星合い
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完全に陽が沈んだ宵の刻、ヒナタは仄かに月の光の差し込む薄闇の中、手元の灯りのみを点けて、文机に向かっていた。
机に重ねられた文の、上から3番目、割と最近送られてきた便箋を引き抜き、慣れた手付きで中身を開く。
珍しく、悲観的な事柄が書かれておらず、ネジに至っては稀有であろう、軽くジョークを交えた内容がどこか彼女の気を引いた。
何度見ても、文面に新たな変化はない。
それでも、既知のものであっても、一文字一文字、飛ばさぬよう慎重に、ヒナタは馴染みの堅苦しい筆跡を目で追う。

――毎度、変わり映えないですが……相も変わらず、こちらは雪景色です。かなり冷えますが、大丈夫、慣れました。

「ゆき……見てみたいな……」

文字を追うのを止めて、薄闇に呟きを漏らしたヒナタは、ネジの字を透かして、其処に異国の雪景色を想像してみる。
木ノ葉では、気候的に降雪することは稀であるから、ネジの言う話には些か興味があった。
ネジの見ている、その景色を。
――それは、どんな雪なの?

木ノ葉に積もる雪とは、違うの?
触ると、どんなに冷たいの?
兄さんの温かい指を、冷やしてしまうの?
ねえ、教えて――。

文面からは、それがどんなものなのか、分からない。
こんな真夏に、雪の話をしてくるネジが、面白くて、詰まらない。
――だってもう、何十回も読んだんだもの。

「にい……さ……」

ああ、分からない。
あなたのことが、まるで分からない。
あなたが毎日何を見て、何をして、何を考えて生きているのか、こんな手紙からではちっとも分からない。
少し前までは、当たり前のように、近くにいたのに。
“内緒ですよ?”って言って、和菓子屋さんのお餅を沢山買って来てくれたのに。

ヒナタに頗る甘い、優しい従兄は、ある日突然、里を出てしまった。
ヒナタに別れを告げる暇もなく、黙って任務地に赴いた。
一人ヒナタを置いて来てしまったことを、唯一つの気掛かりと言うように、後日届いた彼からの手紙は、その悲観に喘ぐものだった。
約束していた水羊羹、一緒に食べに行けなくてすみませんと。
“この続きは明日”、と言っていた修行が、随分と先延ばしになってしまったことを、許してくださいと。

そしてそれらは、離れた所にいるネジへの思慕を、余計に募らせた。
余計に寂しくて、ネジの温かな声や眼差しが恋しくて、どうしようもなくて。
だから――。

十の手紙を貰うより、一目でも、会いたかった。
七夕の夜に帰って来るネジを、思いっ切り抱き締めて、“おかえりなさい”と言いたかった。

ネジとしたいことが、沢山あった。
裏山に登って、二人で天の川を見上げたかった。
細やかな笹飾りだけれど、一緒に短冊を書きたかった。
和菓子屋さんの、水羊羹を、一緒に――。

「……にいさ……」

手紙にぽたぽたと雫が落ち、滲んでいくインクを見、ネジも泣いているように思えた。
身に覚えのないことで、急に遠方に飛ばされて、一番辛いのは、他でもない彼だから。

愛しい筆跡を、指先で撫でる。
今は届かない人の、温もりを感じようと、何度も文字を辿る。
ヒナタ、と書かれた角張った黒い文字は、そのまま、自分をいつも優しく呼ぶ、彼の声であった。

――……オレがいないと、泣いてはいませんか? もう少しで戻れますから、どうか我慢してくださいね、泣き虫さん。

普段はさっぱり言わない冗談が、遠く離れた所にいるヒナタを、確かに気遣っていた。
真面目なネジなりの、最大限に砕けた文面に、ヒナタは反論することなく、縋り付く。
そうなの、泣き虫なの、と。
そうしないと、心が壊れてしまいそうだった。

ネジ兄さん、わたし、泣き虫だから。
だからお願い。

もう、これ以上、ひとりぼっちにしないで――。





「姉上」

唐突に、部屋の外から妹の潜めた声がした。
体を丸めて、咽んでいたヒナタは、口から止めどなく出ていた嗚咽を呑み込み、持っていた手紙を咄嗟に机の下に隠す。
こんな時間に部屋を訪ねてくることは、珍しい。
ヒナタが返事に戸惑っていると、ドアの外の気配もまた、何も言わずに待っていた。
何か、あったのだろうか。
疑問に思うままに、濡れた顔を拭うと、ヒナタは静かにドアに近付いた。

















――ネジが今宵、木ノ葉に戻るというのは、本当です。

淡々と、一切の感情を込めずにそう告げる従者を、息を呑んでハナビは見上げていた。

――北方での任務は、完遂しました。しかし、ネジはこの後、また直ぐに遠方の他国へ向かう旨を言い渡されておりまして……。明朝には、里を発つ予定です。

抑揚のない声が、直接頭の中に響くようで、だがどこか、薄い膜を隔てて遠くの方で聞こえるような気もする。
しっかりとしたようで朧げな言葉、一語一句聞き逃すまいと、静かな声に集中する。
こんなに重大なことを、どうしてここまで冷静に話せるのかと、少しの憎々しさも、向けながら。

――その為、ヒナタ様が改めて知る必要はないと、ヒアシ様はご判断され……すみません、ハナビ様。

淀みなく話していた弁が、不意に途切れ、ハナビの見つめる彼が、瞑目し首を垂らす。
コウの口にする、彼の主人の名に、やはり、またあの父がと、ヒアシの関与を認め、ハナビは自然に眉間に力を込める。

――命令とは言え、偽りを申しました。しかし……やはり、お耳に入れた方が宜しいかと。

どうされますか、と僅か十ばかりのハナビを仰ぐ、コウの態度は、当然のことのようでいて、中々出来ないものに思う。
冷静ではあるが、こんな風に誠意を込めて、遥かに年下の子供に傅くのは、立派だと言える。
しかし、今考えるべきなのは、彼のそんな大層な態度のことではなかった。

ネジが今宵、帰って来る。
知っていながら、それを意図的に伏せたヒアシは、どうあっても二人を会わせる気はないらしい。
――あの石頭。
本当に汲むべきなのは、娘の気持ちだと言うのに、こうなったらもう、“此方”も手段を選んではいられない。
コウは、何もハナビに“橋渡し”になれと、嗾けてはいない。
だがそれでは何の為に、自らが危険な立場になるのも厭わずに、ハナビに密事を晒したのか。
その“意味”が、ハナビには解っているし、誰に言われずともそうするつもりだ。

――決まっている。

それが、ハナビの答だった。
雲一つなく晴れた夜空に、天の川が美しく掛かる今宵、地上で引き離された二人を。
叶わない願い事を胸に封じ込め、ひっそりと笹飾りを作っていたヒナタを、何としてでも、ネジに会わせると。
迷いのない、力強い意志を込めたハナビの双眸に射止められたコウは、それをよく見極める風にじっと見返した後、黙って頷いた。

――……分かりました。裏門の方を開けておきますので、其方にヒナタ様とネジを……。結界が張られていますが……少しの間なら、何とかします。

それは、主に忠誠を誓う彼の、全うな裏切り行為だった。
さっきから、ヒアシの命に背いて秘密を話した時から、彼は抗っていた。
その意味に、彼の口にする、主に知れては到底穏便には済まされない言葉に、直ぐに気付いたハナビは瞠目する。
如何に自立した、宗家の次期跡取りとなる少女も、不意を衝かれては、格式高い宗家の威厳は、ついて来ないようだった。
途端に、年相応のあどけない表情になるハナビに、幾らかコウの表情も解ける。

――私も、ハナビ様と“同じ”です。二人には……色々と、辛いことが沢山ありましたから……。幸せになってもらいたいと。

優しく緩められた瞳の先には、呆けたように視線を寄越すハナビと、きっと、手を取り合って笑う、幸そうなネジとヒナタの姿が描かれていた。
たった一人で、ヒアシに立ち向かおうと画策していたハナビの、思いもよらぬ味方へと、彼は自ら名乗りを上げた。

ハナビ様にだけ、お叱りを受けさせるわけには、参りません。
そう言って頼もしく笑うコウに、ハナビも釣られて、口の端を上げた。

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