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TopMainそれって愛でしょ
泣き暮らしている感覚がする。家のどこを回っても姿がなくて、深い悲しみが胸に穴をあけて、後悔ばっかりが渦巻いていく。どうして、いや、いや、いやだよ……クザン…。

「ぅう……」

情けない自分のうめき声で目が覚めた。はっ、と短く息を吐き出せば、濡れた頬の感触。夢で泣いたのか、と事実を理解するのにはそう時間がかからなかった。しばらくベッドの上でぼうっとして、空いた隣見つめて、夢の感触を思い出す。タチの悪いことに、クザンは本当に長く家を空けている最中だった。
さっき見たことは夢である、という確証が得られずに胸がくすぶる。ゆっくりと起き上がった私はそれから意味もなく家の中を徘徊した。当然だけれど、どこを見てもクザンの姿はなく、馬鹿げたことをしていると我に返った私はリビングのソファに体を沈めた。

テーブルに置いてある小さなスノードームを手に取って眺める。クザンはどうやら私が知らない間に一度帰ってきてたらしい。その証拠に、朝起きると見覚えのないこのお土産が置かれていて、驚いて家中探し回ったものだ。でも確かに言われてみれば、まどろみながらクザンの気配を感じたような、気がしなくもないような、という余韻があった。だが、今となってはその余韻すら不安を煽る材料になるのでどうしようもない。残り香だけじゃなく、置手紙くらいは残してくれてもいいのに、とガラス玉の中で舞う雪を見ながらごちた。

そんなこんなしていると、出勤しなければいけない時間が迫っていて急いで身支度をして家を出る。そして実家のカフェに出勤すれば、当たり前のように母がいて。母の顔を見るとざわついていた心も幾分か落ち着くので、子にとって親とは本当に大きいものだなとひっそり感じた。

一度仕事の時間が始まってしまえば雑念も消えるというもので、大忙しのランチタイムをいつも通り捌くことだけに集中した。
客の波が落ち着いたところで、タイミングを見計らったようにメリアさんの姿が見える。珍しく私服姿のメリアさんは、普段とはまた違った魅力でいっぱいなので私は思わず「えー!」と口に手を当てた。

「私服も素敵です〜!綺麗!かわいい!好き!」
「ふふ、ありがと」

おちゃめにウィンクまで頂いてメロリンと私が浮かれていると、アイスコーヒーを注文したメリアさんが一呼吸おいて「大丈夫?」と私を窺う。

「あの人、ここ空けて長いでしょ」
「あー、そうですね。今回は結構」

クザンのことを話題に出されると、今朝の夢がフラッシュバックした。話のタイミング悪かった、かも。
ぜんぜんへいき、と答えるつもりだったのに、嫌な感触が喉元を伝って表情が強張る。

「名前ちゃん…?」

取り繕おうとしたのだが、見抜かれてしまって心配そうに手を取られた。こうなると嘘をついても無駄なわけで、ぐっとつばを飲み込んで慎重に息を吐く。

「……クザンって、強い…んですか?」

いつだかに同じような質問をクザンにしたっけ。今とは随分質問の意図が異なるが。

「私、よく分からないから……クザンがどれだけ強くて、海賊がどれくらい強いのか」
「そうねえ…絶対に大丈夫とは勿論言い切れないけれど、よっぽどのことがない限りあの人は負けないわ」

それは恐らくメリアさんが海軍将校としてクザンを正しく評価しているであろう発言なことは分かった。

「なにせ海軍の最高戦力だから、大将は」
「さいこうせんりょく…」

復唱してみても実感が湧くわけがなく。それもそうだろう、戦いのことなんてこれっぽっちも分からないし、クザンは私の前で力を振るったこともない。多分、そういう風に振る舞われている。その自覚はあった。

「じゃあクザンと七武海って戦ったらどっちが強い…?」
「えっ。うーん、それは……ううん……戦ってみないと分からない、かしら…」
「そうなんだ……」

意図せず私の不安を煽るようになってしまった発言にメリアさんが慌てる。それに逆に私も申し訳なくなってしまって俯いた。

「ごめんなさい…変なことばっかり訊いちゃって」
「ううん、いいのよ。不安になるのは仕方のないことだもの」
「…変な夢、みちゃって…。普段は平気なんですけど、今日だけちょっと、なんか、だめで……」
「……嫌な夢だったのね」

こくりと頷くと、メリアさんは夢の内容はそれ以上深く追求しなかった。全く、ちょっとやそっとクザンがいないからって情緒不安定になったりして、こんな調子でやっていけるのだろうか。これからのことを思うと、心の根元からバランスが崩れる気がして、軽いめまいと吐き気がした。

「私…クザンと一緒にいていいのかな……」

初めの頃にあった不安が、現実味を帯びてぶり返したようだった。以前、クザンが弱気な発言をしたときには私が叱咤したくせに。そして「名前ちゃんじゃなきゃ嫌」とまで言わせたくせに。けれど、いくら大事にしまっていた言葉を思い返しても、当の本人が目の前にいないのなら安堵感を与えてはくれなかった。
俯いた私を労わるように、メリアさんに優しく手を撫でられる。視線を合わせると、メリアさんが私を落ち着けるように静かに言葉を紡いだ。

「海兵と一緒になるって、覚悟しなきゃいけないことが沢山あるわよね」
「…はい」
「優先順位は一般市民になるし、家族は二の次三の次。自分が何か恐ろしい目にあった時も傍にいてくれない可能性の方が高い」
「それは…いいんです。そういう仕事だって分かってますから。私を一番にしてほしいなんて思った事もない。でも……」

うん、とメリアさんが優しく応えてくれる。その優しさに甘えたい、という気持ちが湧くと、歯止めが効かずに視界が滲んだ。

「わたし、クザンが死ぬかもしれないってことだけは、覚悟できない……」

ぽたりと雫が落ちて、床板に滲みができる。勤務中に泣くなんてどうかしてる。慌てて涙を拭うと、次の瞬間にはメリアさんの腕の中にいた。柔らかな感触とムスクの匂いに包まれて、頭を撫でられる。

「そんなの、誰だって簡単にできるわけがないし、無理にしなきゃいけないものでもないわ…」

それでも、クザンの隣に立つのであれば必要なことなのではないか。メリアさんの慰めを受けながら、そんな思いが拭えずに胸の中でまた少しだけ泣いた。

***

マリンフォードには大きな共同墓地が存在する。言わずもがな、ここに眠ってる殆どは海兵の人たちである。私はマリンフォードに移住してきた一家の為、ここに足を運んだことはなかった。身内はここにいないからだ。
いつも前を通るだけだったそこに改めて入ると、並ぶ墓石の数に少し息がしづらくなった。お墓参りをしている人は少なく、私がそこら辺にしゃがみこんでも気に留める人はあまりいない。私は誰とも知れない墓前で座り込み、じっと身を丸くした。

先ほどまではあった夕陽もすっかり落ち、辺りは暗く気温も下がりきっていた。夜に墓地なんてホラーの鉄板ではあったが、実際に感じるのはただ墓石の冷たさだけである。そもそも、幽霊で会えるのなら苦労なんてしないだろう、と供えられた花を見つめた。

びゅうと吹き付けた風に震える。体はすっかり冷えていたが、気分が落ちきっていて立ち上がる気にもなれない。はあ、ともう一度膝の間に顔を落とそうとした瞬間、ぐるりと体が何かに包まれた。見ると、海軍の正義のコートだった。

「また風邪ひいちゃうから」

呆れたような心配そうな声に、ぶわっと目の奥が熱くなる。顔が上げられなくて涙を堪えていると、コートをぐるぐる巻きにされたまま体ごと横抱きに持ち上げられてぴゃっと悲鳴が出た。

「帰るよ」

どう反応したらいいか分からなくて少し混乱したが、やがて力を抜いてクザンの体に持たれかかった。普段は冷たいと感じるクザンの体温が、今は温かかった。それだけ長い時間、夜風にこの身をさらしていたらしい。

「……クザンが、いなくなる夢見たの」

死んだ、なんて嘘でも口にしたくなかった。クザンは私の体をぽんぽんとあやすように叩きながら「そっか」と何でもないように言う。何かそれ以上クザンに返答を求めていたわけではないが、どこか不自然な沈黙にクザンを見るともの言いたげな視線とかち合った。

「他におれに言わなきゃいけないことない?」
「…?」
「ちゅーでもいいけど」

そのふざけた発言に、ああ確かにまだ言ってなかったと思いクザンの首筋にすり寄った。

「おかえり」
「ただいま」

表情を柔らかくしたクザンに口づけられて、ようやっと安堵した気がした。そうすると今までの気疲れも襲ってきてクザンの腕の中でぼうっとしていると、さくさく家路を辿っていたクザンが私を見つめた。

「帰ったら全部聞くから。全部話して、名前ちゃんの気持ち」
「……」
「おれが聞きたいの」
「……うん…」

心配したら、迷惑なんだと思っていた。死なないで、と縋ったら重荷になると思っていた。だからそんな私は一緒にいちゃいけないのかもしれないって。けれど、クザンの言葉は私が思うより遥かに重く、広くて。すべて受け止めてくれる、そう感じさせてくれた。


それって愛でしょ 28話


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