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TopMainそれって愛でしょ
想像していた通り、あんまり生活自体が大きく変わった感じはなかった。クザンと一緒に住んでるとはいえ、家の仕事を辞めたわけではない。クザンの家から(元)自宅へと出勤し、仕事を終えて家へと帰る。そんな日々が続いた。
クザンは大抵家にいないので、がらんとした空間に自分がドアを開けた音が響くのはどこか寂しかったけれど、たまにクザンが家にいるときは「おかえり」って返ってくる。それがこそばゆくて仕方なかった。クザンが言っていた「家にいるっていいなあ」を、その時初めて私も噛み締めたのだった。

今日もいつものように出勤してエプロンを身に着けていると、母がタッパーをドカッと目の前に置いた。

「昨日ドライカレー作ったから持って帰って」
「あ、ありがとう」
「まだ量の調節がいまいちできないのよ。もう余る余る」
「あー…」

元々、私と妹が育ち盛りの頃の感覚が抜けないまま料理を大量に作ってしまう癖がある母だ。それで人数が減ったとあれば、量の調節が効かずに料理が余るであろうことは容易に想像がつく。私が食べきれなくてもクザンが食べるし、と思って受け取った重みはそんなに気にしないことにした。
こう毎日顔を合わせていると特にホームシックなんてものは生まれなかったが、料理のありがたさはしみじみと感じる。クザンと暮らし始めてからは必然的に私が料理を作るようになった。別にできないわけじゃないけれど、腹を満たせればいい精神の私だから凝った料理を作るのは苦手だ。まあ、クザンはあんまり気にしない人だからそれでも何とかやれているけれど。母のありがたさは往々にして家を出てから染みるものだよな、と思いつつ、改めて礼を言ってから私はホールへと出た。

忙しいランチタイムを終えれば、あとはゆったりとした時間が流れる。今のうちに補充系を終わらせてしまおうと奥に行こうとした瞬間、入口のベルが鳴る。笑顔で声をかければ、私服姿も大変眩しい美女が立っていた。

「こんにちは、名前ちゃん」
「メリアさん…!」

クザンの元カノ、改め中身も外見も素晴らしい美女メリアさん。以前の出会いから何度か店は訪れてくれていて、クザン関係なくメリアさんとは個人的にお付き合いを続けていた。少し本部を離れていたらしいメリアさんと会うのは久しぶりで、飼い主に会えた犬ばりにはしゃいだ様子で駆け寄ってしまう。

「これ、プレゼント」
「えっ!いいんですか?」
「うん。結婚お祝い」

にっこりと艶やかな笑みで落とされた爆弾発言に硬直する。結婚?誰と誰の??とパニックになったが、文脈的に考えれば他になく。私は努めて冷静に、極めてクールに返事をした。

「けっ……こんは、してないですね…」
「一緒に住み始めたって」
「一緒に住んでるだけで結婚はしてないです」
「あら、そうなの。…でも時間の問題でしょ?」
「いや、そこは……知らないですけど…」

結婚。そんなことクザンは考えているのだろうか。かくいう私も考えことなんてなかったから、改めて突き付けられたワードに考え込んでしまう。思ったより私とクザンは刹那的に付き合ってきたのかもしれない。けれど、それも仕方ないと思うのだ。クザンみたいな人を前にして末長くとか、何も考えずに浮かれて想像できるものではない気がした。簡単に手を伸ばせるような未来じゃないと、どこかでそう感じている私がいる。

黙り込んだ私にメリアさんはぱっと明るい声をあげた。

「やだ、意地悪したかったわけじゃないの。ごめんなさい」
「意地悪なんて、全然そんなことは…!」

私も変な空気を醸し出してしまったことに対して申し訳なくなっていると、メリアさんが私に渡してくれたプレゼントの紙袋をつんと揺らす。

「とりあえず、プレゼントの感想を聞かせてくれる?話はそれからにしましょ」

空気を変えてくれたメリアさんに安堵と感謝でいっぱいになりつつ、大きく頷く。プレゼントも開けたいし、会ってなかった期間が長い分したい話は沢山ある。クザンの愚痴とか、そうじゃないこととか。私はとりあえずメリアさんがいつも頼むカフェラテのオーダーを入れるべく、厨房に引っ込む。

結婚、結婚かあ。とどこか脳内でぐるぐるしながら、私はその日仕事を終えた。


締め作業を終わらせて外に出ると、薄暗く、肌寒かった。今日はクザン早く仕事を終わらせて帰るって言っていたからもう家にいるのかもしれない。そう思うと、心なしかせかせかと足が動いて、いやこれは寒さのせいだと自身に言い聞かせた。
飲食店が並んでいる通りは夜はガヤガヤと騒がしくなる。ここを通るのが家まで一番近い私は人波を縫って進んでいると、不意に知らない男がぱっと目の前を塞いだ。早く帰りたいというのに何事だと顔を上げると、明らかに酔っぱらっている海兵だった。

「一人?一人なら一緒にご飯しない?」
「……」

経験上、こういうのは無視が一番なため反応せずに通り抜けようとするが、通せんぼをくらう。「まってまって」と半笑いで何としてもどかない男に苛立ちが募り始める。けど力じゃ敵いっこないしどうしたものかと困っていると、ふわりと後ろから柔らかい何かに包み込まれた。

「ごめんなさい、この子わたくしの連れなの」

艶っぽく、それでいてどこか芯もあって爽やかな香水の匂い。私の肩に回った手は、隣に立っているワインレッドのスーツを纏った美女のものだと理解するのにしばらく時間がかかった。目の前の男はその美女を見るなりさあっと顔を青くして「すみませんでした〜!!」と悲鳴じみた声を上げて走り去っていった。
よく見ると、美女の肩にはもはや見慣れた正義のコートが掛かっていて海軍の人間なことが分かる。なるほど、権力には弱いってことね、と先ほどの男のくださらなさに呆れていると、凛とした雰囲気を持つ美女の視線が私に向いた。

「平気?」
「あ、はい!ありがとうございました」

私の肩を抱いていた手が離れていくのが惜しくなるものの、顔には出さずに頭を下げる。今日はメリアさんといい、この人といい、美女に運がある日なのかもしれない。そんな日があっていいのか。あっていいのなら毎日がいい。
惚けた頭で馬鹿げたことを考えていると、美女が辺りの人混みを見渡しながらため息をつく。

「嘆かわしいけど、海軍もああいった輩は多いから夜道は気をつけなさい」

そもそも海軍という組織は母数が大きいし、どこにいたって質の悪い輩はいるものだ。私もマリンフォード歴は長いから、海兵が全員いい人ってわけじゃないことも知ってるし、いい人が沢山いることも知っている。けど一般市民には先程みたいな男がいるのは示しつかないんだろうなあ、と美女の眉間に寄せられた皺から心労を察した。

「送るわ。家はどこ?」
「いえさすがにそれは!家もすぐそこなので大丈夫です」

これ以上迷惑をかけるわけにはいかなかったので、慌てて頭を下げる。でも、と色気のある紅い唇が食い下がるような動きしか見せなかったため、私は振り切るようにもう一度礼を述べてからばたばたとその場を去った。
別に嘘をついていたわけではないので、本当にすぐ家に着いた私は玄関で浮かび上がった額の汗を拭う。すると、リビングの方から「おかえりー」と間延びしたクザンの声が聞こえてくるので、私はほっと息ついた。

***

「うーん、それヒナだな…」

ちゃぷん、と波だったお風呂の水面を見つめる。無駄に大きい図体は少し動くだけでもお湯が揺れる揺れる。クザンが大きく動いたりするものなら一緒に浸かっている私は波に攫われそうになったりするのだが、まあこの話は今は置いといて。
どうやら私が先ほど助けられた美女はクザンもよく知る人物だったようで。またメリアさんみたいなあれか?と思いつつクザンを見上げる。

「元カノ?」
「ヒナに手出してたら今頃おれはここにいないって」
「こわいんだ」
「こわいっていうか……まあ、うん。こわい」

思わずくすりと笑えば、クザンが気まずそうな顔をする。確かにメリアさんも凛とした雰囲気を持つ美女だけれど、それと同時にどこか許容してくれるような柔らかさもあるというか。それに比べて私を助けれくれた美女、もといヒナさんはクザンの適当さとかは一切許してくれなさそうな厳格さがあった。

「ヒナはねえ、ほら。スモーカーと同期なのよ」
「ああ…。へえ〜」
「そういう意味ではおれとヒナは似たもの同士かもね」
「どういう?」
「スモーカーに迷惑かけられてる同士」

クザンは置いといて、あのヒナさんに迷惑かけてるとか、なんていうかちょっと。スモーカーさんのことが羨ましくて憎たらしくなってきた。

「名前ちゃん今日は女将校に縁のある日だったな」
「うん。美女をたくさん浴びて溶けるかと思った」
「どういう原理…?」

いや、本当に思い出すだけでなんとも貴重な一日だったなと噛みしめるばかりだけれど。私もそれなりに身なりは気にする方の女だから、鏡に映った自分が視界に入ってつい顔を顰めてしまう。自身の体を見下ろせば、嫌でも抜群のプロポーションと比較してしまって、むむむと顔の険しさが増す。すると何かに気づいたクザンが真面目な顔して私を見つめた。

「かわいいからだいじょう…ブッッ」
「上がる」

ばしゃんと盛大にクザンの顔に水をかけてから、クザンを置いて湯船から出る。もうそのまま溺れてしまえ。カナヅチだろうがなんだろうが知らん。


それって愛でしょ 22話


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