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小さい時はよく遊んでもらった。
ままごと、海賊ごっこ、リカちゃん人形。
私が泣いて帰ってきた時は抱き上げて慰めてくれて、泣いて部屋にこもる夜は私の手を握ってくれた。マカロニサラダと落語が好きで、話すのが下手な人だった。
その断片的な思い出で、優しい人なんだということだけに確信を得て
やはり私は父を誇りに思っていた。
「うぅぅ…ごめんなさい…、ごめんなさいぃぃ」
お母さんもお兄ちゃんもまだ知らない。
お父さんともう二度と会えないこと。
お父さんはどこで、
何を思って、死んだのか
連れて帰らないと、
ここに置いて行けない。
仮眠室を出てすぐの廊下はとても静かだった。
痛む心臓を抑えて、下を向くと、涙で何も見えなかった。肩に置かれた手がやたらと熱く感じる。
肩に…手…?
「ハッ」
「なまえさん?」
「ごめんなさい、私!あの!お忙しいのに!わか、分かってます!」
「そんな、」
「ごめんなさい。今こんなこと言ってる場合じゃないのに…、このまま避難所でぼーっとしてたらきっと、いろんなことうだうだ考えてきっとダメです。
わがまま言ってごめんなさい。
お仕事させてください!!!お願いします!」
「落ち着いてください。なまえさん。」
矢口さんは慌てたように私を抱きしめた。
硬いスーツの生地に、私の涙や鼻水が押し付けられて思わず、むぐ、と声が出る。
黙らせたかったのだろうか。
慌てて間違ったリアクションを取ってしまった。と焦る矢口さんの気持ちが、心音でわかった。
「矢口さん…おねがいします…お邪魔はしません…わがままは、これで最後にします。おねがいします」
「なまえさん…あの…」
抱きしめた手を緩めて私を見下ろした矢口さんは、遠くでバンと開いた扉にはっと顔を上げた。私も振り向く。
「副長官!!このデータ見てくださいよ!!…アッ!?」
ボサボサ髪を振り乱してノートパソコンを両手に走ってきた男の人もまた若く見える。
「あぁぁあ!!お邪魔でしたか!」
「待て安田誤解だ!」
「あのあのあのあのごめんなさい違います!!」
お互い弾かれたように離れて、安田と呼ばれた男に向き合った。私は矢口さんのスーツについた自分の涙と鼻水だけが気がかりだった。
「あ、起きたんですね。みょうじさんの娘さん」
語尾を優しくして話しかけてくれた安田さんに私は黙って会釈をした。
「あぁ。安田、すぐにデータは見せてもらう。彼女のことも紹介したいし部屋へ戻ろう」
「はい」
紹介?…なにを?と思ったが、部屋に入れてくれるらしいので黙って2人の後を追った。男性の歩幅は大きくまた、急いでいるため走らないと追いつけなかったが、それがまた事態の異常さを物語っていた。時間との戦いなのだ。
「みんな聞いてくれ!」
部屋に入るやいなや声を張った矢口さんにそれまでガヤガヤと忙しそうに仕事をしていた人たちが全員手を止めて注目した。
「これから巨災隊の新たなメンバーを紹介する。みょうじなまえさん、一国土交通省危機管理監・運輸安全政策審議官の娘さんだ。巨災隊の生活のサポートに入ってもらう」
その早口を聞いた瞬間に視線は私へと注がれた。ドクっと心臓が鳴ったが堪える。
認めてくださったんだ矢口さん。これからここで頑張らないといけない。みなさんのために、私が生きるために。
父を、持ち帰るために。
「みょうじなまえです!掃除やお茶汲みの雑務をさせて頂きます!皆様のお邪魔にならぬよう努力します!よろしくお願いします!」
すこし声が裏返ってしまったが今度は泣かずに頭を下げることができた。
「さて、安田、データの共有は?」
「あとは副長官だけですよ。これなんですけど、ゴジラの凍結には…」
安田さんと矢口さんの意識がパソコンに向くと、巨災隊のメンバーは私にぺこりと頭を下げてすぐに仕事に戻った。
私もグズグズしていられない。ざっと部屋を見渡してすぐに外に出た。
「なまえさんどこへ」
「掃除道具を探しに!矢口副長官、わがままを聞いてくださってありがとうございます!」
「掃除道具でしたら廊下を東へ行った先に倉庫があります。頼みます」
「はい!」
だっと駆け出て掃除道具を大量に引きずってまず向かったのは仮眠室だ。
ケトルで湯を沸かしている間に揉みくちゃになった毛布や布団を畳み、床下の誇りを雑巾で拭いた。掃除機やはたきもあったがどの時間にも交代で仮眠を取る人々がいる。
窓を吹き終えると、寝ている人の布団をかけ直し、ケトルのお湯を入れたペットボトルを尾頭さんの枕元へ置いた。パチリと鋭い目が開いた。
「起こしてしまってごめんなさい。尾頭さんもしかして生理では無いですか?これ、お腹と背中に置いて寝てください。ナプキンは足りていますか?もしなければ調達してきます」
尾頭さんは弱々しく首を振って微笑んだ。
「尾頭さんと、三輪さんと谷口さんの起床時間は入り口のボードで把握致しました。アラームで起きれなかったとしても私が起こしますから安心して眠ってください」
「ありがとうございます…」
「女性にしか話せないこともあります。お互い力を合わせて乗り越えましょうね」
「はい」
言い終えると、仮眠室のカーテンを閉めて私は部屋を出た。さて、3人の起床時間までにするのはトイレ掃除だ。
本部から紙とペンを借り、トイレの入り口に張り紙をした
【清掃中、入ってもらっても構いません】
幸いトイレには人がおらず、バケツいっぱいの水で床を流し丹念に便器を掃除した。
スリッパを揃え、髪の毛を棄て小窓と鏡を拭く。女子トイレも同じようにし、サニタリーケースも手作りした。
ケースの中に崩壊したコンビニから拝借した女性の下着やナプキンを入れている。
トイレを出て「次は風呂場だ」と呟いた時に仮眠室からアラームが聞こえた。
急いで仮眠室に駆け寄ると3人とも苦しそうに布団から起き上がっている。
「おはようございます。お疲れ様です。」
「…?君は?」
「みょうじ国土交通省危機管理監の娘です。雑務をしています。今、白湯をお持ちしますね。」
「みょうじさんの…」
そう呟いて下を向く谷口さんに透は笑いかける。
「今は目の前のことをやるしかありません。皆さんもそう思ってこんなに頑張っていらっしゃる。私も同じように自分のできることをやります。」
「なんだか部屋の空気が綺麗になった気がするよ」
「ふふふ、すこしだけお掃除しましたから。」
3人のカップを受け取って本部へと見送る直前に、尾頭さんがペットボトルを持って来てくれた。
「熱すぎませんでしか?」
「ちょうどいい温度でした。お心遣いありがとうございます。」
「本部でのお仕事でまだ使用なさるならお湯を沸かします。」
「助かります、なまえさん…」
おや、…
初めて名前を呼ばれ振り向くと、彼女はすっきりとした面持ちでこちらを見据えていた。
「私、目覚めて最初にそばにいてくれたのが尾頭さんでとてもとても嬉しかったです。こちこそありがとうございます。小さなことしか出来ませんが、皆さんを支えられるように頑張ります!」
「はい、私も、出来ることをやります。」
そう答えて細い背中は本部へ吸い込まれていった。
次の仮眠メンバーにも寝る前に白湯を飲ませて、なまえは風呂場の掃除をしに行った。
「みょうじさんの娘さん、紹介終えてすぐ出て行っちまったけど、大丈夫かな」
「避難しねぇでここに残るなんて、父親の事が何か関係してんのかもな」
「泣いた後の顔でしたね」
「あぁ、」
「あの子な、さっき会ったが、仮眠室の掃除してくれてな、アラーム気づかなくても起こしてやるって」
「寝起きの白湯は効くわ〜、服ボロボロで可哀想だったけどなぁ」
「尾頭さん、防災服のスペア無いの?」
「ありません、…何方か防災服に余があれば彼女に貸してあげてくださいませんか?」
「俺あるよ〜〜、七時から仮眠だからそん時持っていきます。」
「尾頭さんが、声張るなんてめずらしいなぁ」
「まぁ紅一点だったしな、女性が増えるのは尾頭さんにとってもプラスだろう」
ざわざわざわと長い会話が止まる事なく続くのはお互いに寝ないためである。話しながらもパソコンを叩き班を押す手は止まらず、大きな解析表を眺めて皆一様に問題に対峙していた。
志村が、風呂場を除くと何やら張り紙がしてある。
【清掃中、お声がけください】
綺麗な字だ。
というか、このような雑務をこなす職員が居たのか?
どよような非常時にも清掃員はいるのだなと感心して風呂場を覗くと、丹念に髪の毛を取り除いている少女がいた。
「え?、、、あなたは?」
「あっ!お風呂使われますか!申し訳ありません!すぐ片付けます!」
ばっと上がった顔、誰かに似ている。
「いえ、清掃が終わってからで構いません。そのごみ取りで最後ですか」
「ええそうなんです。ありがとうございます!」
「あなたは…」
「みょうじの娘です、雑務をさせて頂いております。」
みょうじ……国交省の…、、、ぁ、
「あの、この度は…」
「あぁ、気を使わせてしまって申し訳ありません!」
掃除道具を持ったまま、みょうじさんの娘を名乗る少女は両手を振った。
「今は父のことを思ってはいけないのです。やる事が全て終わってから父を迎えにいきます。さ、お待たせしました。シャンプーなどの詰め替えはコンビニから拝借してきても?」
「あ、ぁぁ、ええ、よろしくお願いします」
一体どちらによろしくしたのか分からない返事になってしまったが、彼女のまっすぐな瞳と、寂しげな笑顔を反芻しながらシャワーを浴びた。
父を迎えに行くために、避難しないのかもしれないと、考えついて、志村はきつく瞼を閉じた。
「お疲れ様です。配給が届いたので、おにぎりを作ってまいりました。右がおかか、真ん中は鮭、左は梅です。温かいうちにどうぞ。お味噌汁のポットはこちらに」
ガラガラと大きなカートを押して透が戻ってきたのは挨拶を終えて約6時間後になる。
「わぁ、ありがとうございます」
「うまそう」
「はぁ〜、そういや腹減ったわ」
ガヤガヤとカートに群がる人々に笑顔を向けて透は本部を出ようとした。
「透さんも、どうぞ」
「ありがとうございます矢口さん、私今から仮眠室へ行きますので、帰ったらいただきますね、あ!つぎの仮眠は小松さん、武雄さん、安田さんですー!」
「「「はーい」」」
ではと小走りで本部を出たなまえはおそらく仮眠室で起きたメンバーに白湯を与え布団を直し、また、つぎの仮眠メンバーに白湯を与え労いの言葉をかけるのだろう。
1日で掃除という雑用のほかに、仮眠スケジュールの管理と配給、またたり大破備品の補給までこなすこの少女は何者なのだ。
矢口は話し下手だが優秀な国交省の管理を思い出していた。
おにぎりを3つと、味噌汁を自分の机によけると、なまえの帰りを待ちながら書類の束にかかった。
「あれ?矢口さん、食欲ありませんか?」
数分していきなり背後にかかった声に少し驚く。
「これはなまえさんのぶんです。私はもう頂きました。」
「わぁ!ありがとうございます。けれど、私3つも…」
「いつ食べられるか分かりません。遠慮なら不要です。あなたには皆助けられている。もちろん私も」
「矢口さんが私を受け入れてくださったおかげです。夕餉の支度が終わったら頂きますね。ありがとうございます。」
ニッコリと、した笑顔が、顔のほんのうわべだけだと分かっている。こんなに和やかにしていい状況ではない。父親を失った彼女が必死に戦っているゆえの笑顔だと、矢口の心は甘く、苦く締め付けられた。
絶対に作戦を成功させる。