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TopMainそれって愛でしょ
「クザン」
「んァ」

つるのしゃんとした声に、クザンは慌てて体を起こした。会議はとうに終わっていて、今ここに残っているのはクザンとつるのみだ。

「なに?おつるさん」

叱られるようなことでもしただろうか、とつい癖で自分の行動を振り返っていると、つるが空いていた隣の席に腰かける。纏う空気が厳しいものではなかったので、これはお説教じゃないなとクザンは悟った。

「毎日帰っているらしいじゃないか、あの家」
「え?…ああ〜〜…まァ、はい」

何の話かと思えば、暗に名前のことで。プライベートなことは口出ししないつるに珍しいなと思いつつ、相槌を打つ。クザンと名前が一緒に暮らし始めたこと、誰に言ったわけでもなかったが付き合った時と同様いつのまにか噂が広がっていて公の事実になっていた。本当にコミュニティとは恐ろしいものだ。
今まで与えられたものの殆ど使っていなかったクザンの家をつるは知っていたので、最近は勤務が終わるとせっせと帰っているクザンも目についていたようだ。

「今日も帰るのかい」
「そのつもり…ではあるけど」

咄嗟に嫌な気配を感じて、言葉を濁す。

「慰労会、あるだろう」

その一言でクザンは大体を察した。

「呼んだらどうかって話が上がってね」
「えェ〜〜…」

物凄く嫌そうな声が漏れ出てしまったが、しょうがないだろう。慰労会というのは海軍で年に一度あるパーティーのことだ。功績などを称え表彰式を行いつつ、関係者を集め交流を計ったり、センゴクのありがたい話を聞いたりと、一年を締めくくる催しで、クザンにとっては大して楽しくもないものだ。
海軍の行事ではあったが、各位関係者も呼ばれたりするためパートナーを同伴させるのは許容範囲である。名前はクザンの知らぬところで海軍での交流の幅を広げているようだし、カフェデリバリーに世話になっている将校らが名前の名を挙げたのだろう。そして直接クザンには言いにくいので、つるというわけか。
クザンが思わず大きなため息をつくと、つるは肩を竦めた。

「別に無理に連れて来いというわけじゃないよ」

分かってるけどォ〜、という情けない声は出さないでおいた。だからとにもかくにもクザンは名前に話を通せってことだ。名前が行きたがらなければ連れてこなければいいし、名前が行きたいと言うのであれば連れて来ればよい。だが、クザンはもし連れてきた場合のことを考えて今から気持ちが重かった。

「とりあえず話はしてみ……る。ハイ」
「頼んだよ」

話はそれだけだったようで、つるは立ち上がるとスタスタと会議室から出て行く。残されたクザンはひとり、重たいため息を会議室に充満させるのであった。

***

「ただいまァ」

クザンがのろのろと家に帰り、リビングの扉を開けるとソファーに座っていた名前が首だけこちらに向けた。

「おかえり」

それにどうしようもなく愛おしさがこみ上げて、クザンが後ろからがばっと抱き着けば名前が持っていたアイスを落とさないように慌ててテーブルに置いた。

「なに!?」
「ん〜〜…、今日も名前ちゃんは世界一かわいいなァって」
「私のアイスが犠牲になるところだったんだけど」

じとりと恨みがましい目で見られ、そのまま口づけてしまおうと顔を近づければ「フケツ」と言われてしまったのでクザンは洗面所に駆け込んだ。手洗いうがい、大事。
クザンがいそいそと戻ってくると、名前はアイスを食すのを再開していてまた邪魔したら嫌われると思ったクザンは名前の隣に大人しく腰を下ろす。すると、クザンの様子に何か察するものがあったのか、名前がスプーンを咥えながらクザンを見上げた。

「なに」
「…ん、いやァ〜……ちょっと、お話が」
「話?」

きょとんと瞳を丸くした名前が首を傾げる。クザンは口に出したくない気持ちと、どうせ隠すことはできないという気持ちがせめぎ合い、決心の末に口を開いた。

「海軍の慰労会っていうか、納会みたいなパーティーがあるって知ってる?」
「ああ、なんか聞いたことあるかも」
「……それに名前ちゃんを招待したらどうかって」

名前は事実を飲み込むと心底嫌そうに顔を顰めて「ええ〜〜…?」と苦い声を絞り出した。自分と似たような反応に、だよねと思いつつクザンが目を伏せる。

「嫌だったら、全然。無理しなくて」
「…嫌……っていうより、面倒くさい…」
「だよねェ?」

次は口に出た。クザンがうんうんと頷いて、これは欠席の流れじゃないかと思い始めた時、名前が腕を組み唸り始める。

「でもそれ、言い出しっぺクザンじゃないでしょ?多分お世話になってる将校さんたち…」
「…ご明察の通り」

すると名前は「出なきゃ、だよね〜…」と項垂れるので、クザンも項垂れたい気分になった。やっぱりそういう流れになるのか。名前は物凄く渋った結果、肩を落としながら「出ます」と言うので、クザンは説得を諦めた。出たいというのがただの好奇心であればあの手この手でマイナスポイントをアピールするが、名前のこの決定はビジネスが関連している。クザンが言えることは何もなかった。

「…私、クザンの連れとして行くってこと?」
「…うん」
「……そんなに嫌なら行かないけど」

あんまりにもクザンが落ち込んだ様子を見せるので、名前が気を遣ってくれた発言にクザンはぱっと顔を上げた。

「名前ちゃんが悪いってわけじゃなくてね?おれも面倒くさがりってだけだから…ごめん」
「いや別に…、クザンの仕事の場でもあるんだからしょうがないでしょ。私だってやりにくいよ」
「分かってくれる〜?」

察しのいい性格で本当に助かる、とクザンは名前を拝んだ。当たり前だが、顔が知れているクザンのパートナーとしてフォーマルな場に名前を引き連れるのはクザンもやりにくさがある上に、名前にも負担だ。クザンの立場のせいで、名前が要らぬ脚光を浴びるのもクザンは心底嫌だった。これが妻となれば話は別だが。

「(でも、そういう風に縛り付けるのはまだ、ね〜……)」

いつだって手元から離れられるようにしてあげたい、という気持ちがどこかにあった。縛り付ける覚悟が足らないだけと言われれば、それだけなのかもしれないが。クザンが名前の姿を見つめながらぼんやりとそんなことを考えていると、名前がため息をついた。

「ドレス用意しなきゃ…」

確かに、クザンたちは式典服を着ればいいだけの話だが、名前はそうもいかない。フォーマルな服装を用意するのはさぞかし面倒だろう、と女の身だしなみの苦労を推し量る。
ただそれとは別に、ドレッシーな名前というのは中々見れるものではないので見てみたさはあった。服装にはそれなりに気を使っている名前だ。きっと自分に似合わせたものを着るのだろう。それはさぞかし、と想像したところで、それを数多の視線に晒すのも嫌だなと顔が歪んだ。
悩んでいる様子の名前の腰を引き寄せて、クザンは名前を腕の中に収める。

「あんまりかわいくしすぎないでね?」
「みすぼらしい格好で行けと?」
「そうじゃねェけど…」

腕の中の名前の頬を撫でると、名前が顔を赤くして気まずそうに視線を逸らした。

「かわいいからさ、名前ちゃん。変なヤツが寄ってくるかもでしょ」
「……いないわ。私なんかに引っ掛かる人」
「おれがいたじゃん」

と言えば、名前がうっと言葉に詰まって、絞り出すように呟いた。

「クザンは…悪食だから…」
「ちょちょ、さすがにそれは頷けねェよ!?」

がばりとクザンがソファーから体を起こして名前に詰め寄ると、名前がふはっと笑った。自分で言ったわりに面白くなってしまったらしい。そんな様子がかわいらしくて軽くくすぐってやると、名前が笑って身をよじらせた。

「なんかあったらすぐおれ呼んで」
「大丈夫だって。…モモンガ中将もいるんでしょ?」
「なんでそこでモモンガの名前が出てくるの……」

すると名前が「ん?」とすっとぼけるので、クザンはひくりと口の端が引きつった。あんな男、死んでもライバルに回したくはない。たとえ冗談だとしてもクザンは真面目にそう思った。あいつの方が名前ちゃんを幸せにできそうなんだよ!勘弁してくれ!


それって愛でしょ 23話


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