高いチョコレート


まるで眠気を覚ますように熱湯を浴びて数秒で風呂場を出た。
仕事をせずに一人で風呂なんか入っていたら色んなこと考えてぶっ倒れそうになるよ。

濡れた髪もそこそこにパソコンを開いて入力を続けながら本部へ向かう。ここ数日で身体が覚えた室内のルートだったが、はたと気づいた。
今日はあの子に会ってないな?
何も聞いていないがまさか帰ったと言うことは無いだろう。
気がついたら入力もそこそこに、風呂場からかなり遠回りして、掃除用具のある倉庫や仮眠室なんかを見に行っていた。

何やってんだろな…

そしてまた急に我に帰り本部へ足を向けた。

「安田!」
「安田さん!」

本部の扉直前で、矢口さんと探し人が陽気に声をかけて来た。

「あれ?ふたりだけ?」
「ただいま安田」
「ただいまです」
「いやどこ行ってたか知らないんだけど」

にこにこと駆け寄る彼女はよく見ると、泣いたらしい。そういえば初めて出会った時も矢口さんと二人で泣いていたな。

この思わず胸がキュンとかわいい音で鳴っちまいそうな爽やかな笑顔は、泣き止んでスッキリしたからなんだなぁ。

よく分からないが彼女が笑顔ならそれでいい。

「…あの、安田さん、」
「え?」

なまえさんの声で我に帰ると、左手でパソコンを抱え右手で彼女の頭をひたすらに撫でていた。

「わぁあ!?」
「お疲れなのですね、あの、これ、励ましにもなりませんが、いつでもどうぞ…」

そう言ってずずいと、小さな頭が突き出されたので思わず吹き出して丸見えのつむじに人差し指を当ててグリグリした。

「ごめんごめん、ぼーっとしてた」
「あいたたた!ハゲます…やめてください。」
「励ますとかけてる?」
「ないです!」

二人で戯れていると透さんの後ろで矢口さんと目があった。

「俺はこの後報告会があるから、本部へは寄れない。すまないが志村に不在を伝えて置いてくれ、日付が変わるまでに戻る。」

「はい」

言い終わるやいなや振り向き歩き出す背中に返事をして、俺はすぐさま扉を開け用とした、中から何か聞こえてくる。なにやら志村くんが高いチョコ独り占めしたらしい。おいおい、非常事態とは思えない楽しい会話だな。

「あ、私、志村さんにお礼がしたいので、扉の外で待ってても良いですか?」

「へ?お礼?」

それもみんなの前じゃできないお礼なの?
ちくりと刺さったように胸が冷たくなっていくのが分かった。

「はい。実は今日の出がけに志村さんにチョコレートを頂いて、とっても高そうなやつ。」

そう言ってなまえさんがポッケから出したのはその小箱だけでン千円する有名パティスリーのチョコレートだった。
なぜ分かったかというと、昔付き合ってた彼女がねだって来たことがあったからだ。懐かしい。

「父のところに…最初は備えたのですが、せっかく下さったのに食べないのは申し訳ないので、」

その言葉で彼女に会えなかった理由を悟った

「お父さんから取り上げて来ちゃいました」

えへへと笑うその笑顔は、まだ固いが父と呼ばずお父さんとんだその声音に死を受け入れつつあるのだと思った。

「それね、多分、6千円くらいするやつ」
「えええ?!!?!」
「しかも年に一回開かれる祭典でしか買えないやつだよ」
「えぇぇええ!!!!!!??」

淡々と良いながら彼女の目線まで屈み、すかさずチョコの箱を開けて真ん中の赤いハートのチョコを自分の口に放り込んだ。

「安田さん!」
「俺ね、立川に来るまでにいろんな人が死んでいくの見たよ」

途端に息を詰める彼女と目を合わせたまま、俺は口の中でチョコを溶かしながら彼女の手を握った。
あの夕暮れの時のように。
指を絡めて、強く握った。

「明日のヤシオリ作戦、俺も同行する。

死ぬかもしれないし、死ななかったとしてもすごい放射線浴びて帰ってくる事になる。

でね

唐突なんだけど俺、好きな人ができちゃって」

ポカンと、心をすぐに顔に出す彼女に俺は笑いかける。

「俺の希望になってください」

ゆっくりと下を向いて床に膝をつき、祈るような姿勢で握った手を自分の額に当てた。

「き、…ぼう?」

「俺が無事帰って来たら、なまえさんに伝えたいことがあります。今言うと俺、満足しちゃって、気ぃ抜けるからさ。

必ず作戦成功させて戻ってくるから

それまで待っててください。」

俺が生きて帰りたくなるような理由

この先も生きていたくなるような

俺の希望に



なまえさんはゆっくりとチョコをポケットにしまって、そっと俺の頭を抱いた
同じように床に膝をついて、俺の額となまえさんの額がくっつく。


「待っています」

ハラハラと流れる涙が、なんだかもう目眩がするぐらい綺麗で、俺は必死に涙をこらえてありがとうとだけ言った。

涙を拭いてやり、立ち上がらせると、今度は俺までスッキリしてしまった。

「ヤバい、スッキリしちゃった。」

「ヤバくないです。安田さんお風呂もちゃんと入ってないし寝てないの私知ってるんですからね!ちゃんと寝ないとモヤモヤ続くの当然です。」

「なまえさんと一緒なら風呂ちゃんと入るよ」
「尾頭さんに言いつけます」
「めっちゃ怖」


そして笑いながら彼女を残して扉を開ける。

きっと明日も同じように、彼女を残して俺は扉を開ける。

けれど必ず帰る。

帰る理由になることを彼女が許してくれたから。