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TopMainそれって愛でしょ
私が鈍感なだけなのだろうか。いや、多分そんなことはないはずだ。

あまりにも静かに広まっていったのか、それとも広がる速度が恐ろしく早かったのか、もしくは両者。気づいた時には私とクザンが付き合っていることは何故か公の事実となっていた。公、というと大げさかもしれないが、少なくとも私が生活を送るうえで出会う人々には知れ渡っていた。

買い出しに出れば行く先々で「青キジ大将と付き合ってるんだって?」と訊かれ、道行く知り合いには「ちょっと!大将と付き合ってるってほんと!?」と引き止められ、私はかなり参っていた。そこでようやくクザンが有名人だったことを思い出し、やりきれない怒りのような何かが湧いたが、どこにも発散できずに飲み込んだ。

朝からそんな様子で、かなりイライラしながらいつもの店に薄力粉とベーキングパウダーを買いに行くと、店主が私を見て声をあげた。嫌な予感。

「大将と付き合ったんだって!?」
「ああもう!!」

耐えきれずに私が頭を抱えると、店主が目をぱちくりと瞬かせる。つい声を荒げてしまったことをすぐに反省し、ひとつ息をついて気持ちを落ち着かせてから店主と向き合う。

「最近どこに行ってもその話ばっかりで」
「ああ、なるほど。でもそうなっちゃうのは仕方ないだろう?」
「別に今までクザンが誰と付き合ったかなんて話流れてきませんでしたけど」
「だから余計にね」

私と付き合ったことなんて大した話題性に富んでいないはずなのに、どうしてこうも騒がれるのだろうと思っていたが、そもそもこのような話が流れたのが初めてということか。別にあの男は聖人君主でもなかろうに、何故浮世話が流れてこなかったのか。考えてみたが理由が思い当たりすぎたためすぐに思考を巡らすのをやめた。

「それにほら、まさかこんな身近な女の子と青キジ大将が付き合うとは…思っていなかったんだよみんな」
「……」
「まあ僕は一緒に店に来た時からもしかして、とは思ってたけれど」

そういえばこの店は前にクザンと一緒に買い出しにきたことがあったっけ、と思い出す。そんなに前の出来事でもないが、遠い昔のように感じるのはクザンと出会ってから密度の濃い時間ばかりを過ごしているからなのかもしれない。

「思ってもいないお相手だったけど、不思議とお似合いなんだよねえ」
「…もうこの話よくない」
「なんかあったらすぐみんなに言うんだよ〜。ま、名前ちゃんにはあのお母さんいるし平気か!」
「だからこの話もう終わり!」

朗らかに笑う店主にお代を投げつけて、商品を抱えて逃げるように店を出る。
一刻も早く皆がこの話題に飽きてくれないものかとぶつぶつ唱えながら足早に通りを歩いていると、神の悪戯か悪魔の罠か。視界の端に白スーツが過って「あれ、」と聞きなれた声。ついぶわっと体温が上がるのを感じながら見上げれば、会いたかったような会いたくなかったような顔がそこにあった。

「く…クザン……」
「買い出し?」
「そう…だけど、」

居心地が悪くて目線を逸らしたが、特にクザンは何も言わずに「偶然ねェ」とのんびりした様子。会う心の準備をしてない状態で会ってしまうと、いつも以上に冷たい態度になってしまうのをどうにかしたいと思ってはいるのだ。何かしら話題を振らなければ、とクザンを見つめようとしたとき、ふと周りの視線を集めていたことに気が付く。
人通りが多い中、噂の渦中である二人が話していればそれは視線も集まるだろう。冷や汗が全身から大量に吹き出し、一刻も早くこの場を離れようとクザンの腕をぐいぐい引っ張る。

「え?え?なに?どしたの?」
「いいから!」

困惑するクザンを引っ張って路地裏に逃げ込み、人通りが少ない広場へと抜けていく。静けさが広がり、ようやく幾つもの視線から解放されたところで、私は肩の力を抜いた。

「はあ…」
「…なんかあったの?」

原因の張本人は何も分かっていなさそうな顔で私のご機嫌を伺うものだから、ついイラっとして掴んでいた腕を乱暴に投げ捨てる。クザンの顔を見ていると腹が立つ一方でどうにかイライラを鎮めようとそっぽ向くと、クザンが増々困惑を強めた気配がした。

「えェ…おれなんかした…?」
「何もしてないのにこうなってるから腹立つ」
「そんなナゾナゾ出されても…」

うう〜んと律儀に私の発言に頭を悩ませるクザンを見て少し胸がすいたが、事の発端を自分で言うのも恥ずかしく言葉にするのをためらう。それでもいつまで経ってもクザンがナゾナゾの答えを出せないため、私は仕方がなく口を開いた。

「…どこに行っても、私とクザンが付き合ってる話ばっかり」
「あ〜〜…なるほど?」
「もうほんと勘弁してほしい」

む、と口をかたく結んで目線を合わせずにいると、クザンがあやすように私の両手をとる。

「ごめんね、おれが有名人なばっかりに…イッタ!!」

私が一番腹立てていることを軽く口にしたクザンに怒りが倍増して、思いっきり足を踏みつけてやる。クザンの痛がる声を聞いても胸のくすぶりは解消せず、腹いせにもう一度踏みつけてやった。

有名人の彼女、というだけでここまで騒がれているのは腹が立つ以外の何物でもなく、更にその相手がクザンな事実にどうしようもなくイライラする。私の中ではクザンなんて有名人でも大層な人物でもないのに、騒がれている世間とのギャップに、苛立っていたのかもしれない。

「あーあ、有名人の彼女なんてほんと嫌」
「名前ちゃんが嫌がるのよーくわかるけど、そう言わないで。ね?人の興味なんてすぐ移りゆくものだしさ」

人の噂も七十五日、とはいうけれど七十五日も我慢しなきゃいけない時点で私は嫌だ。私を宥めるクザンの言葉を適当に聞き流していると、ふと先ほどの店主との会話が頭をよぎる。クザンの浮世話が噂になったのは今回が初めてに近かったらしい、ということを思いだし、その事実に改めて不安になった。

「……今更だけど、隠したりしなくてよかったの」
「え、隠したかった?」
「いや…、私は別に…」
「おれも別に何も困らないし」

そういうスタンスなのであれば、何故今回が初めてなのか。訊いてみてもよかったが、別にその答えに興味はなかった。ただ、クザンが私に向けた回答だけで満足してしまっているのだから、思っているより自分が単純で笑えてくる。自分に都合がいい解釈のまま心にしまっておきたい、という浅はかな気持ちもあったが。

「噂が広がってニュース・クーにでも載ったらどうしよう」
「世界はそんなに平和じゃないから大丈夫よ」

私の冗談に大分怒りが落ち着いたことを察したらしいクザンが小さく笑う。つられて私も笑っていると、空を見上げて何かを思い出したクザンが気怠そうに頭を掻いた。

「あー…そろそろ本部戻んなきゃなんだけど…」
「うん、早く行きなよ」
「も〜、素っ気ないんだから。…がんばれのハグとか、さ?」
「は?」

つい素でガラの悪い反応をすると、クザンがたじろぐ。何を言ってるんだこいつは、と思ったが、これから戻りたくない仕事に戻るクザンの姿があまりにも哀れで、同情が僅かながら湧いてくる。仕方なく、仕方なくだと言い聞かせて、少し腕を広げれば瞬く間に抱きすくめられた。

別に早く本部に戻って仕事すればいい、と本気で思っていたが、触れる熱とクザンの匂いに離れがたくなってしまう。ぎゅっと厚い体に手を回すと、クザンの手がゆっくりと私の髪を梳いた。

しばらくそうしていると、何か気配を感じてクザンの腕の中で顔を動かしてそちらを見やる。すると、小さな男の子が大きな瞳でまじまじとこちらを見ていた。

「……」
「……」
「…迷子?」
「…そうかも」

二人で抱き合いながら男の子と見つめあう奇妙な空間が広がっていると、おぼつかない足取りで歩み寄ってきた男の子が私に対して小さな腕をばっと広げる。一瞬何が起こっているのか分からなかったが、私の飲み込みと行動は早かった。

「…よ、よしきた!」
「えっ!?」

困惑するクザンの腕を解いて私が両手を広げると、男の子は私に飛び込んできた。その素直な様子にかわいいと心が叫ぶ。ふくふくとした小さい子特有の柔らかい体を抱き上げて、私は呆然としているクザンを見上げた。

「名前ちゃんとられた…」
「うるさい。早く仕事行け」

肩を落として不満げに仕事に向かうクザンの背中を見送り、広場に残された私と腕の中できょとんとしている男の子。今日一日の鬱憤はきれいさっぱり流されていたが、その決定打がハグであることを認めたくなかった私は「ママはどこかな〜?」と男の子をあやして捜索を始めるのだった。


それって愛でしょ 12話


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