眠れる獅子を起こさないで 6

「リオ、この方は元騎士様で、あんたに会いに来たのよ。ほら、挨拶なさい」
「……こんにちは……」

もっと幼い頃は知らない大人相手でも物怖じしない子だったのだが、ずっと人目から隠し続けた結果、人見知りするようになってしまった。

「幼き頃にお会いしてますが、やはり覚えてませんか。……よく、ご無事で……」

すくすくと成長している亡き王の遺児を前に、ギュスタヴは感極まっていた。元よりダスカーの悲劇で先王を守れなかった負い目があり、先の戦乱でやむを得なかったとはいえ王子を放り出す結果となり、ずっと案じていたのだろう。
肝心の子供は、まだ自分のその血のことも何も知らなくて、ただ首を傾げるばかりだった。

子供を再び母に預けて退室させた後、ギュスタヴは立ち会っていた密偵に対し敵意を剥き出しにし、問うてくる。

「先程から疑問でしたが……その者は見た所帝国の手の者のようですが……」
「帝国とは密約を結んでます。あたし達が帝国に対し叛意を示さない限り、帝国もあたし達に対し手出ししない、と……」
「そのようなもの……信用ができるのですか?」
「故あって帝国に助力して、その見返りとして取り付けたものです。少なくともこの数年の間、この約束が反故にされる様子はありません」

彼からしたら複雑だろう。王を討ち王国を滅ぼした帝国に対し、残された王妃は造反の意がないどころか従順である。

「それよりは貴方こそ、最後まで帝国と戦い続けたというのによく生きて……」
「帝国は、あくまで敵をレア様のみと見做し続け我々は眼中にありませんでした。レア様を討ったことで教団兵は総崩れとなり、我々も到底戦いを続けられるような状況でなくなった」
「……大司教殿の信奉者の集まりと化した教団じゃ、そうもなるか」

王国へ逃れた大司教はかつての穏やかさを失い、何かに憑かれたように「お母様」とやらへの執着に囚われていた。多くの信徒はそんな大司教に対し心離れを起こし、あの補佐役ですら教団を離れていった。
皇帝に執着する王の有様もあり、もはや王国と教団が勝利を収めたところでフォドラに明るい未来はないだろう、という諦観が湧き上がったのも懐かしい。

「……そういえばギュスタヴ殿は今どうしているのですか?」
「焼け落ちたフェルディアの復興に携わってます。奇しくも、帝国がその支援を惜しまなかったことで異例の速さで復興は進みました。近いうちに魔道学院も再開するとのことで、娘がその教師に……」
「それならよかった。王都のことは気掛かりでも、顔を出せずにいたので……」

火の手の上がる王都を見上げながらも、何もできず、何もしてこなかった。本来なら自分が陣頭を取るべきだったとは分かっていても。この平穏を壊したくなかった。

「……ベアトリス様、率直に申し上げます。先程から聞く限り貴方の行動は王家を支える者としての役割を放棄しているとしか思えません。あまつさえ、王家に背いているとしか言えない真似に出ている。それも自分の身を守り平穏を得る為だけに。陛下はこのようなことの為に貴方に全てを託したわけではない。聡明な貴方にそれが分からぬ筈がないでしょう」

その指摘は尤もだ。自分は王妃として最低だ。国を投げ出し、ぬるま湯の安寧に浸り満足している。
だけど、フォドラ全体の現状を考えたら、これが最善としか思えないのだ。

「それでもあたしは、亡き王国の復権だとか、陛下や死んでいった者達の仇討ちだとか、その為に再び多くの血を流す程の意義を感じられません。挙兵した所で何も為せずただ無為に散るだけです。それに、仮に帝国に勝ったとしてもその後どうするのですか? 王国を復権したところで、失ったものが元通りになるわけじゃない。いいえそれどころか、フォドラ全土がかつてない混乱に見舞われるでしょう。何も自分の命惜しさだけじゃない。あたしはフォドラ全体のことを考えて、こうするのが最善だと思っています」

亡き国の王子の存在を公表し挙兵したところでそこまでの価値を見出だせないどころか、さらなる災禍を呼び寄せるだけだ。なら、こうして身を潜めた方がいい。

「……残念です。我々は貴方がその聡明さであの方を支えることに期待した。しかし貴方は……聡明すぎた。あの時にその知恵があればあるいは……」
「あたしを政務の場から引き離したのもまた貴方達です。過ぎたことを言っても仕方ありません」

挙兵することの危険性は彼も理解してはくれた。それでも、王国の騎士としては無念であろう。仕える国も王も失って尚生き恥を晒し、騎士として散る場を他でもない主君から奪われて。

「……仮に、帝国が暴政を敷くのであれば……あるいは、あの子自身がそう望むのなら……あたしも止めはしません」
「いくら私でもその仮定は無意味なものだと分かります。心にもない気休めは不要です」

ずっと王家に仕えてくれた騎士をこうして突き放すのは心苦しいけれど。そうしないと、きっと取り返しのつかないことになる。
誰に何と言われようとも、これだけは譲れなかった。