眠れる獅子を起こさないで 8

このような時に急な来客、相手は帝国の重鎮だとか。流石にリュファスもそれを無視することはできず応対の為に去り、地下にはベアトリスと兵だけが残された。

「ねえ、ちょっと顔を見せて……やっぱり、か」

声を掛けると、兵はベアトリスを一瞥した。その顔にはやはり見覚えがあった。

「あんたがそうしてるのを別に責めはしないけど、心配なのよ」
「……今更何を」
「そうね、あたしは口先だけで何もできやしないわ。だけど、我慢ならないのよ。誰かの都合のいいように利用される者を見ているのは」
「利用だと……」
「だってそうでしょ。あいつの企みに、フラルダリウス家のことなんてちっとも関係ない。何を吹き込まれたか知らないけど、あいつはあんた達のことなんかどうでも良くて、ただ都合が良かったから使っただけ。これが利用されてないと言うなら何なの?」

自分が踊らされているという事実は認め難いだろう。窮状の中で冷静さを欠いていれば尚更。

「……貴方達が敗けた所為だと……あの方から……」
「それはそうよ。あたし達の不甲斐なさがこの事態を招いたのは確か。それにしてもよく言うわ、あっちは戦争の時何もしなかった癖に……」
「貴方は、王家に取り入っておきながら自分だけがおめおめ逃げ出したと……」
「はあ……見捨てるどころか、王家を途絶えさせない為だったのに。危うく帝国に殺されそうだったのを何とかあの子を生かしたくらいよ?」

むしろ王を見放して自分達だけ助かったのはリュファス達の方なのに。どの口がと呆れてしまう。
問答を続けていくごとに兵の顔が青ざめていく。

「……俺は、取り返しのつかないことを……」
「……そうね。こうなった以上、あんた達の処断は免れない」
「そうじゃありません。王国の盾に属する者でありながら、王家に止めを刺す企みに加担したなど……」
「そう思い詰めなくていいわ。さっきは王家を途絶えさせぬ為に逃げたと言ったけど……あたしは、そうまでして生かした王家の血筋を埋もれさせようとしている」
「だったら尚更、貴方に反旗を翻すのは王国の再起を望む者を集めるのがあるべき形だった。こんな、真逆の陰謀で……」

事が終われば、ベアトリスは家族を連れて旧王国領から去る腹積もりだ。この事件の所為で、王国再興の道はほとんど途絶えたと言って良い。
望んでいた筈の道を自らの軽率な行動で断ってしまった絶望は、如何程のものだろう。
ふと、また誰かの足音が聞こえてくる。

「ベアトリス殿、無事ですか!?」
「大丈夫よ、傷ひとつないし」

救出に来た密偵にひらひらと手を振る。牢の鍵が開けられ、無事ベアトリスは解放された。

「そちらが誘拐されたという方ですの? ご安心なさいませ、このコンスタンツェ=フォン=ヌーヴェルが来たからにはもう大丈夫ですわ!」

おーっほっほっほ、と高笑いを響かせる女性に、一瞬呆気に取られてしまった。

「えーと、あんたの言ってた伝手って、あの人?」
「丁度あの方が王国へ視察の予定が入っているとのことだったので、無理を言って前倒しにさせて頂きました」
「……まあ、目的は果たしてもらえたのなら、別に誰でも構わないけど……」

敵を炙り出したとして、どう潰すかが問題だった。
密偵に帝国の方から相手の不正を摘発してみてはどうか、と提案され、伝手もあると言うので任せた。その結果、彼女を呼び寄せる結果になったようだ。

「リュファス大公は帝都へ連行し査問に掛けることになりましたわ。他領への押し入りに暴行未遂、果ては誘拐……これだけ余罪がある以上、失脚は免れないでしょう」
「それでも生ぬるいくらいだと思うけどね。いっそ極刑にでもなってほしいくらいよ」
「あの者の悪評はこちらでも聞き及んでおりますが、だからと言って過度な裁きは政争の激化を招きますわ。心中お察ししますが、どうか堪えてくださいませ」

実際に裁定を決めるのは査問官だ。ここで言った所で何もならないだろう。

「まあ、いいわ。あいつが裁かれたという事実さえあれば、下手なこと考える輩は出てこなくなるだろうし。それで十分よ」
「全く嘆かわしいことですわ。聞けば貴方は貴族の身分を失っても慈善活動に身を投じていたとか。そのような方を陥れようとするなど……」

食い扶持を稼ぐ為の活動で、彼女の想像するような立派な志も何もないが。とはいえそういう建前の方が都合が良いので、特に訂正はしないでおくことにした。

リュファスだけでなく、今回の企みに関わった者も帝都へ連行される流れとなった。流れ着いたフラルダリウスの者も含めて、だ。結局、助けられもせず、未だ何処かに散り散りになっている者も何もしてやれずにいる。
軽い聴取の後ベアトリスは解放され、帰れることになった。

日の下でベアトリス達を見送りながら、コンスタンツェの中でふと疑問が浮かぶ。

「確かあの方はベストラ家直属の密偵の筈……いくら彼女が旧王国の公爵家の生き残りとはいえあの方ほどの者が遣わされる必然性を感じませんが……私の浅慮などでは及ばぬような思惑があるのでしょう。或いはただ私の目が節穴で、見間違いだったのでしょうね」