dunno


 敵の振り下ろした巨大なハンマーがグムを殴りつけたのは一瞬の出来事だった。
 扉を盾に防いだものの、その力量差は圧倒的で二撃、三撃とハンマーが当たるたび、グムが押されていく。血の気が引く光景のはずなのに、ズィマーの身体はどくんと血が沸騰したように熱くなる。頭が割れそうに痛い。
 アイツを、倒さなければ。
 殺さなければ。
 グムが、アタシの“仲間”が殺される。
 思考が張り裂ける。獣の咆哮を上げ、ズィマーは敵の懐に飛び込んだ。





 アタシは戦場に立っていた。砂煙が風で巻き上げられ視界は悪いが、敵の気配はもうしない。そのことに安堵しながら目を凝らしてみると武器として使っていたはずの斧が遠くの地面に突き刺さっているのが分かった。
 拾いに行こうと一歩踏み出したとき、足がガツンと何かにぶつかった。

「……ん?」

 しゃがみこんで確認すると、それは鉄でできた扉だった。グムがいつも持っていた、金庫の扉を改造した盾。その持ち手にはいつものように細くて小さいグムの手が添えられていて、けれどもその先が____肩から先がなかった。スッパリ上着ごと綺麗に切り取られ、砂の上に転がっている。

「ぐ、む」

 ならばここにないからだはどこに行ったのか。這いつくばるようにして手を必死で動かす。「グム!グム!」叫びながらグムを探した。
 砂の中に紛れていた破片で切ったのか、手がズキズキと痛み始める。鬱陶しくて犯人を掴むと曲がった細い金属と、それに付着していたであろうガラスが顕になる。その粉々になった物体に見覚えがある。アンナが、……イースチナがかけていたモノクルに似ていた。大人しくても腕っぷしの強い彼女が黙ってやられるとは思えなかった。グムと、イースチナと、二人分の姿を探す。
 そのうち見慣れた軍服の裾を発見したアタシはそちらに駆け寄った。彼女____ロサは唯一うつ伏せに倒れていた。身体のどこにも欠損は見られない。ロサだけでも助け起こそうと、その顔を覗き込んだ次の瞬間、手を離していた。支えをなくしたロサが倒れる音が響いた。

「なあ」

 振り返るとそこには不敵に笑う少女がアタシを見ていた。セミロングの黒髪に赤いメッシュ。熊のように丸みのある耳。セーラ服を模した服にコチニールレッドのカラータイツ。紛れもない『ズィマー』だった。
 けれどアタシであってアタシじゃない。どこまでも似ていながら刺々しい敵意が自分に向けられているのを感じてアタシは身構える。その行動を嘲笑うように『ズィマー』はロサを指で示した。

「アレ、オマエがやったんだろ」

 絶句することしかできない。彼女の顔は原型を留めないほどぐちゃぐちゃにされていた。一瞬見ただけなのに頭にこびりついて離れない。あれを自分がやったなんて、到底納得できなかった。だってロサは守るべき仲間だ。

「ちがう! アタシは……!」
「違わねえだろ。現にオマエの仲間はこうやって死んでる。それに自分の手、見てみろよ」

 言われるがままに視線を落とす。アタシの手は赤黒く、ガラスで切ったにしては歪な、まるで何度も何度も何かを殴って擦り切れていた。染みついているのは赤だけではない、ぶよぶよした肉の破片からはみ出した黄色いものは____

「結局、ロサのこと許せてないんだろ? だからこうやって殺した」

 アタシの顔をした悪魔が笑う。その笑いはどこか苦しそうだった。

「聖人にでもなったつもりでいたか? 何人も殺したオマエが、そんな慈悲深くて優しい人間になれるわけねえって。みんなが死んだのはオマエのせいなのに、なあ、ソニア」
「黙れ!」

 これが夢なら、早く覚めるべきだ。
 アタシはぼろぼろになった拳で『ズィマー』を殴りつけた。





 ぱち、と目が開いた。見慣れた白一色の世界に加え、固さのあるマットレスに寝ていたことからここがベッドの上であることを確認した。息を吸い込むと医療機関特有の鼻を刺す薬品のにおいがしてズィマーは顔をしかめた。

「おはようございます! 目が覚めましたか、気分はどうですか?」

 ズィマーの視界に顔を覗かせたのは医療オペレーターだった。髪とお揃いの紫色の瞳が元気いっぱいにこちらを見つめている。

「……最悪だ」
「ちゃんと意識があるようで何よりです! 皆さんにご連絡しますね」

 的確な判断を下した彼女の足音がパタパタと遠ざかっていく。残されたズィマーは再び真っ白な天井と向き合うことになった。

 悪夢を見るのはいつものことだった。レユニオンに学校に閉じ込められ暴動が起きたあの日からズィマーを、そしてウルサスの子供たちを苛んでいる。カウンセリングと称した調査も行われていたが、根深い傷は簡単に癒えない。
 そんな仲間を守るには居場所が必要だ。ズィマーが強くなって、ロドスにとって必要不可欠な存在になって、そうすれば泥沼のような過去から仲間を解放できるかもしれない。いや、きっとできる。彼女はそれを信じて、それに縋っていた。

 医務室の扉が開く音に耳が反応する。入ってきたのはグムでもイースチナでもロサでも医療オペレーターでもない、ズィマーにとって意外な人物だった。

「指揮官がわざわざ足を運ぶなんて珍しいな、Dr.なまえ」
「指揮をとっていたのは私だからね。オペレーターの怪我は私の責任でもある」

 なまえはロドスの印が入ったジャケットに黒いフード、つまりはいつもと変わらない装いだった。入室してまっすぐズィマーが横になっているベッドの傍にやってくると、彼女の顔を覗き込んだ。相変わらず覆面で隠されている顔から表情を読み取るのは不可能だったが、ドクターから不気味さや恐怖を感じることはなかった。

「こんなもん大したことねえっての」
「それなら一安心だね、____ところでお腹空いてない?」
「は?」
「ご飯食べに行こうよ」

 ぐいぐいと袖を引かれてぎょっとする。
 病みあがりのヤツを引っ張るんじゃない。
 ズィマーが苦言を呈すればドクターは手を離したが、じっと訴えかけるような視線を寄越してくる。諦めて、渋々ベッドの上から降りることにしたのだ。



 ドクターに連れられズィマーがやってきたのは食堂だった。まだご飯には早い時間だったため、自分たち以外に人はいない。てっきりロドスの船の外に連れて行かれるのかと思っていたズィマーは拍子抜けしながらも首を捻る。

「飯にはまだ早いんじゃねえの? そんなに腹減ってんのか」
「ズィマーに見せたいものがあってね」

 なまえが示した方向はキッチンだ。カウンター越しに野菜を切っているグムの姿が目に入る。トントンと包丁とまな板が触れ合う小気味良い音とスパイスの香りに、それほど空腹状態でなかったズィマーも気付けばごくりと唾を飲み込んでいた。何か胃に入れてもいいかもしれない。
 ズィマーは空いていた席にドクターと対面に座った。やや経ってトレーにバスケットを乗せたグムがこちらにやってきた。

「ズィマーお姉ちゃん! と、ドクター! 怪我はもう大丈夫なの?」
「ああ、もうすっかり元気だ」
「よかった! あのね、グム、クッキー作ったんだよ。よかったら食べて!」

 グムは茶色い紙袋をズィマーに手渡すとドクターに向き直った。

「はいこれ! サンドイッチに、それからグム特製の野菜がたーっぷり入ったスープ! サンドイッチはマッターホルンおじさんが作ってくれたの」

 サンドイッチの具は肉厚なハムとチーズ、甘辛く煮た肉、それからふわふわの卵もあった。その全てに瑞々しいレタス付きである。パンの表面も少し焼いてあるのかチーズはとろけてはみだしていた。

「ありがとう、マッターホルンにもよろしく伝えてね」
「うん! じゃあねー!」

 グムは元気に両手をぶんぶん振ってキッチンに戻って行った。

「本題に入るんだけどね。見せたかったものって、グムのキッチンでの姿なんだ」
「どういうことだ?」
「ズィマーは、グムがキッチンにいるとき何が起こったのか全部見ている、なんてことはしないでしょ?」
「まあ、そうだな」
「私は出会う前のズィマーのことも、グムのことも知らない……正確にはいくら書類上でこれまでの出来事を把握しようと話を聞こうと、その場にいなければわからないことが絶対にあるから知ってるとは言い切れない。
 つまりね、四六時中何かを守ったりその全てを傷つけないようにするのは不可能なんだ。いくら大切にしたっていつの間にか割れていることもあれば自分のもとから飛び立ってしまうことだってある。
 それでもときにグムを羽ばたかせるのは、彼女の自主性を尊重すると同時に、信頼しているから。

 ……まあ、長くなったけどロドスは君たちが君たちでいられる場所でありたい、そう思っていることを伝えたかったんだ」

 それはズィマーがずっと抱え込んできた「仲間を守る居場所」に対する答えなのだろうか。ドクターに、そして他のオペレーターに溢したつもりはなかったが、最適解を投げつけられて困惑していた。ウルサスの冬将軍と呼ばれ、イースチナと出会うまで一匹狼で活動していたズィマーは未だに他人に頼ることに慣れていない。いざ直面してみると、こんなときどうしたらいいか分からなかった。
 俯き、何も言葉を発さないまま立ち上がったズィマーにドクターは声をかける。

「今度演習終わったらラーメン食べに行こうよ、今丁度近くに美味しい店があるんだ」
「……なんだそれ」
「私がズィマーとご飯を食べたいだけ」

 打算も下心もない一言にズィマーの顔がぱっと上がる。すぐに後ろを向くと紙袋を大事に抱えた彼女は部屋へと戻って行った。





 山のように借りた本を抱えて部屋に戻ってきたイースチナは、部屋に流れている音楽に耳を済ませた。

 確か子ども向けアニメの主題歌でしたね、アイドルが歌唱しているとかでロドス内でも話題に____グムが聴いてるんでしょうか?

 本を机の上に置いて一息ついたイースチナは、椅子に腰掛けたまま微睡んでいるズィマーを発見した。曲はつけっぱなしのラジカセから零れていたらしい。クッキーをつまみながら寝たのか、袋の口が開いたまま膝の上に置かれていた。イースチナはそれをそっと持ち上げ、丁寧に閉じる。代わりにベッドから毛布を取り上げズィマーにかけた。

「今日は冷えるそうですよ」

 風邪、引かないでくださいね。
 そう呟くと、イースチナはズィマーの向かい側の椅子に座り、山の上の一冊を取り上げ黙々と読み始めた。冬の午後、ポップな音楽に推理小説のページを捲る音が混ざり始めた。
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