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TopMainそれって愛でしょ
よく晴れている。申し分のない、引っ越し日和というやつだ。引っ越しといっても名前の私物を持ち出す程度で、そこまで大がかりなものではないのだが。名前がまとめた荷物をクザンが荷車にせっせと運んでいると、家の中から名前の母が出てきてクザンを呼んだ。

「クザンさん、ちょっと」

名前の母と会話をしたことは意外にも殆どない。勿論挨拶くらいはしたことはあるが、込み入った話などは一度もなかったためクザンに緊張が走った。クザンが謎にへこへことしながら寄っていくと、名前母はクザンをじっと見上げる。

「あんまりうちの子甘やかさないでね。すぐ自堕落な生活し始めるから」
「…あ〜〜…、善処する、としか…」

クザンが歯切れ悪く答えると、名前母は訝し気な顔をした。

「…クザンさん、本当に何でうちの子にそんな甘いの」
「甘くしてるつもりもあんまないんですけどね」

自分と付き合うってだけできっと数えきれないほどの我慢や不安を強いているのに、他の部分でこれ以上名前に心の負担を増やしたくなかった。だからクザンが叶えられる望みならなんだって叶えてやりたいと思うし、金だっていくらでも余らせているのだから好きに使ってくれていいと考えていた。
どうやらそれが名前母の目には「甘い」と映ったらしいのだが、だからといってクザンは自分のスタンスを崩す気もなかった。それは名前母にもよく伝わったようでため息ひとつ吐いて「言っても無駄みたい」と肩を竦める。

「何があるか分からない身なんで、できるだけのことはしてやりたいっていうか…」
「あら、弱気なこと言うのね」
「こと名前ちゃんに関してはいつでも自信がない男ですよおれは」

クザンがそう言って苦笑いを零せば、名前母は意外そうにぱちりと目を瞬かせた。

「まあクザンさんの立場を考えると、確かに送り出す側として不安がないと言ったら噓になるけど…」

あけすけな物言いに、クザンが微かに動揺したのも一瞬。名前母はクザンを見上げてくすりと笑った。

「今が幸せならいいのよ。後のことは後で考えましょ」

ぽん、と背中を軽く叩かれて、クザンは無意識に強張っていた肩を下ろした。なんというか、母は強しってやつだ。どこか意志の強い瞳に名前との面影を重ねて親子を感じていると、どかどかという物音の後に名前が家から顔を覗かせた。

「クザン、これでラストだから!」

荷物を指さした名前にクザンは「了解」と返して、荷運びを再開した。


全ての荷物をクザンの家に運び入れ終わる頃には昼過ぎになっていた。名前の家とクザンの家、距離にしてそんなにあるものでもなかったが、大量の荷物を運んで何度も往復していればさすがにクザンも疲れた。歳かな、とソファーで一息ついていると、家の中に入ってきた名前が「おつかれ〜」と笑顔で声をかけてくる。力仕事は全てクザンが担っていたため、名前は比較的元気だ。

「さっきママにアイスコーヒー貰ったから淹れてあげる」

上機嫌に水筒を揺らしてキッチンに入っていく姿を思わず視線で追う。エメラルドグリーンのワンピースを揺らしてキッチンで作業をする名前。差し込んでくる太陽の光もあいまって、クザンはそれを眩しく見つめた。
グラスにアイスコーヒーを注いで、おやつのマドレーヌを皿によそった名前は、その二つを持ってクザンの元へと戻ってくる。

「お疲れさま、クザン」

キラキラしている。クザンの視界がきらめいている。名前がかわいいのは普段からだったが、今日はより一層輝いてこの世のものとは思えないほどかわいく見える。その光の強さにクザンは顔を手で覆っていた。

「…なにしてんの」

名前の素の突っ込みにクザンはいくらか正気を取り戻して、胸いっぱいの気持ちをなんとか宥めた。

「思ったより嬉しいみたい、おれ」
「は?」

名前は未だクザンを怪訝そうな顔つきで見ていたが、クザンは構わず隣にいる名前を堪能する。

「名前ちゃんが家にいるな〜って思うと…なんか。…フフ」
「きしょ…」

漏れ出た暴言の声のトーンは本物そのものだったが、背けた顔が赤いことに気が付く。クザンはずずいと名前の方へ距離を詰めて、膝に置かれていた手を取る。ぴくりと跳ねた指先を押さえ込むように握りこむと、名前が観念した気配がした。

「なんでもわがまま言ってくれていいから」
「…わがまま?」
「うん」

名前が不思議そうに振り向く。手を伸ばして顔の横に落ちる名前の髪を耳にかけると、名前がくすぐったそうにした。

「そんなにお利口さんでいなくていいからね、ってこと」

ずっと思っていたことを告げると、名前が息を呑む音がした。指先で頬を撫でてやれば、名前は詰まっていた息を細く吐き出して、ぎこちなく頷く。うん、という小さな声は、不安に満ち満ちていた。
名前はクザンと付き合う上で、どこかいい子でいなくてはならないと思っている節がある。月日を重ねるにつれ、その傾向が強くなっていくのを感じていた。ましてや同居なんて始めてしまっては、負荷が大きくなってその我慢の糸がいつか切れてしまうのではないかとクザンはほんのり心配していたのだが、あまりにも頼りない返事を見るに不安が的中しそうだ。どうしたものか、と思いつつ、クザンは抱き寄せた名前の背を撫でた。

「……一緒に風呂入る?」
「入んない」
「同棲一日目なのに…」

あまりの即答具合にクザンはしょんぼりと名前の肩口に顔を埋める。

「…これからもよろしくね」
「……うん。よろしく」

まあ、なんとかなるだろう。どうあれ、クザンは名前を自分から手放すつもりは毛頭ないのだ。今は、腕の中の名前の温もりを際限なく感じ続けられることに、幸せを感じていた。


それって愛でしょ 21話


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