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TopMainそれって愛でしょ
もうすっかり馴染みとなった道を歩きながら、欠伸をひとつ。普段は何とも思わない潮風が眠気のせいか、または仕事を抜け出した開放感のせいか、妙に爽やかに感じた。
何も思わせないほど青々しく晴れた空に、これから会いに行くその顔と声が脳裏に浮かび上がる。歩いてあと少し、といったところで不意に焦がれてしまったクザンの足は、やけにせかせかと動いた。

からんころんと聞きなれたベルの音が響き、いくつもの焼き菓子の匂いが混ざった甘く香ばしい空気がクザンを包み込む。店内を見渡せば、トレーを抱えた名前とばちりと目が合った。
む、と一文字に引き結ばれた口が照れ隠しの証であることはもう分かり切ったことだ。ひらりと名前に手を振ってから、クザンはいつもの席へと着いた。

少ししてから水が入ったグラスを運んできた名前がやってきて、どこか落ち着かなくよこされた視線にふっと笑みがこぼれる。

「待ってた?」
「待ってない」
「おれは会いたかったけど」

名前の顔を覗き込んでそう言えば、クザンから逸らされた瞳が行き場もなく視線を彷徨わせる。付き合ってからも中々慣れずにクザンの言葉に毎度照れた反応を見せる名前を、かわいらしいと思ってることを伝えたら、また赤くなりながら不機嫌そうに睨まれることは容易に想像できた。

名前には、仕事中は必要以上に絡んでこないで、と付き合って最初に釘を刺されていた。今くらいなら構わないらしいが、過度にカフェで恋人感を出されるのは嫌だそうだ。もちろんクザンも仕事中の名前にベタベタしようなどと思ってはいなかったため、名前の条件を快く飲み込んだ。
よって、適度な距離感をこのカフェでは保っているつもりだったのだが、どうやら察しの良い周りの人間は誤魔化せなかったようだ。

感じるのだ。周りの客から注がれる生ぬるい目線を。

クザンと名前が恋人同士になったことを誰に明言したわけでもなかったが、クザンと同じ時間帯に通っている常連たちにはバレバレのようで、生温かく見守られている雰囲気が嫌と言うほど伝わる。噂が広がっていくのもそう遠くない話だな、と苦笑していると、コーヒーとケーキを運んできた名前が不思議そうな顔をしていた。

「どうしたの」
「や、なんでも」

コーヒーの横にケーキが置かれ、窺うように名前を見やると「キャラメルシフォン」と端的な返答が飛んでくる。

「生クリーム欲しかった?」
「いや、」
「だよね」

そうだと思ったと言わんばかりの相槌を打つ名前につい愛おしさを感じてしまい、名前の指先を軽く捉える。すり、と指先を撫でれば、糸で吊り上げられたかのように強張った名前の肩に、漏れそうになった笑みは喉の奥でとどめた。

「今日ご飯でも行く?」
「…今日?」

クザンの誘いに名前が目を丸くする。もごもごと不確かに動く口に、イエスの答えを確信したクザンは「だめ?」と首を傾ける。何かしら予定がある日は「無理」ときっぱり告げる名前のため、返事が滞ったときは特に予定はないが素直に首を縦に振るのが恥ずかしい時だ。
案の定、クザンの押しに名前はややあってから鈍く首を縦に振った。

「いや……いいけど」

取りつけられたデートに気分を良くしていると、それ以上に周りの空気が気になって横目で辺りを見渡す。見聞色を使わなくても、周りからの視線に生温かさが増し、更にほんの少し好奇心が混ざり始めたことが分かって、とても居心地がよいとは言えないのであった。

***

夕暮れと言うには少し暗すぎる時間帯にいつも通り迎えに行くと、店の前で待っている名前の姿。こちらの足音に気が付き、小走りで駆け寄ってくる様子は普段のつんつんとした態度とは真逆の従順さを感じる。クザンの元に来て見上げてくる名前の頬に手を伸ばすと、大して避けられもせずに受け入れられた。

「おつかれ」
「ん、」

労いの言葉をかけながら頬を撫でると、心地よさげに目を細める名前。時々、手懐けた動物感がするのは気のせいだろうか。失礼なことを考えながらも名前の頭を撫でれば、クザンの手首に名前の手が添えられた。

「クザンも、おつかれ」

多少の照れはあったようだが、普段より幾らかはっきりした声で言われて少々驚く。付き合ってからも慣れない反応ばかり見せる、と昼間は思ったが、二人きりだとどうやら勝手が少し違うらしい。
驚きを顔に出さずに「行こっか」と出発を促すと、何事もなかったかのように名前は隣を歩き始める。若干侮っていた、とクザンは小さく頭を掻いた。

「あそこ行く?一番最初に行ったとこ」
「ああ。イケメンのお兄さんがいるとこ」
「…名前ちゃんああいうのがタイプなの」
「世間一般的に見てイケメンだと思っただけ。もちろん嫌いじゃない」
「ふうん……」

好みの男などといった話を聞くのは初めてで、つい耳が大きく傾く。名前が男の話をする姿が新鮮に思えるのは、普段あまり名前が男と絡んでいるのを見ないからだろうか。悶々と考えていると、名前が「あ、」と何か思い出したように手を叩く。

「私的にはマスターさん?の方が好み」
「マスターには勝てないからやめて」
「ええ?」

名前がマスターを好みだというのは妙に納得してしまい、加えてマスターのいい男っぷりはクザンがよく分かっているので思わず本音が漏れる。そんな反応に名前は半笑いで「別に浮気しないよ」と言うと、クザンの三歩前を歩いた。

あの店に行ったのは最初の一度きりだったにも関わらず、大体道を覚えていたらしい名前のさくさくとした足取りについて行けば、あっという間に店についた。名前の後を追って店のドアを潜ると相変わらずの賑やかさ。それでも品のない騒ぎ方ではないところが、この店の愛される所以だろう。

「はいはいいらっしゃいませ〜…って青キジさん!に、この前のおねーさん…!?」

見慣れた店員がクザンと名前を一瞥してオーバーなリアクションをとる。窺うように飛んできた目線にふっと笑って曖昧に返すと、それだけで十分察したようで大きく目を見開いた。

「おねーさ……えっ!?青キジさんと…?」
「なりゆきで」
「こらこら」

照れ隠しであることは分かり切っていたが、仕方なくといったニュアンスに一応突っ込んでおく。そんな空気感に疑いようがないと分かったのか、店員は事実を飲み込んでからもう一度クザンと名前を交互に見比べた。

「なんとなくそんな予感はしてたけど、それにしても…う、うわ〜…!」
「なんかドン引きしてねェ?」
「ドン引きはしてませんけどお……、いいのかなあって…」

そのニュアンスには主に、イケナイ感じがプンプンするけど大丈夫なのか、という意図が込められていることを察する。おそらく、それ以外にも言いたいことはあるんだろうが、主な部分はそこだろう。
しかし名前も一応独立した女性であって、なんら問題はない、はずだと自負している。答えのバトンを渡すように名前を見やると、名前も随分けろっとしていた。

「まあ…いいんじゃない?」
「だってさ」

名前の回答をそのまま店員に流すと、ぱちぱちを目を瞬かせたのちワンテンポ遅れて声を上げる。

「あ!なんかすごいのろけられた気分!?」
「フフ…」
「青キジさんにやにやしないでよ腹立つなあ!」

別に当て馬にする気は更々なかったのだが、結果的にそうなってしまい店員がぷりぷりと腹を立てながら「お好きな席にどうぞ!」と案内される。店員に適当な注文をしてから名前と共に席に着くと、何故だか落ち着かない様子の名前にクザンは首を傾げた。

不機嫌、とも違う、何かを考え込んでいるような雰囲気だったが、話は切り出されない。名前の踏ん切りがつくまで突っつかない方がいい気がしたクザンは、どうでもいい話を適度にふりながら名前の口が開くのを待った。

料理が運ばれてきて手を付けようとしたとき、ようやく名前の重く閉ざされていた口が微かに開く。しばらくその口は空白を紡いだが、知らぬ素振りをしながら言葉の先を待った。

「…クザンはいいの?」
「うん?」

やっと吐き出された言葉は随分と唐突で、何のことか理解するのに時間を要す。落ち着いて今までの経緯を辿ってみると、店員の「いいのかなあって…」という台詞のことだということに気が付いた。すると名前がぽそりと「…私で」と呟くので、それは確信に変わる。

先ほどの店員の台詞に色々と考え込んでしまったのだろう。クザンと付き合う上での、名前の不安の種は恐らく上げればキリがないはずだ。自分が言うのもなんだが、そう思わせてしまうだけの様々な要因がクザンにはある。名前は何も考えが及ばないほど思慮が浅くないということは、クザンも分かっていた。

「不安?」
「……ん。…ちょっと?」

名前を軽く肩を竦めて、視線を落とす。基本的に察しの良い名前であるから、クザンの思いは何となく分かっているようだが、そう思い切れるほど自惚れることもできない、といったところだろうか。こちらの伝える努力も足りなかったと反省し、クザンはテーブルの上の名前の手に自分の手を重ねる。

「おれは、別にどんな問題でも片づけるつもりよ。名前ちゃんと一緒にいられるなら」
「……」
「…信じられねェ?」

するすると指を絡めて手を握ると、沈黙の後名前が小さく首を横に振る。確かめるようにぎゅっと微かに手を握り返されて、クザンの口元が柔らかく緩む。

「ご飯食べよっか」
「うん」

クザンが促すと、名前もすっきりとした面持ちで食事に手を付け始めた。明確に言葉に出すとどこか不思議な気持ちになる。名前と付き合ってからあれこれ何かを考える時間をとったわけでもなかったが、わざわざ時間をとるまでもなく、クザンの気持ちは当たり前のようにそうと決まっていた。

「(なんか…笑えるな)」

じわじわとこみ上げる笑いを噛み殺し、目の前で心底幸せそうに料理を頬張っている名前を見つめて、クザンは目を細めた。


腹も満たし終えて良い時間になった頃、勘定を済ませて店を出ようとすると、大量の皿を下げている途中の店員が「ちょっと待って!」とわざわざクザンに気が付いて声をかけてくる。また僻みか、と足を止めれば、皿を持っていない方の手でびしっと指を突き付けられた。

「ぜえったい、おねーさんのこと泣かしちゃダメだよ青キジさん!」

ぎくり、と心が嫌な音を立てて、瞬時に甦るのは噴水前での出来事。恐る恐る名前を見やれば、クザンがストップをかける前に真実を口にしていた。

「もう既に泣かされたことあるけどね」
「ああァ〜…っと、名前ちゃんそれは……」
「えェ!ダメじゃん青キジさん!!」

居た堪れなくなりながら飛んでくる非難の声を受け流していると、横で見ていた名前がふふっと可笑しそうに笑う。

「まあでも、あれはカウントしないであげる」

そう言うとさっさと店の外に出て行った名前に、静寂が満ちるその場。思わずクザンも呆けて店員と顔を見合わせる。しばらくしてようやく事態を飲み込んだ店員が、目を丸くしながら首を捻った。

「……またおれのろけられた?」
「…かも?」

次の瞬間にはべちっと結構強めに背中を叩かれ、叩いた張本人は何事もなかったかのように厨房に引っ込んでいく。残されたクザンは店員に文句の一つでも言ってから出たかったが、その隙は与えてもらえず、消化不良のまま名前が待つ外へと出た。

出てきたクザンをちらりと見上げた名前がそのまま帰りだそうとするため、手を伸ばして名前の体ごと引き寄せる。名前が驚きの声を上げる前にその場でキスを落とすと、かわいそうなほど名前の肩が強張った。
誰かが店の中から出てきた場合ドアがクザンに容赦なくぶち当たるが、今はそんなことどうでもよかった。ドア越しに店の喧騒を遠くに聞きながら、名前の体の力を解くように髪を撫でて、何度かキスを落とす。クザンの気が済んでから音を立てて唇を離すと、呆然としていた名前がハッと眉を吊り上げた。

「急になに…!?」
「なにっていうか……したくなっちゃった、から?」
「あ、あほ!」

混乱している状態では罵倒も幼稚じみたものしか飛んでこず、つい笑うと頬を抓りあげられる。普段は別れ際の家の前でしかキスをしないため、余程驚いたらしい。「ごめんね」と悪びれもなくもう一度口づけると、今度は容赦なく足を踏まれ、さすがのクザンもこれには声を失った。


それって愛でしょ 11話


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