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TopMainそれって愛でしょ
「どっか行こっか」
「どっか?」
「デートね」

デート、と称したのは案外数少なく、改めてクザンの口から出たそれに名前は訝しげな視線をよこす。勘ぐるような視線にクザンは心外だと肩を竦めた。

「ちょっと遠出しない?って」
「遠出…」
「よその島とか」
「えっ」
「自転車で」
「えっ!?」

小気味よく驚いた名前につい笑ってしまったのが数日前。実際に能力を目の前で見せるのは初めてだったが、能力自体には大して驚きもなかったようで、名前が目をむいていたのは実際に自転車の乗り方を見せた時だった。
二人乗りを断固拒否する名前をどうにか宥めて乗せると、その安定した乗り心地にすぐ安心したらしい。行く道、名前の機嫌はずいぶんと良かった。

爽やかな海の風を感じながらとりとめのない話をしてサイクリングというのも中々よいものだ。お互い以外の人の気配を一切感じない海の上の時間は、クザンにとっても心地よかった。

海のサイクリングもしばらくすると、ずっと座っているのも疲れた様子の名前が飽きたように欠伸を漏らす。もう少しだから、と苦笑すると、延々と続く水平線を見つめながら名前はクザンに体を預けた。

目的の島が見えてきたところで、うつらうつらしていた名前に声をかける。重たげな瞼を開けた名前は不満そうだったが、水平線の先に見える島に気が付くとぱちりと目を瞬かせた。

「今日のデートスポット?」
「そ、」
「ふうん」

興味のなさそうな相槌をするわりには、爛々と輝く瞳。早くその地を踏みたそうにする名前に、クザンは黙ってペダルを漕ぐ足に力を入れるのだった。


適当なところに自転車をつけると、一足先に島の土を踏みしめた名前が大きく伸びをする。

「んん〜!ついた!」
「自転車もいいもんでしょ」
「もうちょっと座り心地が良ければね」

固まっていた体をほぐすように手足をぶらぶらさせる名前。二人乗り用に自転車改造したほうがいいだろうか、と自身の愛車を見下ろす。しかし、もうすっかり名前の興味は今降り立った島に向いており、クザンも座り心地問題は後回しにした。

余程高揚しているのか、落ち着かなさげにその場をくるくると回る名前をこれ以上待たせるのはかわいそうなので、先を促すようにその背に手を回す。

「行こっか?」
「うん。何すんの」
「いやァ、特に何も決めてねェけど」
「じゃあお散歩だ」
「そうね」

出入りが厳しいマリンフォードでは、住人が外に出ることは少ない。よっぽどのことがない限り、許可証を貰うあの面倒な手続きを踏もうとは思わないだろう。クザンは顔パスで済む分、いい機会だからと名前を外に連れ出してみたわけだが、思ったより喜んでいくれているようだ。

比較的整備されている石畳の道を歩きながら過ぎゆく街並みに、名前の頭は忙しなく動いた。建物の窓などがステンドグラスで出来ていることが多いこの島は、街並み自体が観光名所のようなものだ。視線を落とせば、ステンドグラスが名前やクザンの足元に幻想的な影を落としていた。

「綺麗だね」
「そうねェ。この島、有名だった気がするわ」
「ステンドグラス?」
「ステンドグラスっていうか、ガラス細工?」

名前はへぇと感嘆の声を漏らして、きらりと反射するステンドグラスに目を細めた。色彩豊かな街並みをゆっくりと並んで歩いていると、比較的中心街の方に出たらしく、少しがやがやとしだした雰囲気に辺りを見渡す。
間も空けずに並んだ様々な店。並ぶ店に興味を示しながらも意外と名前の足が止まることはなく、ふらふらとウィンドウショッピングを続けていると、一着のワンピースの前でぴたりと名前の歩みが止まった。

「入る?」
「いや…でも、」

心惹かれているのは一目瞭然なのだが、何故か少し渋る名前。店に入るのに何をそんなにためらうのだろうか、とクザンが不思議に思っていると、名前は苦い顔でクザンを見上げた。

「今日は…クザンいるし、」
「?、別におれはかまわねェけど…」
「人に買い物付き合わせるの嫌なんだよね。ゆっくり見れないし」

その言葉に嘘が含まれているとは思わなかったが、相手にもよる、といったニュアンスを感じたクザンは名前の顔を覗き込む。

「でもあの服はここでしか買えなくない?」
「……」

名残惜しげにちらちらと店の方向に動く名前の視線。もう一押しかな、とクザンはショーケースを一瞥する。

「あのワンピース名前ちゃん似合うと思うけどねェ…」
「……」
「…見る?」
「……みる」

ぽそりと呟かれた言葉にクザンへの遠慮が取り払われたらしいことが分かって、クザンは「じゃあ見よ」と名前の手を引いて店の中に入る。

店に入ると、愛想のよい店員がクザンたちを出迎えた。店員と話し始めた名前の声を聞き流しながら、目的もなく店内見渡して待っていると、すぐ試着することになったのか試着室へとぱたぱた駆けていく名前。何気なく店員を見やると、にこりと微笑まれアイコンタクトのようなものをされたので、クザンも試着室の近くへと歩み寄った。

別に買い物に付き合わされるのは苦ではない。暇じゃないと言えば嘘になるが、この程度の時間とられようが気にはならないし、名前が楽しんでいることにたいして無駄な時間を割いているとは微塵も思わなかった。
試着室の中から聞こえる衣擦れ音を聞きながら、立ったまま意識を遠のかせていると、カーテンが開く音がして慌てて手放しかけていた意識を引き戻す。

顔を上げると、パステルカラーのワンピースを身にまとった名前と視線がかち合った。つい観察するように全身を見ると、かなり分かりやすく目を逸らされる。何か感想を言っても素直に受け取ってもらえない予感はしたが、何も言わないのも機嫌を損ねるだろうと思い、素直に「かわいいね、似合ってる」と口にすれば、やはり微妙な反応が返ってきた。
試着をし終えたことに気が付いた店員が近寄ってきて、名前を見るなり高い声をあげる。

「とってもお似合いです」
「そー…ですかね」

クザンの褒め言葉には返事すらしなかったが、店員の言葉には照れ臭そうに返して、試着室の鏡と改めて向き合う名前。くるくると回って自身の姿を確認すると、何故かまた名前がじっとクザンを見つめてきた。

「?、かわいいよ」
「……ん、」

どうやら買う決心がついたらしい。名前がまたカーテンを引いて中に戻っていったのを見届けて、クザンは隣の店員に声をかける。

「じゃああれお願い」
「かしこまりました」

会計を済ませて試着室から出てきた名前に荷物を掲げて見せると、名前が目を丸くしてクザンの元に駆け寄ってくる。

「他は平気?」
「平気、だけど…」
「じゃあ行こっか」

店員に見送られながら店を出て歩いていると、服の裾を引かれてちらりとこちらを窺う名前と目が合う。嬉しさが隠しきれないのか、ふにふにと緩む名前の口元が可笑しくてつい笑ってしまいそうになったが、ぐっと堪えた。

「…ありがと」

小さく呟かれたお礼に、クザンの口元も緩む。珍しく素直に嬉しそうにしている名前の頬を撫でれば、その肩に力が入ったのが分かった。

「今度着てきてくれる?」
「…いい、けど」

名前はクザンのお願いをぎこちなく了承すると、ふいと顔を逸らして俯く。耳や首筋まで赤くなっているのは見なかったことにして、先ほどのワンピースを着た名前を想像する。
きっとクザンとのデートに着てはくれるのだろう。しかしいざ着てきたときは、また照れ隠しで微妙な顔を湛えて待ち合わせ場所にいるんだろうな、と思うと面白かったがやはりこれも黙っておいた。

その後、クザンに対しての遠慮が完全に無くなったのか、見たい店にはちらちら入り始めた名前のショッピングに付き合っていると、いつの間にか昼過ぎになっていた。名前の様子を窺いながら辺りの飲食店に意識を向けていると、ジャストなタイミングで名前が「お腹減った」と呟く。

「何食べたい?」
「うーん、ここって何が有名なんだろう」
「何だろうねェ。ま、ふらふらしてみるか」

結局、雰囲気の良さげな適当な店を見つけたため、大して迷いもせずに中に入る。ピークを過ぎた店内はそこまで混んでおらず、すぐに座ることができた。
席について一息つく名前と、クザンの手の中にある荷物に、しっかり休日を満喫しているなという妙な感覚に満たされる。改めて考えると、一日名前と過ごすのは初めてのことだった。

「なんか…、変な感じ」
「うん?」
「クザンと一日一緒にいるって、変な感じ」

名前の口からもちょうど考えていたことが出てきて、僅かに驚くのと同時に可笑しくなる。

「嬉しいってことね」

軽く揶揄るように口にすると、返ってきたのは無言で思わず二度見する。名前のことだから真っ先に反論してくると思っていたのだがそれも無く、さらに流れる沈黙や名前の表情はクザンの言葉を否定するような雰囲気ではなかった。
驚いて言葉を失っていると、名前の目が「悪いか」と言わんばかりに睨みつけてくるものだから、クザンは慌てて顔の前で手を振る。

「いや…、ね、おれも嬉しいから」
「……」
「ほんとだって。普段は中々ゆっくりできないし」

仕事人間である同僚たちに比べれば、自主的息抜きをするクザンは人より余裕があるかもしれないが、それも微々たるものだ。常日頃時間に空きがあるかと言われればそうはいかない。
遠征や個人的な遠出でしばらく会えないことだってある。こうして一緒に過ごす時間が長いと感じられるだけ一緒にいられる日というのは貴重だった。

クザンの言葉にそれなりの重みを感じたのか、名前は厳めしい顔を解いてアイスティーに口をつける。

「べつに、私は……」
「…ん?」
「なんでもない」

何かを言いかけた名前はそれ以上は口にしなかったため、クザンも突っ込むのはやめておく。ちょうど頼んでいた料理も運ばれてきたため、話は途切れたが特に気にはならなかった。
別に悪い言葉を引っ込めたわけじゃわけじゃないと感じていた。言いかけた内容には触れることなく、その後は他愛もない話をしながら、二人は昼食の時間を過ごした。

***

昼食後もゆったりとショッピングや観光をしていると、気づいたときには大分日が沈んでいた。楽しい時間はあっという間というが、早く過ぎてしまったという感覚と共に随分長い時間一緒にいたなという感覚も湧いてくる。

ぼちぼち帰ろうと自転車を置いていた場所に戻ると、少し眠たげな眼で名前が自転車を見つめた。

「帰るのめんどう…」
「じゃあ泊まる?」
「……明日仕事でしょ」

非難の目を向けてきた名前に肩を竦めて自転車のストッパーを外す。気だるげに自転車に乗る名前がきちんと座ったのを確認してから、クザンはペダルを漕ぎ始めた。

もう辺りは大分暗くなっており、行きとまったく違う光景が広がる海の上を進んでいく。海がさざめく音と、氷結した上を自転車が滑走する音だけが響いていた。
ぽつぽつと今日の思い出話をしていたが、やがて会話が途切れ静かになった名前。寝たのかと思いそろりと覗き込むと、寝落ちしかけていた最中のようで、瞼が重たげに上下していた。

「…くざん」
「ん?」

眠るならそっとしておこうと思った矢先に声をかけられたものだから、クザンは名前の声に大きく耳を傾ける。

「……たまにでいいよ」
「え?」
「…たまにで、うれしいから」

一瞬何のことを言われているのか分からなかったが、数秒して今日のデートのことだと気が付いた。同時に昼間名前が飲み込んだ台詞を思いだして、このことだったのかと腹落ちする。
眠たげな声だったが、確かに名前の本心であるそれに、何か衝動のようなものが喉から飛び出そうになる。しかしハンドルを握って自転車を漕いでいる今、クザンは喉の奥に溜まった激情を霧散させるように大きくため息をつくことしかできなかった。

「キスできないときにそれ言うのやめてよ…」
「あほ」

既に目を閉じて眠ったものだと思っていたが、まだ起きていたらしい名前から即座に飛んできた照れ隠しに目を見開く。だがしかし、やはりこの状況ではどうしようもできずに、クザンは黙ってペダルを漕ぎ続けるのだった。


マリンフォードについたのは夜だった。眠っていた名前を起こして家まで送り、軽くキスを落とす。眠さの限界だったらしい名前の反応がいつもより鈍いのが若干面白かったが、胸の内でとどめて家のドアを潜るのを見送った。

クザンも帰路を辿ろうとポケットに手を突っ込んで歩き始めると、ポケットに入った何かに気が付く。過去の自分がゴミでも入れてただろうか。いやそれにしても固い。と不思議に思いつつ中身を取り出すと、クザンの手のひらの上でそれはきらりと光った。

「なにこれ」

ポケットに入っていたのは青のガラスが埋め込まれたネクタイピンだった。全く心当たりのないそれに、首を捻る。だが、次の瞬間に今日訪れた島のお土産の品々を思いだしてクザンは「あ、」と間抜けな声を漏らした。
それが名前の仕業であることにすぐ気が付いたのは、理由があった。

クザンは頭を抱えた。なぜならば、クザンも同じことをしていたからだ。別に意味もなく名前に似合うと思って買ったガラス細工のピアスを、大げさに渡すものでもないかと名前のバッグに無言で入れたのが昼過ぎの話。家に帰ったら気が付くだろう、とその後はすっかりそのことを忘れていた。

名前がいつクザンのポケットに入れたのか分からないが、名前も恐らく直接手渡すのが嫌でこんなことをしたのだろう。

「いやァ…まいった……」

手のひらでネクタイピンを転がして、クザンは苦笑した。突然のサプライズに、仕掛けられた相手もいない状態ではどんな反応をしていいかすら分からない。とりあえず帰宅しようと、止めていた足を進めながら名前が次のデートで今日のワンピースとピアスを揺らした姿を想像して、今日一日の満足感を噛み締めるのだった。


それって愛でしょ 13話


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