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TopMainモラトリアムと青い春
正直に言おう。気が抜けていたと。夜空に浮かぶ星を数え始めていたくらいなのだから、言い逃れできないくらい思考が何処かへ行っていた。そんな折、仙蔵からちらりと目線を送られたことに気がつく。やば、と思った瞬間、暗闇に仙蔵の凛とした声が静かに響いた。

「ときに勘右衛門」

咎められるだろうと勘右衛門はぴゃっと肩を竦めたが、仙蔵の口元は笑みを湛えていた。それはそれで違う方向の悪い予感が働いて、顔がひきつる。

「苗字さんと何か進展はあったのか?」
「ぅえっほ、げほっっ」

あらぬ角度からの攻撃に、勘右衛門はむせた。そして文次郎から静かにしろという無言の圧を送られたので、慌てて喉を整える。今する質問だろうか。とは思ったものの、これは気が抜けていた勘右衛門への罰なのかもしれない。……ただの野次馬根性の可能性も大いにあるが。

「いやなに、この間も血相を変えて保健室に飛び込んでいただろう?」

勘右衛門は凄い勢いで伊作の方を見た。が、そのまま視線を逸らされた。この前、というのはどう考えても予算会議の日のことで、あの日勘右衛門が保健室に訪れた時、その場にいたのは名前と新野先生と伊作だけだ。情報が漏れたとすれば犯人は伊作以外にない。恨めしい気持ちを抱えながら、勘右衛門はどうにか追及を逃れようと必死に頭をフル回転させた。

「別に何も…ないです。というか、おれが何もするつもりがないので…」

嘘はついていなかった。それは仙蔵も分かったのだろう。ぱちくりと目を瞬かせてから、乾いた息を吐いた。

「つまらん。もっと若さのせいにして迫ってもバチは当たらんだろう」
「おい…」

仙蔵の暴言をさすがに看過できなかったらしい文次郎が呆れたように諫める。バチは当たらなくても木下先生の逆鱗に触れるだろうが、という反論はどうにか飲み込んだ。大前提に、そんなことをして名前に嫌われたり、引かれたくないというのがある。

「ふうん、勘右衛門は苗字さんのことが好きなのかー」

今まで全く興味を示していなかった小平太が急に口を挟んできたものだから、勘右衛門は一瞬心臓が止まる。一体何を言われるんだとヒヤヒヤしていると、小平太は夜の闇にあまり似つかわしくない笑顔を浮かべた。

「苗字さんと結婚したら、木下先生が親戚になるな!」

勘右衛門が名前に対して感じている一種の障壁を明け透けに言われ、勘右衛門は心が地面にめり込むかと思った。この一瞬にして心の傷を沢山負った勘右衛門を見兼ねて、伊作が「もうやめてあげなって」と制す。それもそんなにありがたく感じないのは、伊作が情報を漏らした本人だからだろう。
隣にいる八左ヱ門が一切口を挟めずに、しかし同情してくれている雰囲気だけは感じ取っていると、文次郎が立ち上がって厳しい顔をこちらに向けた。

「無駄話は終いにしろ。合図だ」

文次郎の一言に、六年生たちの顔つきが瞬時に変わる。勘右衛門と八左ヱ門もその空気につられ、気を引き締めた。こんな精神攻撃を受けた後で潜入だなんて、勘右衛門は何か試されているのだろうか。ちょっとだけ泣きたくなったが、無駄な考え事は命取りになるため雑多な思考は彼方へと投げた。

***

無事に城の見取り図作成と火薬や武器の数などを把握する、という課題を終えて、勘右衛門たちは帰路についていた。課題だけではなく先のことがあった勘右衛門がぐったりしていると、兵助が心配そうに首を傾げる。

「何かあったのか?」

兵助は先鋒として城に潜入し合図を出す役目だったため、勘右衛門が六年生に総攻撃を受けていたことは知らない。

「兵助がいない間、先輩方に袋叩きにされたんだ…精神的に」
「ええ?」

八左ヱ門が「苗字さんのことで詰め寄られたっていうか、からかわれたっていうか…」と苦笑いで補足すると、兵助が困惑したような表情を浮かべる。

「知らないうちに恨みでも買ったんじゃないか」
「こ、怖いこと言うなよ」

ぞっとする話である。しかし、多分あれはかわいくない後輩の情けない片想いを面白がっているだけである。それはそれでなんと性格の悪い事か。だからといって仙蔵に仕返しでもしようものなら倍返しされることは明白なので、勘右衛門は泣き寝入りするしかなかった。早く興味を失ってくれないものか、と詮無いことを願っていると、何か考え込んでいた様子の八左ヱ門が口を開いた。

「…本気なんだな、勘右衛門」
「え?」

ぽつりと落とされた八左ヱ門の台詞に顔を上げる。

「いや、なんつうか…正直、一過性のものだと思ってたよ。勘右衛門のことだし」
「八左ヱ門っておれのこと快楽主義者かなんかだと思ってない?」

うっと言葉に詰まった八左ヱ門に、勘右衛門は心外だと肩を竦めた。確かにそう思われるような振る舞いがなかったとは言わないが、そこまで行き過ぎているつもりはない。名前のことだって振り向いていくれないからとか、飽きたからとか、そんな理由で放り投げられるようなものではなかった。

「本気だよ。おれはいつだって本気」
「みたいだな…」
「よく寝る前に唸ってるし、勘右衛門は苗字さんのことに関してはいつも真剣に悩んでるよ」
「それは言わなくていいかな兵助」

うあ〜と奇声を上げながらごろんごろん布団の上を転がっていたのは確かに事実なのだが、同室として胸の内に留めておいておいてほしかった案件である。勘右衛門が気恥ずかしさに目を伏せていると、ばちっと背中に衝撃が走る。見れば八左ヱ門が勘右衛門の背を叩いて、にこにこ、いや、にやにやと上機嫌な様子で。

「相談、いつでも聞くからな!」
「やめてくんない。その、あ〜勘右衛門もおれと一緒じゃん〜、みたいな顔」
「だって、そうだろ」
「おれは告白もせずに横から掻っ攫われてうじうじするなんて真似しないから」
「なっ…」

過去のトラウマを呼び起こされて絶句する八左ヱ門の横で、兵助が「そんなこともあったなあ」と呟く。勘右衛門がしてやったりと鼻を鳴らしていると、暗闇から殺意が飛ばされた気配がして五年生ら全員が竦みあがった。「何ちんたら歩いてるんだ」と文次郎に怒号を飛ばされる三秒前である。


モラトリアムと青い春 22話


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