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TopMain沈黙の愛
文次郎さまの知り合いがこの家に訪れたことは一度もなかったものだから、文次郎さまが誰かを連れて帰ってきたとき、心底驚いてしまった。文次郎さまに担がれたその人はぐったりと脱力していて、ふわふわと柔らかそうな茶髪が揺れていた。
文次郎さまは些か雑にその人を床に転がすと、私に白湯を淹れてくれと言うので急いで湯を沸かしに行く。文次郎さまのちょっと呆れているかのような態度を見る限り、怪我人…ではなさそうな雰囲気であった。救急箱の用意は必要ないだろうかと思いながら白湯を淹れて戻ると、文次郎さまに叩き起こされたのか、横たわっていた人物が目を覚ましていた。

「いやあ、申し訳ない」

低く優しげな声で、へにゃりと彼は笑った。その毒気を抜かれてしまうような笑顔に、文次郎さまはぽかりと拳骨を落とす。色々と喋らせる前に殴るところを見ると、よっぽど親しい間柄なのだろう。呆気に取られている私をよそに、文次郎さまは厳しい顔のまま腕を組んだ。

「なんだってあんな所に倒れてたんだおまえは」
「ええっと…端的に言うなら、空腹で、かな」
「……いつもの流れか?」
「お察しの通り、いつもの流れだよ」

はあ〜っと文次郎さまは深いため息をつくと、私を見て「急にすまん」とバツが悪そうにこぼした。

「変な男を連れ込んで驚いたかもしれんが…おれの知り合いでな。放置しておくわけにもいかず…」
「いえ、そんな。放っておけないのは当然のことです」
「お邪魔してしまってすみません。……で、文次郎。一応訊いておきたいんだけれど、この方は…」

その人は文次郎さまの言葉に続いて私に深く頭を下げた後、どこか楽しそうな雰囲気を滲ませて文次郎さまを見つめる。文次郎さまは煩わしそうにその視線から顔を背けて、やがて低く唸るように呟いた。

「おれの…妻だ」
「わあ!やっぱりそうなんだ!まさか文次郎が結婚していたなんて、驚きだよ」
「うるさい…」
「白湯まで頂いて自己紹介が遅れて申し訳ありません。初めまして、善法寺伊作と言います。文次郎とは旧友といったところでしょうか」

善法寺さまの自己紹介に慌てて私も居住まいを正して名乗る。旧友、と言っただろうか。そう言われて思いつくのは文次郎さまの出自のこと。詳しくは存じ上げなかったが、文次郎さまが忍術学園の出身ということだけは知っていた。旧友…級友、か!なるほど、と私は辻褄の合った情報に手を叩く。

「善法寺さまも忍術学園のご出身なんですね」
「あれ、忍術学園のことご存知なんですか」
「私も父が忍者でして」
「なるほど、そういうことでしたか」

事態の把握と自己紹介、ある程度を済ませたところで見計らったかのように、ぐうと腹の虫が鳴く。自分ではなかったので見渡すように顔を上げると、善法寺さまが照れ臭そうに頭を掻いた。そういえば先ほど空腹で行き倒れたと言っていたような。

「ちょうどお夕食を作っていたところなんです。善法寺さまもいかがでしょうか」
「ええ?でも…」
「構わん。またそこらで倒れられても迷惑だ」
「文次郎〜!ありがとう」
「ったく…、こういうのはあいつの役目だろう」

何かぼやいた文次郎さまに、善法寺さまがどこか懐かしそうに笑うものだから、私はそっと台所の方へと移動した。級友の再会を邪魔をするのも悪いと思ったのだ。聞こえてくる文次郎さまのどこか意地の張った声に、ひっそりと口角を上げながら私は夕餉の準備を進めた。

夕餉の準備が整い、気を利かせてくれた善法寺さまにも配膳を手伝ってもらう。料理が一頻り並んで全員で囲むと、文次郎さまが手を合わせていつもの食前のことばを唱え始める。善法寺さまは文次郎さまのそれに「久しぶりに聞いた」と小さく吹き出した。
いただきます、と声を揃えて箸をつけ始める。口に合うか心配ではらはらしながら善法寺さまの様子を窺っていると、味噌汁に口をつけた善法寺さまは歓喜のあまりか涙を浮かべていた。空腹は最高の調味料である、とはよく言ったものだと密かに胸を撫で下ろす。

「文次郎がこんなに美人で料理も上手な素敵な人と結婚しているだなんて、思いもしなかったよ」
「うるさいわバカタレ」

世辞なのは分かっていたのだが、善法寺さまの人柄のせいか真正面に言葉を受けてしまって物凄く照れてしまった。ついでにむせた。みっともない顔を隠すように小さく咳き込んでいると「大丈夫か」と文次郎さまに水を差し出される。その優しさが余計に気恥ずかしさを煽った。

「仙蔵と連絡は取っているのかい」
「たまにな」
「結婚したことは?」
「……まだ言ってない」
「はは、やっぱり」

文次郎さまは見たことないくらい気まずそうな顔をしていた。仙蔵、という名を聞くのは初めてであったが、やりとりから察するに文次郎さまと特別親しい間柄なのだろう。私のきょとんとした顔に気づいたのか、善法寺さまは可笑しそうに口を開いた。

「立花仙蔵、っていう文次郎と六年間同室だった男がいるんですよ」
「まあ、六年間…」
「文次郎が結婚したなんて聞きつけては、全力でからかいに来そうな男でして」
「…だから言いたくないんだ」

文次郎さまを嬉々としてからかう人、想像がつかない人物像に逆に興味が湧いてくる。文次郎さまの本当に嫌そうな顔を見る限りきっと事実なのだろう。それでも、文次郎さまと夫婦であり続ければ、いつか会う日が訪れるのかもしれないと思うと先の楽しみが増えるようだった。

六年間同室、というのも凄いものだ。少年時代の六年間はきっと想像よりもっとずっと長いもので、自身を形成するにあたって重要な期間に共に過ごした相手、というのは本人たちにしか知り得ないほど特殊な繋がりがあるであろうことは容易に想像できた。
目の前の善法寺さまとてそうだ。同室ではなかったようだが、六年間同じ学び舎で過ごした相手ということに変わりはない。二人の端々から、揺るぎない絆のようなものを私はずっと感じていた。

久しぶりの再会は話題が途切れることがなく、食事を終えてからも盛り上がり続けた。私といる文次郎さまがつまらなそうだとかそういうわけではなかったが、やはり友と話す文次郎さまは普段見たことのないような、少し子供っぽい顔つきをしていて、何故だか嬉しくなってしまう。かわいらしい、と本人に言ったら怒られそうな感想まで覚えたことは内緒だ。

「あ、炭が…」

火鉢の炭を足そうとしたとき、切らしていたことに気が付いて立ち上がろうとすると、文次郎さまに止められる。文次郎さまは「いい、おれが行く」と告げて、私を置いて裏まで炭を取りに行った。
必然的に善法寺さまと二人になる空間で、曖昧に視線を投げると善法寺さまが柔らかく呟いた。

「優しいですね」
「はい…、私は本当に幸せものです」
「それは文次郎もですよ」

今日出会ってからずっと、善法寺さまは陽だまりのような温かな人だと感じていたが、ふと見上げた瞳がつめたく凪いでいて虚をつかれたような気持ちになる。

「善法寺さまは…?」

思わず口をついたそれは、正しく善法寺さまに届いてしまったようだった。私を見て何度か目を瞬かせた善法寺さまは、やがて細く息を吐きだす。

「……帰りを、待ってくれているんだろうなという人はいます。でも、帰ると約束せずにぼくは出てきました」
「……」
「ひどいでしょう?」

ほろ苦く笑った善法寺さまに、文次郎さまの背中を思い浮かべる。忍者というのは、どうしたってそういう側面がある生き方だ。文次郎さまは何もかも背負い込んでしまう人だから、私はこうして幸せ者でいれるのだろう。善法寺さまの指を切りたくない気持ちは、正解でも不正解でもなくて。

「……それでも、待っているのでしょうね」
「…何故、そのように?」
「私もきっと、文次郎さまを待ってしまうでしょうから…」

考えるまでもなく、そうだと分かっていたからまろびでた言葉だった。帰る、とあの人が告げてくれなくても、私はずっと待ち続けてしまうのだろう。その気持ちは噛み締めれば噛み締めるほど、どうしようもなく、あいだった。

「文次郎は本当に、恵まれましたね」

それはまるで自分にも言い聞かせるような、そんな余韻を持っていた。けれど、初対面の私にそれ以上突っ込めるわけがなく、沈黙が落ちる。がらり、と丁度よく文次郎さまが帰ってきたところで、善法寺さまがぱっと明るい声に切り替えた。

「もうちょっと時間をかけていてもよかったんだよ、文次郎」
「はあ?…おい、何か余計なこと言ったんじゃないだろうな」
「ええ、どうだろう?余計なことって?」

伊作、と怒気のはらんだ文次郎さまの声に、善法寺さまはきゃーとわざとらしく体を捻る。私もつられて笑うと、先ほどまでと変わらず楽しく夜が更けていった。もう遅いから、ということで泊っていくよう命じられた善法寺さまは、新婚の邪魔が云々と言うので文次郎さまが鉄拳制裁を下した。

翌日、善法寺さまは旅立っていった。どこに何をしにいくのか、それは善法寺さまも言わなかったし文次郎さまも尋ねなかった。それが忍者である彼らの鉄則なのだろう。善法寺さまを見送った空に私は、善法寺さまと善法寺さまの大切な人が築く温かな家に、いつか行けたらいいなと差し出がましく願った。


沈黙の愛 3話


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