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TopMainそれって愛でしょ
ああもう。緊張で口から心臓が飛び出そうとはまさにこのこと。いくらフォーマルな場にそぐう様に着飾っても、中身がこれじゃどうしようもない。緊張で吐き気さえ催していると、するり、と背中を撫でられて、止めていた呼吸をハッと再開する。

「名前ちゃん、息吐いて」
「っ…はぁ〜〜」

クザンに言われて息を吐ききると、クザンの声がいつも通り私に響いて幾らか冷静さを取り戻した。

「大丈夫。ちょっとした立食パーティーとかだと思えばいいから」
「そんなフランクなものじゃないくせに…」
「でも名前ちゃんがちゃんとしなきゃいけない理由がないのは本当だって」

そう言われるとそうか…?という気が湧いてくる。確かにただの一般人がご相伴に預からせてもらっているだけなのだから、私が何も気負うことはないのかもしれない。言われた通り肩の力が少し抜けてきて、クザンを見上げた。

「クザンは今日はずっとおすまししなきゃなの?」
「まァ……比較的」
「大変だねえ」

他人事で返すとクザンがしょんぼりした顔をしてみせる。私に気負う必要がないって言ったのはクザンのくせに。

「ん、だからおれの横にずっといなくていいからね。目の届くところにはいて欲しいけど」

予想外な指示に瞬きをすると、クザンが肩を竦めた。

「おれの隣にいる方が疲れると思うから。名前ちゃんは挨拶したい人のところ勝手に行ってていいからね」
「わかった」

大将というポストも大変だな、と改めてクザンの気苦労を感じていると、あっという間に会場について改めて背筋が伸びる。クザンが通ると、周りの人がこぞって道を開け敬礼をするものだから、隣にいる私は物凄く居心地が悪かった。
ウェルカムドリンクを受け取ると、いよいよ会場の全貌が広がり煌びやかな光景に目をしぱしぱさせる。ひとところに海兵の人たちが集まり行き交う光景は、私がここにいてもいいのか心配になるほど別世界のものだった。

「帰りたい…」
「分かる…」

思わずこぼれた第一声にクザンが深く頷く。お前は一番帰っちゃダメな人物だろうが、という突っ込みは胸のうちにしまっておいた。いつものノリの暴言はこのパーティー会場にはあまりにも不釣り合いすぎる。

「クザン」
「あ、おつるさん」

まるで母に呼び止められたかのような緊張感を纏う、凛とした声。振り返れば、少しも背筋が曲がらずに美しさと強さを纏ったまま、歳を重ねたであろう女性が立っていた。海軍のお偉いさんはおじさんのイメージばかりだったので、こんな素敵な人がいたのかとしばし見惚れた。

「連れてきたんだね」
「本人が来ると決めたので…」
「そうかい」

おつるさん、と呼ばれたその人は私を見つめると、ほんのり柔らかく目尻を下げた。

「会うのは初めてだね。あたしはつる。お前さんの話はよく聞いてるよ」
「は、初めまして!名前と言います!あの、話って…?」
「あたしの部下はおたくの店の常連が多いんだ」

隣にいるクザンがおつるさんの部下は女性だけで構成されていることを補足してくれたので、合点がいく。確かにうちのカフェは女海兵さんのお客さんが多い。話はよく聞く、ってその部下から?…何を?とも思ったが、まあ多分部下からだけではないのだろう。クザンの目が若干泳いでいるのが証拠だ。

「あたしもドーナツをいただいたからね、礼を言おうと思っていたんだ」

ドーナツ。と言われて思い出すのは大量に母が作って消費に困りクザンに押し付けた、あのドーナツ。そう言えば、海軍で配るって言ってたような。と、思い返して、顔が熱くなる。あんな残り物をこんな人にあげたのかクザンは。

「あ、あんなもの…すみません…!」
「いたっ」

頭を下げながらクザンを肘でどつくと、小さな悲鳴が声が上がる。おつるさんはそんな私たちを見て微かに笑うと、クザンをぴっと厳しい目つきで見つめた。

「クザン、この子から目を離しちゃいけないよ。今夜は厄介な世界政府の役人もいるからね」
「分かってるって」
「名前、今日は楽しんでおくれ。何かあったらすぐあたしかクザンにお言い」
「はい!」

私が元気に返事をすると、おつるさんはひとつ頷いて踵を返した。おつるさんが去った後の空気の清廉さといったら、未だに伸ばした姿勢が元に戻らないほどだった。

「格好いい方だね…」
「そうねェ〜…。あの人に逆らえる男はこの海軍にいないぐらいの人よ」
「はわ〜…」

そんな感じはしたけれど、本当にそうなのがなんとも痺れる。私が惚れ惚れしていると、急に場の空気がぴりっと張り詰めたのを感じた。不思議に思いきょろきょろと辺りを見回すと、海軍の帽子を被っているのにも関わらず強面がはっきりと分かるような背丈の高い男。その周りが、いやに緊張感を纏っている。そして、私の頭はいくらか遅れてその人物が大将赤犬であることに気づいた。
ボルサリーノさんとは面識があったが、大将赤犬は姿を見かけるのもこれが初めてだったので私はその迫力に立ち尽くす。どうしたらいいのか分からなくてクザンを見上げると、クザンが気まずそうに頭を掻いた。

「挨拶しなくていいから。見てわかる通り、恐いおじさんだし」
「恐いおじさん…」

そんな生ぬるい言葉で表現できるような感じではないのだが。けれど確かに、挨拶しに行けと言われたほうが困っていたのでほっと胸を撫でおろす。恐いとは思いつつも目線を逸らせずにいると、ちらりとこちらに厳しい視線を投げられた気がして、私は思わずクザンの腕にしがみついた。

「あー…大丈夫大丈夫。あれは名前ちゃんにじゃなくておれにだから」
「こ、こわい」
「急に噛みついてきたりはしないから、平気」

あの人を野犬みたいに扱うのもどうかと思う。クザンのふてぶてしさに一周回って呆れてくる。すると、途端にクザンが違う方向へ首を向けて嫌そうな声を上げた。

「あ、きた」

私がクザンの視線の先に頭を回す前に、クザンが私の背を押して遠ざける。

「嫌なおじさん達来るから、他の人に挨拶行っておいで」
「わ、わかった」

私は足早にその場を後にして遠目からスーツの人たちに囲まれるクザンを見つめる。これは長丁場になりそうだと確信し、言われた通り私も予定していた挨拶回りを行うべく会場の人混みに紛れていった。

顔見知りの将校さん達と話していれば、パーティー会場の雰囲気にも大分慣れてきて。軽食をつまみながらひと息ついていると、足元でかしゃんと何かを蹴りあげた感触がして視線を下ろす。

「…メガネ?」

赤い縁のメガネを拾い上げた私は小首を傾げる。誰かの落し物だろうか。少なくとも私の知る限りではメガネの持ち主が思い当たらない。海軍での顔の広さは当たり前だけど私よりクザンの方が圧倒的に上なのだから、クザンに訊こうと私はそのメガネをカバンにしまった。

無駄にデカいクザンは探さずともパーティー会場での居場所は一目瞭然だ。周りの様子を窺うと、厄介そうな人はいない雰囲気を感じ取ったため私はクザンの元へと戻った。

「おかえり」
「ただいま。あのさ、これ見覚えある?」

私がメガネを取り出してクザンの眼前に持っていくと、クザンがしげしげとそれを見つめて顎をさする。

「…どう見てもたしぎのメガネだな。こりゃ」
「たしぎ?海軍の人?」
「うん。スモーカーの部下の、たしぎ曹長」

スモーカーさんの部下って聞くと、ゴツイ男の人の姿がぱっと浮かぶ。勝手なイメージだけど。すっかりそんな感じの人だと思って想像を膨らませていると、クザンが「あ、ほら。そこにいるじゃん」と指さす。そこには短くつややかな髪がとてもよく似合う女性がいた。

「えっ!?かわいい!?」
「何びっくりしてるの」
「スモーカーさんの部下なら女の人だって思わないじゃん!」
「あー…気持ちは分かるけど」

そう言いながらクザンが私の背を押すものだから二人でたしぎさんに歩み寄る形になり、向こうがこちらに気がついた。

「た、大将青キジ…!?お、お疲れ様です!」
「お疲れ」

驚きながらぴしっと敬礼をして見せたたしぎさんは、ものすごく海軍に珍しいタイプの女性というか。気が強くて美人、という私の女海兵さんのイメージとはどちらかというと対極のタイプの人だった。真面目そうでウブなかわいさがある。
そして、たしぎさんと話し込んでいたであろう隣にいた女の人もクザンを見上げると「お疲れ様です」と淡々と頭を下げた。こちらはいわゆる気が強くて美人タイプな人だなあと、不躾に見惚れたところで私は「あっ!」と大きな声をあげた。

「この前助けていただいた…」
「…あら?」

紅いルージュが引かれた艶やかな唇が驚きに薄らと開く。色んな邂逅が果たされたことで混乱した場に、クザンが慌てて割って入った。

「とりあえず当初の目的を果たそう。たしぎ、メガネ落としたでしょ」
「えっ!あっ!」

私がカバンからメガネを取り出してたしぎさんに差し出すと、たしぎさんがぺこぺこしながらそれを受け取った。

「すみませんっ!ありがとうございます、探していたんです…!」
「よかったです」

顔を赤くしながら、ありがとうございますと繰り返しお礼を言われて、その一生懸命さというか、やっぱりかわいい人だなとデレデレしていると、クザンが美人の方へ向き直った。

「で、この子がまァ…おれのパートナーの名前ちゃん。この前、ヒナが助けてくれたらしいじゃない」
「「パートナー…!?」」

たしぎさんと、美人もといヒナさんがクザンの発言に目を剥いた。いや、知らなかったらそうなるよなあ。どこか他人事でそのリアクションを見ていると、ヒナさんが複雑そうに「そう、だったの…」と零した。

「この前はありがとうございました!また改めてお礼を言えてよかったです」
「いえ、気にしないで」

ヒナさんは今さっきまでの動揺をさっと表情から消し去ると、極めてクールに私のお礼を受け取った。

「おれからも、ありがとね」
「はあ……、はい」
「差よ…」
「すみません」

クザンからのお礼は中々飲み込めないようで、分かりやすく顔を顰めるものだから思わずクザンが突っ込む。それに対しての謝罪も全く感情がこもっていないのが面白くて、私は横でくすっと笑ってしまった。

「スモーカーは?」
「いるはずです。勝手に抜け出していなければ」
「ヒナが引っ張ってきたんでしょ?ご苦労さま」

噂に違わずスモーカーさんはこのヒナさんの手を焼かせているのか。何とも妬ましい。クザンはスモーカーさんに用があるらしく、ヒナさんに労りの言葉をかけながら会場を見渡す。

「あそこか」

スモーカーさんを見つけると、クザンは二人に軽く挨拶をしてとっとと去ろうとするので、私も慌てて一礼をする。すると目が合ったヒナさんが「また」と色っぽい声で言うので、私は後ろ髪が物凄く引かれながらクザンについて行った。
また……またってなに!?ドキドキする胸を抱えてクザンの隣を歩いていると、案外すぐスモーカーさんの所にたどり着き、スモーカーさんが怪訝そうな顔で私たちを見た。

「…どうも」

会うのはクザンの留守のとき以来なので、どんな顔したらいいかよく分からなくて笑顔も作れずに挨拶をする。それに対してスモーカーさんも無愛想に「…あァ」と応えた。

「…よく連れてきたな」

最初はよくこんな部外者のちんちくりんを連れてこれるなという意味で言われてるのかと思い、真正面から売られた喧嘩に一瞬血の気が沸き立ったものの、どうやら私ではなくクザンに向けた言葉のようだった。ということは、恐らくスモーカーさんはクザンがこういう場に私をあまり連れてきたくないという性質を理解しているのだろう。それで出た言葉と思えば、納得だった。

「うん、まァ……ヒナにはすごい顔されたけど」
「そうだった?」

私の記憶では麗しいご尊顔しか浮かばず、心当たりがなかったため首を傾げる。

「何か言おうとして、全て飲み込んだ顔してたよ。おれに」
「……」

スモーカーさんもどこか同調するような沈黙をクザンに送ったが、クザンは確信犯かどうかしらないけど華麗にスルーしていた。スモーカーさんはこれ以上この話を続ける気はなかったようでため息を区切りに、クザンと仕事の話をし始めた。
別に隣にいてもよかったんだろうが、私が口を挟めるような内容ではないし、いない方がやりやすいだろうとその場を離れる。先ほど見かけた美味しそうなピンチョスを目指して、私は一人ふらふらとパーティー会場を歩いた。

もぐもぐとピンチョスを頬張って美食を堪能していると、不意に「失礼」と肩を叩かれる。聞き覚えのない声だったため、驚きつつ口の中のものを慌てて飲み込んで私は振り返った。そこには本当に全く知らない身なりの綺麗な男がいて、目が合うとにこりと微笑まれるので戸惑いが脳内を占めた。

「美しいお嬢さんが一人だなんて勿体ない。私とカクテルでもいかがですか?」
「えっ、と…」
「ここじゃ騒がしいですから、静かなところに行きましょうか」

するりと許可もしてないのに手を取られてぞわりと肌が粟立つ。それに人気のないところって絶対やばいやつ、と危険を察知するものの強引さが怖くて動けないでいると、馴染んだ手に肩を抱かれぐいっと男が引きはがされた。

「ストーップ。この子、おれの連れだから。ちょっかいかけるのやめて」
「ヒッ…!青キジ…!?」

男はクザンの顔を見るなりすたこらさっさと逃げて行った。ヒナさんの時もそうだったけど、みんなのネームバリューすごいな。男が見えなくなったところでほっと力が抜けると、クザンが私の両肩を掴んで心配そうに覗き込んでくる。

「平気だった?何もされてねェよな?」
「うん」
「そう、よかった……いやよくはねェ」

凄いスピードで思い直したクザンがひどく申し訳なさそうにして「ごめんな」と謝るものだから、じわっと少しだけ涙がせり上がってくる感覚。こういうのって心配されるほど無駄に泣けてくるんだよな。さすがにここで涙は落とせないからぐっと我慢しながらも「こわかった」と素直に零すと、クザンがゆっくりと私の背中を撫でた。

「ここでキス…したら怒るよね」
「おこる。するなバカ」
「ハイ」

いつもみたいなやりとりで無事涙も引っ込んだので、私は近くに置いていある前菜を食すことを再開する。クザンはそれを何故だかじっと見つめてきながら、私の耳のあたりの髪を手の甲でそっと撫でた。

「やっぱりかわいくしすぎたんじゃねェ?」

そういえば、変なヤツが寄ってくるからかわいくしすぎないでと言われたんだったか。まあかわいくなくても海兵じゃなさそうな女が一人でいたらよからぬ輩が寄ってきそうな気はするけれども。しかし、当の本人は真剣に言ってるようだった。

「だって、かわいくない状態でモモンガ中将の前に出られないでしょ」
「なっ、え、まっ……モモンガのためにかわいくしてきたの…??」
「ステンレス中将の前でもかわいくいたいけど」
「おれの前では…??」
「今更じゃん」

そう言って生ハムを口の中に放り入れると、クザンが大げさに肩を落とした。

「でもまァ…たしかに?どうせどんな名前ちゃんでもかわいく見えるだろうから、今更かァ」
「あーあーうるさい」
「照れてる」
「うるさい!」

なんて恥ずかしげもなく痴話喧嘩繰り広げてたら、一部始終見てたらしいスモーカーさんに「他所でやれ」と言われた。ごもっともである。


それって愛でしょ 24話


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