酷い奴

「なあ監督生、」
「なに、エース?」
「お前ってさ、本当に―――」




その日は気が立っていた。そのせいでもう減ってきていたはずのグリムとの喧嘩に熱くなり、オンボロ寮の目の前で風魔法をぶっ放した。
そのときの状況を説明すると、まずオレがいて、正面にグリム。その先には洗濯物を干している監督生。
腐っても名門校であるナイトレイブンカレッジで鍛えられた魔法はそれなりの威力を発揮し。
オレの風魔法は、グリムだけでなく監督生の洗濯物ごと吹っ飛ばした。
その時に持っていた洗濯物がまた厄介で、飛ばされたのは監督生の世界から一緒に飛ばされてきたハンカチ。
この、ツイステッドワンダーランドにはない、唯一無二の。
「…監督生」
「エース、」
「…あのさ」
「ごめん、今学園長に雑用頼まれてて。また後でね」
「……」
手に持っていたサンドウィッチを強引に口に入れて飲み込み、監督生は席を立つ。
話しづらい。監督生は「気にしないで」なんて言ったけれど、それはあいつ特有の、オレへの「やさしさ」から出たセリフであって、監督生が気にしないはずがない。
ため息をついてから学食をデュースの席の隣に置くと、デュースが怪訝そうな表情で口を開いた。
「お前ら何かあったのか?」
「…デュースにも察されるレベル?」
「失礼だな。僕だってあんなに分かりやすくギクシャクしていたらさすがに気付く。お前のことだから、どうせまた何か変なことでもしたんだろう。言え」
「あー……監督生のハンカチ吹っ飛ばした」
「は?」
「だから、監督生のハンカチ吹っ飛ばしたの、」
「はあ!?あんな大切なものをお前…!」
デュースの顔が険しくなる。マブだとか言ってるもんな、そりゃあ怒るくらいするか。そもそもあのハンカチについて知ってたのね。
「監督生は別にいいとか言ってたんだけどさあ…やっぱ、大丈夫じゃないよな」
「当たり前だろう。僕ならエースをぶん殴ってる」
「デュースはいちいち物騒なんだよ…」
学食を口に運びながらデュースを見ると、ヤンキー時代の表情が顔を出していた。本人は気付いているのだろうか。いや、気付いていても隠しはしないのだろう。
「……探す」
「は!?」
「探すんだよ。監督生のハンカチ。マブなんだから当然だろ」
突然卓をダン!と叩いて立ち上がってから、デュースはそう言った。
お前全く関係ないじゃん。監督生に影響でもされたの、なんて言おうとしたが、上手く言うことが出来そうにない。
「何だ?エースは探さないのか」
デュースが淡々と言う。
「…よ」
「あ?」
「いいよ、デュースは探さなくて。…そういうのは、オレのしなきゃいけないことじゃん」
オレは、デュースと目を合わせることのないまま学食を食べながらそう言った。その程度にはばつが悪かった。




その日の午後、エースは授業に来なかった。
あのエースのことだから気まずさで来なくなるなんてないと思うけれど、私は少しだけほっとした。
あの世界の形見のようなものに対して、少しだけ気持ちが整理出来ていなかったから。
いつも茶髪で遮られる右の視界が開けているのに、スースーとした違和感があった。
「バイバイ、デュース」
「ああ、また明日」
デュースと別れてオンボロ寮に一人で帰る。グリムは昨日の件から帰ってきていなかった。
「探したらダメなんだゾ!」と崩れた字の書き置きが残されて、一人で眠るハメになったのだ。
けれどテーブルの上に置いておいたツナ缶は無くなっていて、お腹が空いて食べにきたのであろうことが分かって微笑む。
「ふう…」
ソファに腰掛けて、古びた床が少しだけ軋む音を聞きながら目を閉じる。
色々なことを片付けなくてはいけないのに、少しだけ、眠い。


コンコン、と扉を叩く音で目が覚めた。
「監督生!」
エースの声だ。こんな時間に?
寝ぼけた目をこすり、癖がついてしまった髪を手で撫で付けながら寮の扉を開けると、そこには寝てしまったグリムを片手で抱えたエースが立っていた。
「グリムの送り?ありがとう」
「いや、そうだけどそれだけじゃなくてさ。…監督生、これ」
エースのジャケットのポッケからハンカチが取り出される。…間違いなく、私の。
「…見つけたんだ」
「そうだよ。めちゃくちゃ探したし、なんであのタイミングでこのハンカチ持ってたんだよ監督生」
「理不尽な……私のために?」
「んなわけねーだろ。オレのため」
「ふーん」
その割には肩に葉っぱがついていたり、手袋は汚れていたり、参ったような顔をしているけれど。きっとそう言うとエースは怒るから、私は「エース、ありがとう」と返事をした。
ただの感謝というにも思ったより口角が上がってしまったし、ほっとして体の力が何故か抜けてしまったし、というかそもそもこれエースのせいだし、そんなことを言いたかったけれど口は動かなかった。
エースからグリムを渡され、腕にずっしりとした重さがかかる。
「…別に部屋くらいまでなら運ぶけど?」
「いいよ、私が運びたい」
今日のエースはなんだか優しい。飛ばされたハンカチに少しだけ感謝だ。
グリムのリボンも、エースの服と同じように少し汚れているのに気付く。
「グリムも探してくれたんだね」
「不貞腐れてたけど」
「グリムらしいなあ」
時計を見ると、もう11時を回っていた。
どうやら寝すぎたようだ。
一体時間エースは探していたんだろう。ぶっ続けというわけじゃないとしても、結局は他人の私のために。ああ、「自分のため」だったっけ。
本当はなんでそんなに探してくれたの、とエースの薄く染まった頬に笑った。




「門限大丈夫?」
「あー…もう寮に帰っても怒られるし。監督生、泊めてくんね?」
「仕方ないなあ」
いいよ、と監督生がいつもの笑顔で言う。 ああこういう会話してたな、オレたち。
一日二日くらいしか離れていなかったのに、久しぶりに息を吸ったような感覚になる。
「あ、エースもベッドで寝る?」
「一つしかねーじゃん」
「いや、だから二人で」
「…あのさあ、分かって言ってんの?」
「うん」
今度は、イタズラでもするみたいに笑う。 本当によく笑う奴だ。
悲しくても、嬉しくても、辛くても、楽しくても、いつだって笑顔を作ろうとする。
「はあ…いーよ、パス。ソファで寝る」
「なんだあ」
まあそう言うだろうと思ってた、と監督生はへらりと言う。そのとき、短い黒髪から赤い耳がちらりと見えて、咄嗟にオレは目を逸らした。
「じゃ、おやすみ、エース」
「はいはい、おやすみ。――また明日」
「うん?何突然。早く寝なよ」

――分かって言ってんの?―――うん。
いーや、分かってないね。監督生は、全く分かってない。
オレがどれだけお前のことが好きか、何一つ分かってない。

昨日の朝の会話。昨日、気が立っていたのはそれのせいだ。

『監督生、本当に帰んの?』
『そりゃ当たり前じゃん』
『…あっそ』
『なにその顔、淋しいんだ?』
『うっせーな』

淋しいに決まってんだろ。
この学校きたときからずっと一緒にいて、なんだかんだ乗り越えて。恋とか面倒だったはずなのにこんなになって。
オレのものにしたい。前の世界なんか捨てて、隣にいればいい。
そのくせ帰らせてやりたいし、帰る手段が見つかったときには全て壊してしまいたいと思う。
正直元の世界の残り香であるハンカチなんて見つからなくていいんじゃないかとすら思った。でも、お前は一人で泣くから。そういう感情で泣くとき、お前は縋ってくれないから。だから探した。
そう言ったらなんて言うんだろう。お人好しな監督生のことだから、「探してくれたのには変わりないよ」とでも笑うのだろう。

『エース、』

ああクソ。

『ありがとう』

ハンカチ一つであんな顔をするのか。
自分の触れられないところで笑う監督生は相変わらず可愛くて綺麗だった。それがどうしようもなく悔しかった。
それなのにお前のそういう表情に舞い上がる単純なオレの気持ちなんて、一生分からねーんだろうな。お前、酷い奴だもん。
額に右手を重ねる。そこで初めて自分の手が冷えていることに気付いた。ああ、監督生なら「ならエースは心が暖かいのかな」なんて、

「バカみてー…」

寂れた寮では音が響くことなんてなくて、オレの声はそのまま小さくなって暗がりに消えた。
あのさ監督生。オレ、お前のこと好きだよ。
何回「また明日」って言っても同じ言葉を返してくれないお前が好き。未来の話をしてくれないお前が好き。オレたちには踏み込むのに、踏み込ませてくれないお前が好き。
今のところ、ギリギリまだ隠せそうだから言ってやらないけど。どうしようもなくなるまでちゃんと隠すからさ。だからちゃんと、オレがどうしようもなくなる前に「またね」なんて心にもないこと言って帰ってよ。
一生待つからさ。
そんで、「仕方ないなあ」って困った顔しながら帰ってきてくれば良いんだ。