Vampire
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 夜は益々深くなって、刺すような静けさに辺りは包まれていた。虫一匹の気配さえしない木立の中に、身を潜めて、そうしてこれからのことを永久に忘却ほうむっておきたかった。
 緋色に染まった手が恭しくリーの両手に包まれている。獣のように息を乱しているが所作は、元来のリーそのものだ。まだ本能と理性が拮抗している。鋭い牙を時折ちらつかせながらも大人しく舌を這わせる、人格と魔物の同居する異体に、ネジは震恐するというより不思議な気持ちになった。
 甘さの滲み出る傷口に、舌を押し当てて、リーは無我夢中で舐め取った。手首に垂れる筋があれば追い掛けて、欠片も残さず丹念に舐め上げた。
 そうして味わって、ああ、やはり後悔したのだ。言い知れぬ充足感は、確かにリーの体に心地よく滲み渡っていくけれど、波が引くように直ぐに乾いて、欲望は底なしのようだった。その微々たる補給が引き金となって、却って喉が焼き爛れるほどの口渇感に苛まれる。
 もう、出血の収まった綺麗な手元に、それでも名残惜しげに舌を這わせる。これ以上何も望んでは、してはいけない。ならばせめて、痺れるくらいの甘い余韻を最後まで。
 苦しげな吐息に肌を撫でられて、舌で執拗に嬲られ続けて、ネジは時折身を震わせては気付かぬほど静かに息をついた。濡れた肌を不意に牙で貫かれる予感にそうして耐えているのか、どこか恍惚とリーを見つめるその眼差しからは判別できなかった。
 その表情の幾らか下、軽く身動ぎして緩んだ襟元から柔らかそうな首筋が覗く。まるで発光するかのように、仄白く浮かび上がる様に、思わずと目が吸い寄せられて、リーは嬲っていた手から顔を離した。

「ネジ……もっと……もっと、君が欲しいです」

 其処にはもっと、紅い紅いものが勢いよく流れている。黒く濡れた瞳はネジを透かして、その内側にあるものをじっと見据えていた。
 そろりと身を寄せたリーに、驚愕に目を見張るその貌は今何を思っているのだろう。だが何を訴えるでもなく真率に此方を見つめ返してくる。ここまで焦らされ燻りつづけた熱がぶわりとリーの全身を駆け巡った。
 もっともっと、血が欲しい。この美しく誇り高き純血を。
――浴ビタイ。
 凶悪な感情が突如、リーの中で沸き上がって、鋭く豹変した犬歯を、無防備に晒されたネジの首元に突き立てた。

「……っ」

 ピタリと皮膚に押し当てられる感覚に、ネジが小さく息を吸った。それでも首の付け根に顔を埋めるリーを拒むことなく、じっとしている。
 捕らわれた非力な獲物の風情をして、その実ネジは僅かに逡巡したリーを見破っていた。

「構わない、リー」

 夜に紛れるように潜めたそれは、リーの耳元で鮮烈に砕けた。更にネジは顔を横に向けて自ら急所を晒す。冷静な声とその行動がどこかちぐはぐだった。そう頭に過ぎりつつも、先程よりもはだけた肌を見てリーの喉が鳴ったのも確かだ。
 修行中に時折感じるネジの匂いがした。もっと近くにいきたい――思うままにそっと抱き寄せて、ネジのほうに体重を掛けるとふたり一緒に地面に倒れた。
 リーの鼻先に、柔肉の下を流々と流れる血脈の気配を感ずる。首のいちばん、血が濃く集まるところ。ああ、ずっとこれが、欲しかった。探るように唇で甘噛みして、舌を這わせれば、ネジの体がピクリと跳ねた。

「リ……リィ……?」

 甘酸の鬩ぎ合う間にネジが呼ぶ。一番柔らかいところを見定めて、リーは狂ったように何度も舐め上げる。この皮膚の下であたたかく脈打つものが切ないくらいに感じ取れた。もっと触れて、味わいたいと、リーが舌の先端をかたくさせれば忽ちネジが溜めていた吐息を吐き出した。
 傍らの荒ぶる息遣いに肩を震わせながら、一向に血に染まる気配のない自身にどうしてだと、ネジは釈然としなかった。このままではリーがどうにかなってしまう――断続的に与えられる熱に朦朧としながらもやがて、そんな予感に突き動かされる。
 決意して腰のホルスターに滑り込ませた手を、一瞬にしてリーの手が捕らえた。傍に弾み落ちたクナイをもう二度と握らせない、そんな意思を孕んでかネジの手指をしっかりと握り込んで、自分の胸元に持っていってしまう。 
“反撃”を封じられて観念したのか、暫くリーのベストを押し返していた手がほどけていった。今度は“歯”を使い兼ねないので念を入れてリーはそのまま握り込む。今ネジの血を前にすれば、多分もう抑えられない。

「――――……」

 熱くくぐもった声でネジを呼ぶと、この夜のすべてを償うように、リーは濡れた首元に唇を落とした。









――安易に血を流すな……自分も……相手も。
 火影執務室で聞いた、感情を殺した火影の囁きが、うっとりとネジを味わうリーの耳元を掠めていく。
 人血を吸い出す特殊な能力がある――と前置きした上で、呼び付けた二人に、彼女はその後ろ暗い任務を言い渡した。
 その体内を巡る血液は、最早毒のようなもので、常人とは相容れない。決して無用に触れてはならぬと、瞳を鬱々と翳らせて綱手は念を押した。
 それを、忘れていた訳ではなかった。点穴を見極めるネジを中心に事を運ぶ手筈になっていた。ただ、間合いを詰めたネジが襲われた瞬間リーは制約も、加減も何も分からなくなった。
 捕えたネジの喉元に突き立てんとする、悍ましい牙を見、力任せに顔を蹴り飛ばした。叫びに近いネジの制止も聞かずに、気付いたら相手の胸腔を拳で突き破っていた。





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