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肩にかかる髪を指先ではらって、ため息をつく。早く下ろした髪を結い上げてしまいたいし、化粧も落としたい。勘右衛門は女装自体は別に苦手でも嫌いでもなかったし、女装したては鏡の前で傾国の美女を気取るのも好きだったが、さすがに一日動き回っているとしんどいものがあった。女の子ってほんと楽じゃない、と先ほどまで相手にしていた男を思いだして殊更気分が悪くなる。
今日の課題は女装姿で男にお茶を奢ってもらうという内容だった。男を引っ掛けてお茶を奢ってもらうところまではよかったのだ。その後、上手く振り払ってその場を後にするのが大変だった。この課題はそこまでひっくるめてのものなのだろう。何度も男の意識を奪ってやりたいと思った勘右衛門だったが、どうにか切り抜けて忍術学園への帰路についたのである。

そんな重苦しい気分も、忍術学園の門が見えてきたところで軽くなってくる。浮かれたまま、小走りでもしようかと足を踏み出したところで、勘右衛門はとある懸念が蘇った。今、門番をしているのは果たして誰だ。勘右衛門は、今の姿を名前には見られたくなかった。
学園を出るときは、小松田が門番をしているタイミングを見計らって出てきたが、帰りはそうもいかない。こめかみに冷や汗が伝うのを感じながら、勘右衛門は高く上げようとしていた足をそろりと下ろして気配を薄く正門に忍び寄った。

そうして見えたのは、小松田が掃き掃除をしている姿で。勘右衛門は強張らせていた肩を大きく落とす。助かった、と胸を撫でおろして、勘右衛門は足取り軽く帰還した。

「ただいま戻りましたー」
「あ、尾浜くん。お帰りなさあい」

今は小松田の気の抜けた声が何よりも嬉しい。勘右衛門だって懸想をしている年上女性に、わざわざこんな格好を見られたいとは思わない。それが繊細な男心だ。鉢合わせる前にとっとと部屋に戻ろうと決めて正門を潜ったところで、ぎくりと心臓が最高に嫌な音を立てた。

「あれ?…尾浜くん?」
「(ああああ〜〜〜)」

勘右衛門はその場で泣き崩れてしまいたかった。実際には崩れていないものの、半泣きなのは事実だ。何とかして取り繕わなければと思うものの、焦りすぎて実際に顔を上げてできたことと言えば、引きつった笑みを浮かべることくらいだった。

「…すごい、女装もするんだね」
「は…い、授業で…」
「へえ…、すごい…」

目の前の名前は勘右衛門を頭のてっぺんからつま先まで見つめて、素直に感動しているようだった。勘右衛門の女装も捨てたもんではないらしい。…いや、そういう問題ではないのだが。

「尾浜くんは…黄色が似合うね」
「…あ、ありがとうございます?」
「すっごくかわいい」

心の底から出たような名前からの「かわいい」という称賛、忍者であれば笑顔で受け止めるべきだ。自身の技術を褒められているのだから。しかし、そうあるべきと分かっていても上手くいかない男心。これが同級からの褒め言葉であれば勘右衛門は喜んでいただろう。可憐な響きを持った、かわいいという言葉に矜持がぐいぐい折れそうになるのを感じながら、勘右衛門は苦々しく口を開いた。

「…あの、一応言っておきますが、おれにこういう趣味はないんで、その」
「え?うん。…ふふ、そんな風には別に思ってないから大丈夫だよ」
「そうですか…」

名前が可笑しそうにくすくす笑うので、誤解はされていなかったというのに恥ずかしさが募る。やっぱりこれ以上、この状態で何かコメントを貰うのはキツイものがある。勘右衛門が退散しようとすると、「あ、でも」と名前にじっと見つめられる。

「お化粧は今度教えてほしいかも。私なんかよりよっぽど上手みたいだから」

冗談めかしてそう言った名前に、勘右衛門の中で様々な感情が一瞬にして渦巻いた。化粧を教えるだなんて、そんな状況すっごくおいしい。いや、そうではない。それ以上に何か複雑なものがある。勘右衛門はどうにかこうにか表情を取り繕って「そ、そんなことないですよー」と言葉を濁してその場を後にした。


勘右衛門がいつになく取り乱した様子で部屋に戻ったので、兵助は驚いた表情をしながら「おかえり」と出迎えた。

「な、何があったんだ?」
「う……う〜っ…」
「…課題上手くいかなかったのか?」

呻きながらしゃがみ込んだ勘右衛門を心配した兵助が、傍に寄って肩に手を置く。勘右衛門はその手をがしりと掴んで、兵助に泣きついた。

「名前さんに鉢合わせた…」
「行くときあんなに注意払ったのに?」
「帰り!今さっき!不運なことに!」
「それは……不運だな」

兵助は素直に憐れみの言葉をかける。思い出すだけでも心に来るものがあって、勘右衛門は髪が乱れるのも構わずごろごろ床を転がった。別に名前のことだから授業の一環だと理解しているだろうし、引かれたなんて万が一も思っていない。けれど、男としての、年下としての僅かでもかっこよく見せたいという矜持がぺっちゃんこになった。これはしばらく引きずりそうだ。

「そんなに落ち込まなくても…勘右衛門の女装はかわいいよ」
「そういうことじゃなくて!……え、おれかわいい?」
「ごつさは残るけど仕草とか話し方とかで補えてると思う」
「え〜うれし〜、って今はそういうことじゃなくて!」
「まあ、その仕草や話し方が大げさすぎて若干くさいと感じるときもあるがな」

いつのまにか部屋の戸を開けてこちらを見下ろしていた三郎が鼻で笑う。唐突に表れてその言いぐさはなんだ、と勘右衛門はその不遜な顔を睨み上げた。

「何を芋虫みたいに転がって呻いているんだこいつは」
「苗字さんに女装姿見られたのがショックだって」
「はあ?くだらん」

自分で訊いておいて怪訝そうに顔を顰めた三郎に、勘右衛門は跳ね起きた。

「好きな人に女装姿をかわいいなんて言われてみろよ!言葉にしがたい感情に襲われないか!?」
「人によっては新たな性癖が開かれるかもしれん」
「おれにそんな特殊性癖はない!」
「そうなんだ」
「兵助は何を意外そうにしてんの!?」

相変わらず天然が炸裂している兵助は「いや、あってもおかしくはないと思って」と、とんでもないことを口走った。そんな風に思われてたんだ、と勘右衛門は若干のショックを受けたが、兵助がその様子を察知して「ごめん」とすぐ謝ったので、胸元を掴んで詰め寄るのはやめた。

「それで、三郎の用事は?」
「兵助に借りてた硯を返しに来ただけだ」

ん、と差し出された硯を兵助が受け取る。三郎の用事はそれで終わりのはずだったが、何故かまだ居座る気でいるので勘右衛門はじとりとした視線を向けた。どうせ勘右衛門をからかい足りないのだろう。

「そういえば雷蔵がこの前、事務員と話したと言ってたぞ」
「ああ、おれも名前さんから聞いた。図書室に行った時に話したって」
「勘右衛門が好きになりそうな人だと」
「人格者ってことね」
「勝手に都合のいい風に受け取るな」

都合がいいも何も、事実だ。それとも名前は勘右衛門に似て性格が悪いとでも言いたいのだろうか。そうであれば事務室の柱に一日中三郎を縛り付けて、名前の仕事ぶりを強制的に見せる所存だ。

「でもなんか、分かるな」

口を挟まずに話を聞いていた兵助が、不意に柔らかく笑う。

「分かるって?」
「勘右衛門が好きなりそうな人、って。なんか分かる」

雷蔵や兵助がそう言う理由は、勘右衛門も理解できるものであった。なにせ、納得して自覚した恋だ。だからこそ、友らに見抜かれているような発言をされるのはどこか気恥ずかしくて、視線が思わず兵助から腑に落ちていない三郎へと逃げる。

「いいよ、この話もうやめよう。おれの恋バナなんかつまらないでしょ」
「それは最初からそうだ」
「嬉々として首突っ込んできたくせによく言うよ」

勘右衛門の恋路に、三郎が八左ヱ門と同じくらい食いつきがいいことを本人は自覚していないらしい。


モラトリアムと青い春 14話


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