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TopMainそれって愛でしょ
万が一もないように、と素早く完璧に仕事を終わらせた今日は、多方向から「明日は槍が降る」という顔をされた。仕事をこなしただけなのにそんな風にしか思われないだなんて心外だ、と思ったりもしたが、普段の自分の行いを顧みれば当たり前のことである。
結論、そんなことはどうでもいいのだ。今、クザンにはそれより重要なイベントがある。

薄暗くなった空にいくつかの星が粒立ち、石畳の境界線も曖昧になった時間に、クザンはいつもの道を歩いていた。カフェに向かうこの道を今の時間帯に歩くのは変な気分だ。
普段あまり波立たない心が、少しだけ浮かれているのは自覚できていた。緊張なんてものはしていなかったが、久しぶりのこそばゆい感覚に落ち着かないのも事実。クザンは自身に「青くさ…」と呟いて、大股で角を曲がった。

いつもは昼間に見ている光景を夜に見ると、全く別の場所にさえ思えてくるのは不思議だ。カフェの前に名前の姿を探したが見当たらず、クザンが「close」とかけられたドアに手を伸ばしたとき、内側からその扉が開いた。

「おっと、」
「うわ!」

慌てて身を引くと、中から出てきた名前が驚きの声をあげる。名前はぱっと顔をあげて目の前にいるのがクザンだと確認をすると「なんだ…」と強張っていた肩を下ろした。

「びっくりした…」
「あららら、ごめんな。驚かせるつもりはなかったんだけど」
「いや…、私がナイスタイミングで開けちゃったんでしょ」
「そうそう。おれもびっくりしたわ」

パタンとドアを閉めて「close」の看板を直した名前は、落ち着かなさそうにクザンから目線を逸らした。何かを言いたげな様子にクザンは先を促すように黙っていると、名前がおずおずと口を開く。

「なんか…、」
「うん」
「ほんとに来た…ん、だなって…」
「なにそれ、来ないと思ってた?」
「そう、じゃないけど……」

名前の気持ちは分からないでもなかった。薄暗い中映る名前の姿はとにかく新鮮で、自分たちを包む非日常的な雰囲気に、現実味が湧かない感覚。だが、それを実感してほしかったクザンは名前の顔を覗き込んで、戸惑いがちに彷徨う瞳を捉える。

「おれは有言実行の男よ?基本的に」
「……うそつけ」

さっとあからさまに逸らされた視線に、薄暗くても名前の頬が赤に染まったことが分かる。

「えェ〜心外。おれそんなウソつきだと思われてた?」
「有言実行って…、絶対6割くらいしか実行しないでしょ」
「………まァ、基本的にって言ったじゃない」
「ウソつきだと思われてもしょうがないんじゃない?」
「名前ちゃん最近おれのこと見抜きすぎでしょ…」

ふふっ、と笑みを零した目の前の名前に、思わずクザンの口元も緩む。いつも通りの会話が落とされて、夜という非日常に日常が溶け込んでいくような心地がした。名前の緊張も大分解れたようだったので、クザンは一歩踏み出して「行こっか」と名前に促す。忘れていたわけではないのだろうが、名前はまたハッとして身を固くした。

月の光が強くなってきた下、名前と並んでゆったりと夜道を歩いていく。この前の買い出しに付き合った時も思ったが、名前が隣に歩いてる事実は慣れないはずなのに、どこかクザンの中にすっと馴染み、まるで当たり前かのような錯覚を覚える。
落ち着く、という感覚に違和感を抱きながら歩いていると、ちらりと名前がこちらを気にする気配がして、応えるように首を傾げる。

「どこ行くの」
「ん〜、おれのよく行ってるお店」
「ふーん…」
「お肉美味しいよ?」
「じゃないと行かないけど」

あからさまに建前です、といった声音に、恐らく自分では気づいていないのあろう。恥ずかしさをごまかすためにつんと小さくとんがった名前の唇がかわいらしくて、こみ上げる笑いを噛み殺した。ここで揶揄したり笑ったりなどすれば、機嫌を直すのに大変な時間がかかると分かっているからだ。
好意がお互いに透けて見えるこの距離感が心地よく、温い風を浴びながらひどく穏やかな気持ちでクザンは歩みを進めた。

10分ほど歩くとお目当ての場所までたどり着いて足を止める。中から明かりと話し声が漏れ出る店の前で、名前は店の看板を見上げた。

「ここ?」
「そ、ここ。来たことある?」
「ううん、ない」
「そっかァ。一応おれが昔から通ってるお店なのよ」

扉を開けると賑やかな雰囲気が飛び込んできて、今日もそこそこに繁盛しているらしいことが分かる。別に隠れ家的な店でも口説き落とすのに最適な店でもなかったが、料理のおいしさが保証されていて気の良い店主がいるここの店を、クザンはそれなりに気に入っていた。

店に入ると、顔なじみの店員がクザンに気づいて「青キジさん!」と声をかけてくる。

「お疲れさま〜、今日も元気にサボってました?…って、女の子連れてる!」
「そー、デートだから。あと今日はサボってない」
「ええ!ウソ!」
「ウソってなに」

どちらの事実にウソと言っているのか分からないが、どちらにしても失礼だ。しかし、クザンの扱いに慣れている店員は非難の声をものともせずに、目を丸くさせてクザンと名前を見比べる。

「叔父さんと姪っ子にしか見えないですよ」
「失礼!というか似てないでしょ!」
「うわ〜、マスターに青キジさんが若い子たぶらかしてたってチクっとこ〜」

からかうだけからかってから、店員は「おれも彼女欲し〜…」とぼやいて店の奥へと入っていった。先ほどから静かな名前に目を向けると、居心地が悪そうな顔で口を噤んでいた。

「叔父と姪だって」
「……心外」
「だよねェ」
「どう見たら血を継いでるように見えるの」
「あれ?もしかしておれのこと貶してる?」

恐らくクザンがデートと言ったことに対してどうリアクションをしてよいのか分からなかったのだろうが、そこを突っ込むとまた面倒なことになりそうなため、話題を逸らしてテーブルについた。

席に着くと、店の雰囲気や内装を確かめているのかきょろきょろと辺りを見渡す名前。カフェで働いてる身として何か思うところがあるのか、ひとしきり店内を観察し終えた後「いい店だね」と呟いた。

「名前ちゃんが気に入ってくれ、」
「青キジさーん!注文何にする!」
「キミね、空気読みなさいよ」

先ほどの店員が勢いよく割って入ってきて、思わず眉間を押さえる。だが、そんなこともお構いなしの店員は「今日のおすすめはね〜、」と一人勝手にしゃべり始めるので、クザンは黙らせるために適当にいくつか注文をした。そしてお目当ての肉料理を何にしようか、と名前に視線を向けると、店員もにこりと名前に笑いかけた。

「おねーさんなんにする〜?」
「美味しいお肉食べたいんだって」
「美味しいお肉?うちハンバーグ美味しいよ」
「食べる」

ハンバーグって、とクザンが突っ込もうとした矢先、思わぬ即答が名前から飛んでくる。その食いつきぶりにクザンが驚いていると、店員がははっと明るく笑った。

「おねーさんハンバーグ好きなんだ?」
「うん」
「じゃあでっかいの作ってってマスターにお願いしとくね!」
「やった」

注文を聞き終えた店員が足早に去っていったあと、クザンは戸惑いながら名前に声をかける。

「ハンバーグでよかったの?」
「ハンバーグがよかったの」
「ならいいけど…」

もっと他に肉らしい肉料理はあった気がするのだが、名前が良いと言っているのだからいいのだろう。ハンバーグが好物とは初耳だった。少しむくれながらハンバーグが良いと口にする名前は、随分と幼く見えて若干の笑いを誘う。

「お子様っぽいってバカにしてない?」
「し〜…てねェよ?」
「してるじゃん」

こうやって名前と何気ない会話を時間も気にせずにするのは初めてのことで、意味もなく口の周りの筋肉が緩んだ。そこからは、名前の好きな食べ物から始まり、カフェの仕事のことや、普段のこと。中々いつもはゆっくりと話せない他愛もない話を沢山した。

カフェに初めて訪れたときは想像もしていなかった展開に、奇妙なおかしさを感じる。まさか、目の前の子に惚れることになるとは。だが、名前への気持ちはまるでそこにあったのが当たり前かのように、クザンに寄り添っていた。

「はい!おまたせてないけどおまたせ!」
「まったけどね」
「青キジさんのせっかち〜」

ようやく運ばれてきた料理が、テーブルに並べられていく。いっぱいに漂う食欲を誘う匂いに、名前の目が爛々と輝いた。

「美味しそう…」
「美味しいよ!」
「ふふ、」

間髪入れずに店員に切り返された名前がくすくすと笑う。その様子に目を瞬かせた店員は、何故か眉を下げてクザンの方を向いた。

「おねーさんほんとに青キジさんなんかでいいの?もっと他にいい男いるでしょ。おれとか」
「おれの前で名前ちゃん口説かないでくれる?」
「別に今のところクザンさんのものじゃないから」

今のところ、とわざわざ付け足している辺りにいじらしさを感じていると、相変わらずクザンの気持ちをぶち壊す店員がわざとらしく口に手を当てて驚くふりをしてみせる。

「まっておれ脈あり!?」
「ねェ〜わ」
「青キジさんに訊いてないですう」
「も〜いいから仕事しなさいよキミ」
「そんな台詞を青キジさんから聞く時が来ると思わなかったんだけど!?」

なんて騒いでいると他のテーブルからの呼ぶ声が響いて「はいはーい!」と瞬時に体を切り返してそちらに向かう店員。あれだけ軽口を叩いていても、仕事はテキパキこなすものだから憎めない。
過ぎ去った嵐に息をついていると、うっすらと顔を赤くさせた名前が気まずそうに料理に視線を落としていた。一瞬何故照れているのか分からなかったが、先ほどの台詞を思い出して、ああと納得する。

「今のところ?」
「うるさい」

食い気味に飛んでくる文句に、いじらしさが募って緩む口元と目尻を抑えられない。普段ならこれ以上突っ込むのはやめていたが、今日のクザンと名前はカフェにいるわけではないのだ。首を傾けて名前に問おうと口を開くと、思ったよりひどく優しい声が出た。

「おれの好きなように受け取ってもいい?」
「……やだっていってもそうするでしょ」
「ん〜、まあ」

漏れ出た吐息には笑い声も混ざって、自分でも幸せそうな声音だと思う。こういう雰囲気になると本当に口下手になる名前は、何も返せないようで先ほどより赤みが増した顔で唇を震わせていた。

意識して一歩踏み込んだクザンは、改めて店を出た後のことについて考え始める。今夜、どこまで関係を進めていいものか。名前を目の前にすると、今のこそばゆい関係のままでもよいかと思ってしまうものの、さすがにケリをつけないと自身の罪が重みを増していくのは分かっていた。脳裏にボルサリーノの顔がよみがえって一瞬気分が沈んだが、慌てて雑念を振り払う。

考えに考え込んだ結果、店を出れば何とかなるだろうといういつもの結論にしか至らず、クザンは考えるのを放棄した。とにかく、きちんと家に帰すことだけは忘れるなおれ、と自身を戒めるのだった。


それって愛でしょ 9話


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