a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMainそれって愛でしょ
人の金で美味しいお肉を食べたいとのたまったのは誰でもない私自身であるが、実際奢られるとなると上手い奢られ方が分からず罪悪感でいっぱいになる小心者だ。いい女は上手な奢られ方をする、と母から何度も武勇伝じみた話を聞かされていたが、全く身になっていないことを今回痛感した。

いつの間にか済まされていた会計にうろたえ、しかしクザンさんが何でもないような素振りしか見せないものだから、ぼそぼそと「ご馳走様でした」と小さく言うことしかできなかった。

かわいくなさすぎるのもいい加減にしてくれ私。情けなさや不安で、何もかもから逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。

店を出ると静寂に投げ出されたような気持ちになり、より死にたくなった。賑やかな空気感から一変、こんな誰もいない夜道に出ると、否が応でも二人きりということを意識せざるを得なくなる。背中から冷や汗が噴き出るのを感じながら、とにかくこの場をどうにかしなければと帰り道の方向に一歩踏み出し、クザンさんの方へと体を向けた。

「えーっと……じゃあ、また、その…」
「え、ちょ、まってまって。一人で帰るつもり?」
「そうだけど…」
「いやいや送るに決まってんでしょ。夜道を女の子一人では帰せません」

薄々そんな気はしていたものの、やはりここで別れることを許してもらえず、渋々帰路をクザンさんと共に歩き始める。行く道も何を話したらいいか全く分からなかったが、今の心の重みはそれの比ではなかった。
全て察しているであろうクザンさんは話題を振ってくれたが、どれも緊張で口が上手く回らず、微妙な答えを返してしまうばかりで益々死にたくなる。だが、そんな返答でさえもクザンさんの受け止める空気は柔らかく、どこか救われる思いだった。

僅かながら緊張も解れてやっとまともに息ができるようになっていると、不意にクザンさんの手が私を包んで、ひっくり返りそうになる。何事と思い見上げれば、クザンさんは悪戯っぽく口角をゆるりと上げて「こっち」と私の手を引いた。
クザンさんに引かれるまま足を進めた先は、帰り道と異なるようで唐突に不安になる。

「ど、どこ行くの」
「んー、ちょっと寄り道?」
「寄り道…!?」

どこに、何しに、何のために。脳内は質問攻めだったが、実際に口に出せるはずはなく、混乱したままクザンさんの後をついていく。繋いだ手は汗ばっかりかいてしまって、ロマンチックさが皆無だった。不安しかない状態でまたクザンさんを見上げると、とろけたように笑ってぎゅっと私の手を握る。

「おれがもうちょっと一緒にいたいの」
「〜っ、」

いい女だったらどんな返しをするんだろうか。どんな言葉が最適解なんだろうか。クザンさんの口説き文句に対していつもそう考えてみるものの、いくら考えても答えが出ない。
喉がぐっと狭まって、火をつけたように顔は熱くなって、頭は朦朧として、こんな異常が出まくりの状態で何か上手い返しを、なんて到底無理な話である。結局私はいつも甘い言葉に絶句して終わってしまうのだ。
私ができることと言えば、歩みを止めずにクザンさんに引かれるままついていくことだけ。それが私の精一杯だった。

少し歩いて出た場所は噴水広場だった。月明かりに照らされて水が流れる音だけが響いている空間は、非日常感を思わせる。お昼にはよく子供たちがここの周りで遊んでいるのがウソのようだと、水面に反射する月の光に目を細めた。

クザンさんは噴水の近くまで行き、ゆっくりと縁に腰かける。私が戸惑っていると「食休み」と笑んで、私にも促すので、大人しく隣に腰かけた。
距離感の測り方を少々誤ってしまい、やけに肩と肩が触れ合う距離で座ってしまった。だが座りなおすのもおかしすぎて、触れ合った面積から伝わる体温に耐えきれずに視線を石畳に落とす。水辺から漂う冷気が、顔を熱くさせた私の背中をひんやりと包み込んだ。

繋がれていた手が一度解かれたかと思うと、今度はするりと指の隙間にクザンさんの長い指が滑り込んできて、断然心臓に悪い繋ぎ方になる。
もう大分キャパオーバーを起こしていた私は、正常な判断ができなくなり始めている思考で、その手を微かに握り返していた。この程度、と思わないでもなかったが、普段の私と比較すれば大胆すぎる行為だ。

クザンさんが静かに笑った気配がして身を固くしていると、手を握ったままクザンさんが体を折って私の顔を覗き込んでくる。

「今日、帰さないと怒る?」

私の思考回路は本当にポンコツなので、言われている意味を理解するまでに結構な時間がかかるのは毎度のことだ。そこに関しては、勘弁してほしい。そして言われている意味が分かったところで、何も返せないのが私クォリティだ。そこも勘弁してほしい。
しかし、今回の口説き文句はキャッチボールだった。私が何かを返せないと、進まない。何か、何か、と透明な言葉ばかり吐き出していると、クザンさんがまた微笑むような息の音を漏らした。

「冗談。そんな顔しないの」

愛おしむ手つきで頬を撫でられて、息が詰まる。だが何故か先ほどより胸が軽くなって、私は頬に伸ばされた腕に手を添えて、クザンさんの瞳を捉えた。

「お、怒らない…から、」

ワンテンポどころではなく遅れた返事に、クザンさんが目を丸くする。いつも顔を見て話すことができていなかったため、こんなに至近距離でクザンさんの表情が変わる瞬間を見ているのが、なんだか新鮮でならない。
自分で紡いだ言葉だったが、口にすればどこか他人が言ったような気もして、比較的落ち着いてクザンさんの反応を待っていると、頬を包んでいた手が顔を引き寄せるような手つきに変わる。

あ、と思った時には鼻先が触れ合うくらいの距離にクザンさんの顔が迫っていた。

「…キスしてもいい?」

訊いてくれるんだ、と頭の隅で思ったが、これは現実逃避だろうか。頭が重く、思考回路が鈍る。喉がからからからに乾いていたので声を出すのは不可能に思えた。しかしきっとクザンさんは私が受け入れない限りキスをしないであろうということも分かって、重たい首を僅かに動かして頷く。

優しい手つきで引き寄せられて、ゆっくりと唇が塞がれた。噴水の流れる音がやけに耳について、縁に置いてある手に少しかかる水しぶきの感触ばかりが気になった。


離れていった感触を追ってぼんやりとしていると、そのまま抱きしめられて大きな手が私の髪の毛を梳いた。クザンさんのスーツから香る匂いに、ようやく深呼吸ができるようになった私は長く息を吐きだす。
キスをするよりも長い時間そうしていると、クザンさんがぽんぽんと私の頭を軽く撫でて体を離した。

「んじゃ、帰りますか」

いつもの軽い調子の声音に戻ったクザンさんに、つられて引き戻される。重かった思考が途端に冴えていき、同時に私はとてつもない不安に見舞われた。背中に漂う水辺の冷気が、心の底までひやりとさせる。自分の心を分解して不安の種が何かを探し当てる前に、私はスーツの裾を引いていた。

「…名前ちゃん?」
「…い、言って、くれないと……、」

訳も分からず目頭が熱くなって、瞬く間に瞳から雫が零れ落ちる。泣くつもりなど毛頭なかったのに、声に出すと箍が外れたように涙が溢れた。
私の台詞にクザンさんはすぐ察したようで「あ〜〜…」とバツが悪そうに眉を下げた。そして私の両手をぎゅっと握ってから、節ばった指で目尻の涙を拭われる。

「うん、あの、おれが悪かったわ。ごめんね」

私のことを真っすぐに覗き込んだクザンさんが、少し困ったように目を細めた。

「おれ名前ちゃんのこともうこれ以上にないくらい大好きなんだけど…、おれと恋人になってくれる?」
「……うん」

私の不安を的確に掬い上げて、欲しい言葉をくれたクザンさんの胸に飛び込んでその体にしがみつく。先ほどまでの心の靄は跡形もなく霧散していた。

あやすように抱きしめられていると、はあと息をついたクザンさんが「焦った〜…」と耳元で呟く。すっかり涙も引っ込んで、冷静になった私の頭ではクザンさんと恋人、になるにあたって一つ気になる点があった。

「…ママに、」
「うん?」
「ママに、私より年上の人やめてねって言われてたんだけど、どうしよう」
「…そ〜れは、」

頭を撫でてくれていたクザンさんの手が止まる。

「どうしようね…」

水音をバックに呟いたその声音は大分情けなくて、私は思わずクザンさんの腕の中で肩を揺らしたのだった。


それって愛でしょ 10話


prev │ main │ next