旅の終点地


それは息を吸えば、セシリアの花の香りに包まれているような心地よさを感じるくらい澄んだ日だった。
旅をするといって世界に夢中になったモンドに帰らなくなってしまった私の好きな人。彼が伝書鳩で、世界の素晴らしさを説いてくれる手紙を家で毎日待っていた。
世界なんて興味ない。私は一生モンドを出るつもりなんてないけど、彼と一緒なら遠くに行くのも悪くないかもしれない。二年も続く彼との顔を合わせない声もしない文字だけのやりとりなのに、私は寂しくなかった。むしろ、毎日わくわくしていた。彼の目を通してみる世界に。

鼻歌を口ずさみながら、愛鳥が彼の歩む世界について知らせに来るのを待つ。待つ。待つ。待つ。待つ。待つ。待つ。

それなのに、一週間経った今でも私の愛鳥は楽しげな鳴き声をもたらすことはなかった。
知り合いに手伝ってもらってあらゆるところを探した。でも、私の愛鳥は可愛い顔を覗かせようとしない。

「え、奔狼領に行くって?」

「えぇ、モンドは隅々まで探すつもりよ。奔狼だってモンドじゃない」

その言葉にずっと一緒に探すのを手伝ってくれた友達はさっと顔を青ざめ、そそくさと探すのをやめてしまった。奔狼領はヒルチャールやスライムがたくさんいる。さらにはそこを縄張りとする狼もいる。つまり、冒険者協会やら騎士団のもの狩人以外は入りたがらない。

「それに変わった狼もいるらしいよ。なんでも人間なのに狼のように生活してる男の子。そいつに絡まれたら狼の仲間にされるらしいよ。最悪、食べられちゃうかもね」

半笑いでいった友達は無視。そんなのどうだっていい。狼なんかどうでもいい。私が仲間にされようが殺されようが愛鳥さえ見つかればいい。死ぬよりも彼の手紙が見れない方がずっとずっと嫌だから。

私は奔狼領へとその日のうちに向かった。
奔狼領は噂でいえばスライムやヒルチャールが多くいるはずだ。しかし、どれほど歩いてもそれらに鉢合うことはなかった。ただ、そよ風になびく木々の囁き声と狼の遠吠えが聞こえるだけ。人間の介入を防いで出来上がった自然。しかし、自然はあっけなく終わる。私の目の前に男の子がいたからだ。
灰色の髪、被り物の中から狼の耳のような髪が一房出ている。

「......」

パチリと合った血のように赤黒い瞳はなんだが怖い。こちらを警戒してるような瞳だった。このこが噂の狼少年のようだ。

仰け反りそうになるが、ふんと堪えて私は震える声で彼に話しかけた。心の中ではあんな大口を叩いたけど、こうして噂の狼少年に会ってしまえば、緊張する。

「こ、こんにちは。えっと、ここには探し物にきたの。あなたたちの生活を害するようなことは決してしないから」

「探し物......?」

彼は私の言葉をゆっくりゆっくり口の中で噛み砕いて、ようやくその言葉を発した。

「ええ、伝書鳩。えっと、白くて小さくて首元にピンクのリボンをつけてるの。足に紙を巻きつけてる」

「......それなら、見た」

「え」

「こっち」

端的に彼は言うと、森の中をさらに奥まで歩いて行った。私も慌てて彼を追いかけた。そして、私は目を見張った。白くて小さくも首元にピンクのリボンもつけていない。黒くてゴツゴツしている。愛らしさの一つもない。そして、彼はほんの少し眉を下げて私を見た。

ああ、つまりそういうことだ。
もう、かなり経つしそもそも伝書鳩は元は手紙を届けるための生物ではなく、巣帰りという習性を利用させているだけである。つまり、帰ってくるはずなのに帰ってこないということはそういうことだ。
予想はしていたが、実際に愛鳥の墓場(石に囲まれて、棒が突き刺さり誰にも踏み荒らされないように仕切っただけの簡易のもの)を目の前にすると、くるものはくる。

「.....どうして、どうして見ず知らずの鳥の墓を作ってくれたの。あなたは狼の仲間よね?生きるために食料は必要じゃないのかしら?」

いっそ彼らが食べてしまえば楽になったのかも。死が予想にちらつきながらも死体が見つからないからと希望的観測して、ずっと死ぬまで探せればよかった。そしたら、誰かに喰われたのかもという捕食者を憎めばやるせない感情からも解放されただろう。それなのに、悪い噂の立たない彼がこうして私の鳥の墓を作ったら、誰も憎めない。ただ、惨めに泣くことしかできない弱い生物でしかなくなってしまう。

「......匂いした。人間の匂い。だから、食べなかった。オレたちも自分の仲間食べられたら悲しい」

鼻の奥がつんとした。私の愛鳥の友達は食料として狩られていった。その度、もしかしたらこの子も狩られてしまうのではという恐怖があった。それなのに、彼は食べなかった。

「.....そ、そうよね!!あなた、わかってるじゃない!冒険者野郎とは違うわ!あいつらは鳥が目前に飛ぶたびに殺してる野蛮で才の奴ら。自分だけの欲だけで生きている最底辺の生き物。悪口を言われるにはああいうやつらこそお似合いってものよ」

「......うう」

彼は私が突然早口で喋り出したことにびっくりしたみたいで、困ったような顔をして小さく唸った。そして、たどたどしく言葉を発する。

「その鳥、足に紙巻いてた。
オレだと失くす。だから、クレーが持ってる。
このお墓もクレー、作った。オレ、手伝いした」

「クレー......西風騎士団の火花騎士様のことかしら?」

「ああ。今なら、星落としにいるかも」

「星落としの湖?」

火花騎士様の管轄下なのかしら。まぁ、そんなことはいいわ。レザーと共に私は星落としの湖へと向かった。

- - - - - -

「あれ、レザーだ!!!」

とことこと小さな足を動かして、こちらに走ってくる少女。たまに窓の外から走り回ってるクレーを見たことはあるがこうして正面で彼女を見ることは初めてかもしれない。なんというか太陽みたいな少女だなって感じがする。

「こんにちは。火花騎士さん。あなたが私の鳥のお墓を作ってくれたんでしょ?それのお礼を言いに来たの」

クレーの目線と合わせるために屈んで、そう言うと大きな瞳がさらに大きく見開く。

「あなたが鳥さんの!?よかったー!もしかしてお手紙を探しに来たの?」

「うん。彼、レザーが教えてくれたの。クレーちゃんありがとうね」

「ううん!鳥さんが大事そうにしてたから。お姉ちゃんに渡せてよかったよ」

クレーは背負っていた赤い鞄を下ろすと、小さな紙切れを取り出した。そして、私に差し出した。その紙切れに書かれていたのはいつも見ていたあの子の文字だった。ぎゅっと手で優しく抱きしめた。

『元気か?

最近は雷雨が稲妻っていう国くらい(といってもあそこは今の俺じゃあ、入国できるような場所じゃないから実際にそうなのかは知らないけど)激しくて手紙が遅くなってごめんな。

雷雨は正直苦手だが、世界はいつも寛大な心で、雨で地を荒らそうが雷が木々を痛めつけても、受け入れてる。

雷雨はまた違った美しさってものがあんだな。そういう当たり前かもしれないことに気づくたびに俺はモンドから出てよかったって思えんだ。

なぁ、お前と旅をもしできたら世界はどんなふうに見えるんだろうな。

きっと一人の時とは違った世界がまた見えるんだろうな。

お前は嫌がるかもしれないけど、やっぱり俺はお前と』

そこで手紙は終わっていた。否、文字が赤や土で擦れて見えなくなってしまっていた。でも、最後の言葉はなんなのか私には理解できる。そして、私が彼に返す返答も決まっているのだ。

「お姉ちゃん......?」

クレーが悲しそうな顔で私を見ていた。レザーも隣でギョッとした顔をしている。ああ、今日知り合ったばかりの二人になんて心配をかけてしまうんだ。それなのに顔は歪んだまま。時間が経てば正そうと思ってもどんどん歪んでいく。声も体も歪んでいく。二本の支えが崩れ落ちようとしたときに、何か優しいものが私を包み込み、新たな支えとなった。

「......な、れ、レザー?」

「オレ、喋るの苦手。だから、お前になんて言えばいいかわからない。でも、クレー、オレの髪に触れると喜ぶ」

レザーはもふもふとした狼の毛並みのような髪で、私を抱きしめていた。言葉が下手なりに私を元気付けようとしてくれたのだろう。もふもふと優しさに安心して、寒い日に母が作ってくれた温かいシチューを食べているような感覚がする。

「あ!お姉ちゃんだけずるい!!クレーもレザーのもふもふほしい!」

「わっ!」

クレーは私とレザーを抱きしめると幸せそうな笑顔を浮かべた。
そして、私たち三人は星落としの湖でしばらく寄り添いあっていた。ずっと街の中で過ごしていた私には味わえなかった開放感とちょっとだけどこかほろ苦くて泣きそうだけど温かい感覚がした。

- - - - - -

「二人ともありがとう。元気がでたわ」

「元気出て、よかった」

「ううん!久しぶりにレザーのもふもふ触れたし、お姉ちゃんともお話しできて楽しかったよ!今度はクレーたちと遊ぼう!」

「ええ、もちろん。......でも、私モンドをしばらく離れることにしたわ」

「え!お姉ちゃんいなくなっちゃうの?」

「うん。ちょっと旅に出ようと思うの。彼を探す旅に。愛鳥がいなくなった今、彼と繋がるには私が動かないといけない。愛鳥がどれくらい危険な道を通ったのかも経験してみたいし。
私鳥になって世界を羽ばたくんだ。そして、この手紙の返事をしてあげるんだ。きっとあいつ声も出せないくらい驚くんだろうな。ふふっ」

「そっか、お姉ちゃんも人を探しに行くんだね。それなら、クレー止めない。寂しいけど、お姉ちゃんの恋人紹介してね!そして、みんなで遊ぼうね!」

「うん、気をつけて」

「レザー、クレーありがとう。あはは、恋人か。
......うん、いつかね」

二人と別れて、私は一度自宅に帰る。窓の外を見れば、毎日手紙を待ちわび見ていた空は、キラキラと外の世界の素晴らしさを必死に教えとこうとしていたが私を口説き落とせなかったことを残念がるように、いつもより輝いては見えなかった。

きっと彼の目からではない世界は私にとってはなんの意味もないのだ。

もう、この場所に帰ってくることも彼が私の恋人になることもない。

旅は始まってはいない。もう、終わっている。

必要な荷物をまとめて、モンドにそびえる外門を出ようとしたとき、さきほど別れたばかりの二人がいた。

「あれ、レザーにクレー。もしかして、お見送りしに来てくれたの?」

「うん!お姉ちゃんまた会おうね!」

「おまえ、友達。また、会おう」

「ええ、また会いましょう!ありがとう!」

終点が見えなくなって世界に疲れたとき、私が戻ってくる場所はきっとここだろう。
二人に手を振って、私は外の世界に最初の足跡をつけた。風が私の背中を押して、これからの旅を鼓舞してくれる。

ああ、ずっと知ってたはずなのに。

「___モンドってこんなに温かい場所だったんだな」
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