撤退戦

キルヴァスの裏切りでラグズ連合軍は北方軍と中央軍の合流を許してしまい、その隙にフェニキスは自国の領土を焦土とされた。――幸い、総司令官ゼルギウスの計らいで民までは失わなかったが。
その状況に元老議員ルカンは大層機嫌をよくしていた。ミリアからすれば反吐の出る思いだ。
しかしただで転ぶラグズ連合軍ではない。防衛線たるリバン河を越え、進撃しようとした――それすらも、ゼルギウスに阻止され、状況は再び不利に。今は帝国軍に待機命令が下され、ラグズ側からの講和の協議の申し入れが入るのを待っている状況だ。
その猶予の最中、ミリアたちは帝国宰相セフェランに呼び出されていた。

「大変なことになりましたね」
「用件は? 同情ならしなくても結構だが」

元老院議長でありながらも、神使の後見人である彼。今まで顔は見かけても話すことはほとんどなかった。驚くほど、彼はキルヴァスに今まで関わってこなかったのに、何故今更こんな呼び出しを。
鷺の民を想起させる美貌の彼は、その本心は全く見えてこない。

「あなたたちを縛りつける、血の誓約……その呪縛から逃れられる可能性があります」
「何……!?」

ネサラは珍しく動揺を顕にし、だがすぐに居住まいを正した。

「キルヴァスは建国以来ずっとベグニオンの言いなりだ。今更そこから逃れる手段があると思えないが?」
「あるのですよ。ベグニオンの言いなりと言いましたよね? それはつまり――」

含みを持たせた言い方にミリアは不審に思う。

「個人で交わした誓約ならば、交わした者が死亡した時点で誓約はその効力を失います。そうならずに代々誓約が継承されるのは、双方が国という単位で誓約を交わしているためです」
「そんなことは嫌というほど分かってるさ」
「では、このベグニオン帝国において、今現在、最も位が高い者は誰でしょうか?」

ミリアはまさか、と思う。絞り出そうとする声が震える。

「皇帝……神使の元につけば元老院の支配から逃れられると……?」

そんな盲点をついた抜け道があったなんて。元老院と皇帝。もしそれぞれの命令が相反するものならば、位の高い皇帝の命令が優先される。

「はい。サナキ様はラグズ連合軍とも和平を望んでおられます。あなた方のことも、決して悪いようにはなさらないでしょう」

セフェランの意見には一理ある。セリノスのことも真摯に受け止め、自ら膝を折った彼女ならば。

「……ミリアは確か神使に会ったことがあったな?」
「はい……」
「信用できそうか?」
「……少なくとも、今よりは遥かに状況がよくなると思います」

手放しに信用するにはまだミリアは神使のことを知らない。だが確かなのは、元老院からは逃れられるであろうこと。

「なるほど、悪くない提案だ……だが、それなら何故ここに神使がいない? この場に神使がいれば、すぐにでも解決できることだ」
「……サナキ様は現在、元老院の手にかかり自由に行動できません。私も、じきに動きが取れなくなるでしょう」
「……何だと?」

セフェランはそれだけ告げて、退室した。

謀反の罪でセフェランが投獄され、神使が不治の病で完全な面会拒絶となったのはその翌日のことだった。

[ 64/84 ]
prev | next
戻る