最悪、最低、ヒドイ人
「ン…」
ス、と短く息を吸って瞼を開けると、夢の中に居たはずの少女が自分を見下ろして微笑んで居た。
「…副長官、おはようございます。」
「…?」
「あれ?寝ぼけてらっしゃいます?」
ふふふ、屋上で仮眠されてたんですよ、と寝ている俺の張り付いた前髪を撫で梳かす彼女に、今まで気づきたくなかった感情を引きずり出されてしまったような気がした。いや、気ではない。確信した。
このままじゃまずい。
慌てて立ち上がろうとしてよろける。
「あっ、」
「ッ、すまな」
…い
床に勢いよく手をついて、覆いかぶさってしまった彼女の頭をとっさに片手で支えた。
見下ろされていたのが、言葉のまま「一転」し、今は俺が呆気にとられる彼女を見下ろしていた。というか組み敷いている…。
「…」
「…」
外はすっかり日が落ちて、眠る前に干されていたシーツや洗濯物は綺麗に畳まれて籠の中に仕舞われていた。明かりのない屋上では月明かりが唯一彼女の顔を照らす光となっている。その、表情は、なんなんだ…?
「…び、っくりしました、あははは!」
裏返り気味の声で笑いながら両手はしっかりと俺の胸を押し返し目は合わせない。寝返りを打って立ち上がろうとする彼女の手を掴んで床に縫い付けた。
「え!?」
驚く彼女の頭を支えていた手を自分の方へ寄せて、同時に自身も体を床に近づける。
布越しに胸と胸がくっついた感覚に震えた。互いの心臓と心臓がどくどくと波打つ速さを教えあっている。
「ふ、ふくちょ、かん」
「蘭堂」
目覚めてからやっと絞り出した言葉だった。
「ら、ん、、、ど」
う、と言おうとする口を己の口で塞ぐ。
泣かれるだろうか、また。
恋人でもない、10以上も年の離れた女性に。同意でもないのにキスをして、頭の中に浮かんだのはそんな事だった。
思えば彼女に初めて出会って、泣かせた。
父親の元へ連れて行き、泣かせてた。
いつも巨災対の元へ行くと笑顔で駆け寄ってくる彼女を見て、その上に泣き顔をトレスしている自分がいた。
その度に抱きしめようと伸ばしたくなる手を必死で押さえ込んで、彼女が差し出すコーヒーを手に取った。
なんて庇護欲をそそられる顔をしてるんだ。
ちゅ、と音を立てて唇を離すと途端に寂しくなってまた近ずけたくなった。が、呆気にとられている彼女と今度こそバッチリと目があった。
「…なん、、、で…」
彼女の新しい表情を目の当たりにするたびに、欲しくて欲しくてたまらなくなる。
呆気にとられた顔を堪能した後、無言のまま彼女を起き上がらせて、抱きしめた。
「いつも、笑顔で、副長官と言って駆け寄る君を見て、何故かその度に、君の泣き顔が思い浮かんで、目の前に浮かべられた笑顔の上に重なるんだ…」
薄く、細い背中を壊さないように抱きしめ、自分の肩に顔を埋めさせるようにし、彼女の頭を撫でた。
「それは、上に重なってたんじゃなくて、内側から滲み出てきた表情なんだって、気づいて」
「…」
「私が考えなしに君を巨災対に連れ込んでしまった責任を感じて、君の望む居場所を作る事にした。けれど、悲しみの上に熱く塗られた笑顔を見るたびに、暴きたくなって、剥がしたくなって、俺は、」
「ズ」
肩口で鼻をすする音が聞こえる。頭を撫でながらもう片方の手で背中をとん、とん、と叩いた。
「優しくないんだ、俺は、泉にも怒られたよ。お母様と連絡を取らせたのも、父上の身元の確認を急いだのも俺だ。それは全部、君のその笑顔を崩すためだった」
小さなうめき声がスーツの布地に吸い込まれていき、震える肩を撫でると、今まで力なく垂らされていた両腕が自分の背中に回された。
「人は、泣きたい時に泣かないとダメになる。これは…体験談なんだが…」
そう言って苦笑すると、背中に回された手がぎゅっとスーツを握りしめた。
「だから…」
耳元で鼻声が低く響いた。
「だから…蘭堂さんを悪者にして、ワンワン泣けって…言うんですか…」
怒ったような声がまた、新鮮で、俺はそうだと頷いて微笑んだ。
「最悪の男だろう」
「さいあくです」
「さらに悪い事思いついたんだが」
「…ズッ…なん、です…」
「顔見せて」
肩口に埋まっていた小さな頭を両手で挟み込んで、月明かりの下に晒した。
「ひどい…」
鼻をすすりあげてぽろぽろと涙を流す彼女の真っ赤な鼻と自分の鼻をくっつけてまた笑う。
「好きだ、なまえ、好き。もっと泣いて」
「やだ、やだやだ、やです、」
「キスしたら泣いてくれる?」
「いや!意地悪、きらぃっンん」
しょっぱい、のに、ひどく甘い
彼女を存分に泣かせて、心を満たす俺は、
ひどい、最悪の男だ。
なのに散々好き勝手にして、疲れ切った彼女を抱き上げて屋上の階段を降りている時に、小さな声で囁かれた。
「蘭堂さんは、ヒドイ人。こんなに、優しくてヒドイ人、初めて出会いました…」
嫌いです。と真っ赤な顔で囁かれたもんだから、唇で返事をした。
彼女はまた怒って、真っ赤な顔で俺の背中をぽこぽこ叩いた。
そんな年相応な君をずっと見ていたい。
これからも、生きて
ずっと。