欺瞞に満ちた者

レイラはクラトスと共に、どこかの部屋に閉じ込められていた。

「お父様、ここって……」
「恐らく、デリスエンブレムの封印場所だろう」

出入り口のない部屋。壁に触れたりしても何らかの仕掛けがある様子もない。

「どうやって出たら……」

部屋に何もなく、壁に仕掛けらしきものもあるわけでない。出る方法が、見当もつかない。

「出してあげるわ」
「え……!?」

聞き覚えのない女の人の声に思わず振り向く。
さっきまでいなかったそこに、女の人が佇んでいる。

「あなたは……」
「……アンナ」

見覚えがない筈なのに、どこかで見たことのある女の人。
記憶を探り、ペンダントの肖像にあった姿と同じであったと思い出すのと、クラトスがその名を呟くのが同時だった。

「惑わされるな。これはデリスエンブレムが見せる幻。あのアンナは……まやかしだ」
「はい……」

どうして、このような幻がこんなところで。

「ここから出たいのでしょ? それなら私が出してあげる。……レイラだけね」
「私だけって……」
「当たり前でしょう? クラトスは私を殺したのだから。私を殺した人をどうして助けなければならないの?」
「…………」

それはどうあっても揺るがない事実。

「あなただって、憎い筈でしょう?」
「そんなの……お父様だって苦しんでて……」

そうするだけの事情があった。そうするしかなかった。仕方のないことだ。

「クラトスの気持ちはどうでもいいの。あなたが憎んでいる、って話をしてるの」
「憎んでなんて……」
「レイラ、耳を貸すな。あれはお前の心を惑わそうとするまやかしだ」
「酷い。私を殺すだけじゃ飽き足らず、私を偽物呼ばわりするなんて」

これが、母なわけがない。クラトスに酷い言葉を浴びせるこの人が。
なのに、なのに。

「さあ、私と一緒に来なさい、レイラ。そうすれば、ミトス様の千年王国で、一緒に幸せに暮らせるわ。……そうね、ロイドも誘いましょう。私とあなたとロイドの3人で、もう一度、幸せな家族になるの」

この人の言葉を無視できない。

「私は……お父様を憎んでなんて……」
「忘れたの? 私が殺された後のこと」
「え……」

ふと、自分の記憶を探る。母が殺された瞬間のことは鮮烈に覚えてる。だけど逆に、それ以外のことは全く覚えていない。気がつけばクルシスにいて、あの後何があったのか、記憶から抜け落ちている。

「レイラ、聞く必要はない」
「思い出して。あなたがあの時何を思ったのか。あの後何を言ったのか」

まるで引き出しを開けるように、蓋を開けるように、頭の中に像が結ばれる。

 *

突如母親が変貌し、殺された。訳も分からず、子供はただ泣きじゃくる。

「すまない……レイラ……」
「おかあさん……」

それを宥めようと、父親が子供を抱きとめようとする。

「いやっ!!」

それを、子供は拒んだ。

「やだ、おかあさん……おかあさん……」

いくら父が宥めようとしても、それを拒絶する。
それが、彼の心に影を落とした。妻と息子を一度に失い、唯一残された娘からの拒絶が引き金を引いた。

 *

きっとその時は、子供自身も混乱して何が何だか分かっていなかった。
でもその中にきっと、憎悪も少なからずあったのかもしれない。

「ショックが大きかったのね。泣き疲れて眠って、目覚めた後はそのことを覚えていなかった」
「……お父様がずっと私を避けて、目を合わせなかったのは……私がお父様を拒絶したから……?」
「…………」

クラトスを見やれば、僅かに斜め下へ目を逸らしていて。そのことを否定しなかった。
ずっと、レイラ本人は憎んでいないのに一方的に避けられていたのだと思っていた。だが事実はその逆だったなら。
レイラの行いが、レイラ自身が、クラトスを一番苦しめる原因になっていたのなら。

「私……なんてことを……」
「気に病むことはないわ。だってクラトスはそれだけのことをしたのだから。もう憎んでない振りをしなくていいの」

心を痛める必要なんてない。本心のまま、憎んでしまえば楽になる。

「さあ、私の手を取って。それであなたは楽になれるわ」

手を差し伸べて微笑む幻。
いっそのこと、縋ってしまおうか。幻とはいえ母親だ、甘えてしまっていい。
不意に、壁の向こうから何かを叩きつけるような音が響く。

「本心を隠すのは苦しかったでしょう? 見ない振りをするのは大変だもの」

また、何かを叩く音が響く。部屋の向こうで、誰かが壁を叩いてる。必死に。

「うん……。自分の心に嘘を吐くのは、苦しいし辛い……」
『そう。取り繕うことに意味はない。心のままに憎むのが一番楽だ』

差し伸べられた手へ、自分の手を伸ばす。

「――だから、私は自分の心に従う」

差し伸べられた手を、叩き落とす。母の誘いを拒否する。
それと同時に、誰かが壁を叩く音は止んだ。誰かが、壁の向こうでこの成り行きを見守っている。

「レイラ!? どうして……」
「確かに、お母さんを殺されたことは憎んでる……でもそれと同じように、そうするしかなかったことを憐れんでるし、苦しむお母さんを解放してあげられたことを感謝してるし、辛い決断をできたことを尊敬してる」
「そんなの、自分の心を騙すための言い訳よ」
「あなたこそ、私を騙さないで! そもそも、殺してほしいと言ったのはお母さんなんだから、お母さんがお父さんを憎んでること自体が間違ってる!」

殺された前後のことを思い出してしまえば、後は自分の感情を理解できる。色んな感情が綯い交ぜになっていて、その中に憎しみもあるのは事実。だけどそれだけじゃない。憎んでいるというのはある意味では正しくて、ある意味では間違っている。

「ごめんなさい、お父さん。酷いことをして、その上そのことを忘れてしまってて」
「……いや、私も間違っていた。拒絶された絶望を引きずり、お前と向き合うことを恐れていた。そうして目を逸らし続け、気がつけばお前はクルシスに利用され私が手出しできない状態にされていた」

あの時レイラがクラトスを拒絶してしまったのが、レイラがその後辿る因果の始まりなのだ。絶望したクラトスはレイラを連れてクルシスへ戻ることを選んだ。しかしその後クラトスはレイラと顔を会わせることを避けてしまった。そしてそこに、誰もレイラを守る者がいない所につけ込んだ者がいた。

「今更、親子面するの? ずっと顔も合わせない、話のひとつもしていなかったのに」
「今更なんかじゃない。……私がクルシスを裏切る時、お父さんは笑顔で見送ってくれた……あの時にはもう、私たちのすれ違いは解けてた。気付いてなかっただけで」
「そうだ。一度向き合ってしばえば、それからはもう恐れることは無くなった。記憶を失ったレイラを再会した時、私には父を名乗る資格などないと思っていた。だがそれも全て、記憶を取り戻したレイラと接した時に意味のない恐れだと気付いた」

一度向き合えば何の意味も無くなるようなものだった。レイラたちを取り巻く環境のせいで、それに気付くのに時間はかかってしまったけど。

「だから、あなたの言葉には何の意味もないんだ」

さっき音が響いていたあたりの壁の前に立つ。ありがとう、おかげで自分の本心を見つけられた。

「そっちにいるんでしょ、ロイド? 今行くから」

声は届かなくとも、すぐ向こうにいると報せてくれた。ロイドからはここに来れなくても、こちらからなら行けるという確信がある。

「待って、レイラ……」

幻の呼びかけを無視して、足を壁に踏み出す。見た目は壁があるのに、体は壁をすり抜ける。
そうして、レイラとクラトスは部屋を出た。

予想通り、壁の向こうにはロイドが待っていた。レイラの後ろの壁には扉があるが、扉を通ってもさっきの扉すらない部屋に戻ることはないだろう。

「おかえり、レイラ、クラトス」

他のみんなも揃っていた。コレットもいる。どうやらレイラとクラトスが最後のようだ。

「……ただいま。もう、自分の心を見失わないよ」

もう、クラトスがレイラから視線を逸らすことはしない。レイラも、他人行儀にならない。
ふと、気がつけばレイラは自分の手に何か握られていることに気付いた。

「……これ、扉のミニチュア?」
「みたいだな。ノブがないけど」
「開けられない扉か……」

まるで、お互いに閉じていた心を表しているようだ。

『憎しみがあるのは事実なのに、理由をつけて憎まないことこそが、自分を偽っている証拠だ。徒に苦しむだけなのに、つくづく愚かな娘だね』

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