a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMainモラトリアムと青い春
ぐっと背伸びをして誰も見ていない廊下で一息をつく。うーん、疲れたし何よりお腹が空いた。今日は朝から小松田トラブルが立て続けに起きたため、お昼を食べ損ねたのだ。こういう日も別に珍しくないため、慣れたと言えば慣れたのだが。
とりあえず手元にある各委員会の経費精算書を配り終えたらひと段落つくため、その後食堂のおばちゃんにおにぎりでも貰えないか頼んでみることにしよう。もうひと頑張り、と肩を軽く回してから、私はまず学級委員長委員会へと足を運んだ。

なんだかんだ、学級委員長委員会に訪ねるのは初めてだ。常日頃、尾浜くんと話す機会が多いため、委員会の用事があるときはついでに済ませてしまうことが多い。そのため、改めて訪ねるとなると少しだけ緊張した。尾浜くんがいてくれるとありがたいんだけど、とどこか祈るような気持ちで私は目の前にした部屋の戸をじっと見つめた。

…なんて声かけよう。各委員会へのコンタクト自体は初めてでもないし、仕事なんだから何も迷うことはないのだが、変に手に汗が滲む。文字がぼけたらいけないと思って、書類を持ち替え手汗をぱたぱたと乾かしていると、目の前の戸がひとりでにがらりと開いたので私は小さく飛び跳ねた。

「……」
「…こ、こんにちは」

中から出てきたのは、不破くんそっくりの顔をした鉢屋くんだった。どうしよう、鉢屋くんとちゃんと話すのはこれが初めてなのである。鉢屋くんは私を見るなり訝し気に眉根を寄せて、小さく息をついた。

「勘右衛門ならいませんよ」

鉢屋くんの肩越しに部屋を見ると確かに他に誰もいないらしい。だが、別に尾浜くんじゃなきゃダメな理由はない。心なしか人を寄せ付けない空気を醸し出している鉢屋くんに若干尻込みしたが、仕事だと切り替えてかぶりを振った。

「ううん、尾浜くんに用があるわけじゃないの。これ、学級委員長委員会の今月の経費精算書」

そう言って差し出すと、鉢屋くんはぱちりと瞬きをしてから書類を受け取る。

「軽く確認してみてもらえるかな?問題なさそうだったらそれ以外に用事はないので」

鉢屋くんは何故か数秒私の顔をじっと見つめてから、書類に視線を移す。そして上から下へとざっと目を通すと「…問題はありません」と答えた。

「確認ありがとう。じゃあ、私はこれで」

なんか鉢屋くんも話したくなさそうな雰囲気を出しているし、とっとと退散するに限る。そう思って踵を返そうとしたが、どこか不機嫌さをにじませた鉢屋くんの声が「あの」と私を呼び止めた。振り返ると、鉢屋くんは視線を斜め下に落としながら逡巡のちゆっくりと口を開く。

「…常々思っていたのですが、ここの記述、分かりにくくないですか」
「え?」

鉢屋くんが書類を指さすので、私も慌てて近くに寄って覗き込む。

「用途の他に備考欄とか追加したらもっと見やすくなるのでは」

言われてみれば、確かに。これだけの記述では情報が漏れることもあるだろう。実際に後から見返して分からなくなることも多々あった。突然降ってきた鉢屋くんの有用な意見に、私はふむふむと頷いた。

「うん、鉢屋くんの言う通りかも。ありがとう、吉野先生にも相談してみるね」
「……」

こういう意見を出してもらえるのはありがたい、と感謝の気持ちを込めて笑顔を返せば、鉢屋くんがまた不自然に黙り込んだ。…もしかして私の対応に何か不満でもあったのだろうか。
漂う緊張感と沈黙に気まずい思いをしていると、ぐう、と。私の空気を読まない腹の虫が音を立てた。

「……お昼食べてなくて…ごめんね」
「……いえ」

私が恥ずかしさに俯くと、鉢屋くんはすっと立ち上がって部屋の奥に行くとがさごそと何かをあさり始める。そしてお目当てのものを片手に戻ってくると、「どうぞ」と私に包みを差し出した。出されたものが饅頭なことに気が付いた私は、申し訳ない気持ちに思わず体がのけぞる。

「えっ、全然!あの、大丈夫だから!気を遣わせちゃってごめんね…!」

わたわたと私が無様に慌てていると、追い打ちをかけるようにまた腹が鳴って顔に熱が集まる。すると、鉢屋くんは強行突破とばかりに固まった私の手に有無を言わさず饅頭を握らせた。

「いいから、うるさいので食べてください。どうせなくなっても文句言うのは勘右衛門くらいです」

ぴしゃりと言い切られてしまい、私は饅頭を突っ返すこともできずに佇んだ。尾浜くん…、と一瞬お菓子を取られて落ち込む様子が頭をよぎったが、よく考えたら尾浜くんはそこまで狭量ではない。鉢屋くんの好意をこれ以上無碍にするのも気が引けて、私は観念してありがたく懐に饅頭をしまった。

「ありがとう鉢屋くん…」
「いえ。用件はそれだけですのでどうぞ仕事に戻ってください」

ぶっきらぼうな言い方もそれほど気にならなくなってしまい、私は笑みがこぼれそうになるのをこらえながら鉢屋くんに礼を述べてその場を去った。
少し癖はあったが、やはり鉢屋くんも根は優しいようで忍術学園の子だなあ、としみじみ感じ入る。そもそも忍術学園の子で癖がなかったことなどないので、あの程度そう気にはならない。
そういえば、不破くんと同じ顔をしていても、雰囲気や仕草が違っていればちゃんと別人に見えるというのも不思議だった。鉢屋くんが本気を出して変装をすれば、それはきっと見分けがつかないのだろうけど、恐らく今日の鉢屋くんは素だったのだろう。

さて、懐の饅頭を食べるためにも、残りの仕事をとっとと終わらせてしまおう。自身に喝を入れ直して廊下をしゃきしゃき歩いていると、いつもの弾んだ声が私を呼んだ。

「あ、名前さん!」

もうそんな風に声をかけられるのもすっかり慣れたので、特に驚かず振り返ると尾浜くんがにこにこと手を振る。後ろには一年生の後輩を連れていて、よく見ると尾浜くん含め全員学級委員長委員会の子たちなことに気が付いた。

「ちょうどすれ違いだったみたいだね」
「え、どういうこと?」
「今、学級委員長委員会に行ってきたばかりなの」
「ええ〜!…ってことは三郎と話したんです?」
「うん、少しだけど」

そう言うと尾浜くんは何故か微妙な顔をして「へえ…」と相槌を漏らす。

「もう行っちゃうんですか?」
「書類は鉢屋くんに渡したからね」
「ざんねん」

尾浜くんが大げさに肩を落とすと、後ろにいた庄左ヱ門くんがひょっこりと顔を覗かせて私と尾浜くんを交互に見つめた。

「尾浜先輩、ほんとうに事務員の苗字さんと仲がよろしいんですね」
「ふふん、まあね」
「そこ威張るところなの…?」

胸を張って鼻高々にする尾浜くんに苦笑いしていると、「あの!」と彦四郎くんが私を見上げて唐突に声をあげる。

「ぼく、今福彦四郎って言います!」
「う、うん。勿論知ってるよ。彦四郎くん」
「えっ!?」
「えっ」

何故か大層びっくりされたので、かがんで目線を合わせると、彦四郎くんはもごもごと口をすぼめた。

「ちゃんとご挨拶していなかったので、ご存じないかと…」
「あはは、もうちゃんと全生徒さんの名前覚えたから」

すると彦四郎くんはまるいほっぺを僅かに赤く染めて、恥ずかしそうに俯く。何か言いたいのだろうと思い、顔を覗き込んで促すと、決心したように手に拳を作り顔をあげた。

「あの!ぼく、というか、ぼくたちとも、仲良くしてもらえませんか!」
「え?」
「い、一年い組のみんなも、苗字さんのこと気になってはいたんですけど、中々お声がけすることができなくて…!」

そこまで言われてようやく意図を理解し、かわいらしいお願いに無条件で顔が緩む。いけない、ちょっと人前に晒すには無様すぎる顔になっていた。慌てて表情筋を叱咤していると、尾浜くんがくすくすと笑いながら彦四郎くんの頭を撫でる。

「一年い組は人見知りなやつらが多そうだもんな」

なるほど、それで中々私に声をかけられなかったらしい。一年は組の子は人見知りなんて言葉を知らなさそうな子たちばかりで、放課後の遊びにも時たま巻き込まれるのでよく交流がある。
ろ組の子は怖がりだけれど私が女性ということもあって人見知りらしい人見知りはそんなにされたことがない。そうなると、確かにい組の子たちだけあんまり話したことがない。この前の会計委員会での左吉くんぐらいだろうか。

「えっと、彦四郎くん」
「はい!」
「私の方こそ、ぜひ仲良くさせてほしいです。よろしくお願いします」
「は、はいっ!ありがとうございます…!」

私が笑顔を返せば、彦四郎くんもぱっと嬉しそうな顔を咲かせた。そのかわいさにまた顔がとんでもなく溶けそうになっていると、尾浜くんが先ほどとはまた違う表情でふふんと鼻高々に私を見ていた。
うちの後輩、かわいいでしょう、と。つまりはそういうことだろう。私は神妙に頷いて、彦四郎くんのかわいさを噛みしめたのだった。


モラトリアムと青い春 21話


prev │ main │ next