているものを明け渡して指示をとばした。そう、ゆっくりね。火傷しないように気をつけて。そろそろ、とぽぽ、たぷん。
 沸かした分のお湯を使いきったようだ。セイくんはやりきったと満足げに口角を上げて、揺れる焦げ茶色を見下ろしている。
「上手だね」
 そう微笑んでカップへコーヒーを注いだ。セイくんは「あなたのお陰だよ」とこちらを向いてちょっとだけ顎を引いた。照れているらしい。
 朝ごはんの準備が整った。コーヒーとトーストふたセットをテーブルに並べる。二人で向かい合って席についた。いただきます、と小さく呟いてからはたと気づく。
「食事、できる?」
 うっかりしていた。いくら見た目が人間であっても、彼はアンドロイドだ。もし食べられないのなら、悪いことをした。
 どきどきと彼の回答を待つ。そんな私を見たセイくんは嬉しそうにコクりと首を縦に振った。
「うん、基本的には人間と同じことができるようになっているんだ。特に必要はないんだけどね」
 そう言いながら、セイくんはコーヒーを両手で包み込むように持つ。こく。自然な動作で嚥下して、にっこりと笑ってみせてくれる。美味しいよ、という言葉にひとまず安心した。
「じゃあ、エネルギーはどうやって補給するの?」
 トーストをかじりつつ問う。やはりコードにつないで充電をするのだろうか。昨日ちらりと見た彼の体を思い出す。といっても、服を着ていても見える部分しか確認していない。思い返してもアンドロイドらしいところといえば首後ろのバーコードくらいで、それだって印字されたものではなく人工皮膚の下から透けて見えるような具合だった。
「補給は特に要らないよ。小型のMMRTGが内蔵されているから、数年に一度、それを交換してくれるだけでいいんだ」
「えむえ、む……?」
 聞きなれない単語だ。若干の困惑をはらんだ私の声に応えて、セイくんは丁寧に説明をしてくれた。
 要するに、とてつもないエネルギーが詰まった電池らしい。電池が切れそうになったら、それを換えればいいだけ。かがくのちからってすごーい。思わず頭の悪い感想が漏れた。
「ふふ、他に聞きたいことは?」
 すっかり質問タイムだ。セイくんは瞳をきらきらとさせて私の様子をうかがっている。どうやら話をするのが好きらしい。そういえば、昨日もたくさん話して触れてと言っていたっけ。
 ずず、と腰をあげる。数歩足を進めてセイくんの背後に立った。背後をとられた彼の視線は不思議そうに私を追っている。彼の頭をくしゃりと撫でて、前を向くように促した。
「ここには何の情報が入ってるの?」
 識別子部分を避けて彼の首筋に触れる。下手なことをしてスリープモードや強制終了になったらかなわない。セイくんは「ちょっと、こそばい」と小さく身をよじってから説明してくれた。
「ユーザー情報の一部がわかるようになっているよ。僕がユーザーさんのものだっていう印」
 どきりとした。僕はあなたのもの発言にもそうだが、主にもっと別の理由で。
 私が彼を拾う前、道端に彼を転がした人間がいたはずだ。それは、前ユーザーである可能性が高い。首後ろの印を調べれば、それについて分かるのではと思っての質問だった。しかしセイくんの様子からして期待できそうにない。
 どうやらユーザー情報を登録・更新するごとに書き変わっていくらしいのだ。職業や住所は変わるものだから、ありがたい機能といえばそうなのだが。
 それならば。セイくんに気付かれないようにそっと目を伏せる。初期化されてしまっては、そのことまで忘れてしまうのか。少しだけ胸が痛んだ。
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