夏休みである。生徒たちはどこか浮足立った様子で、下級生ほど早くお家に帰りたくてそわそわしているようだ。それもそうだろう。普段は忍術学園でひたむきに頑張っている子たちだが、まだまだ幼い。早く両親の顔が見たいのは当然のことだ。
かくいう私は、両親の顔を思い浮かべればどちらかというと胃痛がする人間なので憂鬱極めていた。学園に残る選択肢はあるのかと小松田さんに訊くと、どうやらそういう先生や生徒もいるらしい。なら私も!と思っていたのだが、叔父さんに「一度帰りなさい」と言われてしまったのでそれも叶わない。叔父さんは私に優しいけれど甘いわけではないのだ。
はあ、と最近何度ついたか分からないため息を吐き出すと、心配そうに眉を下げたきり丸くんに覗き込まれた。
「大丈夫すか?」
それにはっとして顔を上げ曲がった背筋を伸ばす。
「ご、ごめんなさい!陰鬱な空気を醸し出してしまって…」
「事情は少し木下先生から聞きました。帰省が憂鬱なんだとか」
「あ…はい……そうなんです…」
土井先生にまで知られているのか。うう。なんとも恥ずかしい。
今、私はわが家へと続く道を歩いていて、女の一人歩きは危険だからと土井先生ときり丸くんに送ってもらっている最中だった。それだけでも申し訳ないというのに、私が暗い空気でいたら迷惑すぎる。
「実家に帰ると何かあるんすか?」
「母上から激しく詰められます…家のこと放り出して何やってるんだ、と」
「あ…ご両親からは快く思われていないのですか、忍術学園で働くこと」
「はい……、その、私は逃げ出してきたようなものなので…」
二人の「何から?」という疑問の視線を感じて、ぼそぼそと大変聞き取りにくい声で呟いた。
「え、縁談から……」
私の蚊の鳴くような声を拾った二人がぱちくりと目を瞬かせる。
「苗字さんがですか?」
「意外っすね」
「そ、そうでしょうか」
忍術学園では基本的には社会人としての顔しか見せてないからだろうか。一度外で歯止めが効かず喧嘩を買ってしまったこともあったが、幸い尾浜くんと不破くんと小松田さんしか見ていない。
「男を立てるということが、できない性分みたいで……」
そう言うと、土井先生ときり丸くんが顔を見合わせて黙り込む。やばい。きり丸くんもいるのに何を言ってるんだ私。十歳の子に聞かせるような話では無い。しかし、思ったよりきり丸くんは真剣に考え込んでいるようで、不可思議そうに首を捻った。
「よくわかんないすけど、苗字さんが相手の人をいやだって思ったからじゃないんですか?」
「え……」
「いやだって思った相手と上手くなんていかないと思いますけど」
「う、うん。それは本当にそう…」
確かに我が強い以前の問題で、私だって何も思わない人に突っかかっていったりはしないわけだ。現に忍術学園では特に問題がない。相手から不快に感じることを言われた、嫌だと思った。だから愛想笑いも無難な相槌も出来なかったわけである。何だか物事の順序を逆転させて考えていたようだ。
「でも全部相手のせいにするのも違う気がして…」
「えー!でも嫌なやつは嫌なやつっすよ!ね、土井先生」
「まあ、どちらの言い分も間違いでは無い」
土井先生は抗議するきり丸くんの頭を撫でて落ち着かせる。
「こちらの物言いや立場や振る舞いで引き出せる相手の一面というものがあって、それは相手のたくさん持っている顔の一部であって全てでは無い。もう少し多面的に見れば違う人物像が浮かぶ時もある」
「そうですよね…」
「…が、どうあがいても自分にとって害にしかならない人もいる。何を言っても変わらなかったりな。そういう場合は無理に関わるより距離を取るという選択も大いにありだと私は思う。…ということだ」
「人間関係ってめんどくさいんすね」
総括、きり丸くんの感想はそういうことになったらしい。それについては全面的に同意である。
「どちらも大事ということですね…。こちらの態度を改めることも、相手がどういう人間か見極めることも」
「そうですね」
「私はどちらも足りない気がしてきました…」
「そんなこと」
土井先生はにっこりと笑って落ち込む私を励ます。
「一番は、苗字さん自身の気持ちですよ。自分が感じたことを一番大事にしてあげてください。苗字さんはそれを疎かにしがちですから」
「……は、い」
「すみません、説教くさくなってしまいました」
「いえ!ありがとうございます。…家に着くまで少し気持ちが整理できそうです」
土井先生ってやっぱり先生なんだなあ、と。歳だってそんなにすごく離れているわけではないのに、言葉が重くて柔らかくて淀みなく届く。土井先生のおかげで、少し憂鬱な気持ちが軽減された。
それにしても、帰り道に人生相談するなんて迷惑すぎる。なんか尾浜くんにも度々似たようなことをしている気がするのでやめなければ。
「あのぉ〜、苗字さんの結婚相手、土井先生とかどうすか?」
「えっ!?」
「な、きり丸っ!!」
すぐさま土井先生の怒号が飛んできてきり丸くんが耳を塞ぐ。しかし、諦めてはいないようで必死に私に土井先生について語る。
「だって〜、土井先生独身だし、顔も悪くないし、まあ結構ずぼらなとこがちょっとあれすけど、あと忍者ってのも…」
「勧めたいのか勧めたくないのかどっちなんだ…」
「土井先生がもっとちゃんとしてくれれば済む話なんですけど」
「うっ……」
きり丸くんに図星を突かれてさっきまで先生していた土井先生が情けなく黙り込む。そんな姿見るのは初めてだったので意外になりつつ、ちょっとかわいいなんて思ったり。
「ね、どうすか?やっぱずぼらはダメですかね?」
「えっ!いや、ダメではないけど…、土井先生みたいな素敵な人、私以外にもっといいお嫁さんが…」
「いないんすよ!土井先生ってモテるけどモテないんです!普段の生活がだらしないから!」
「きり丸〜〜!!」
さすがに土井先生からのげんこつが入った。ぜえはあと激しい運動をしたわけでもないのに息を切らした土井先生がきり丸くんの頭を下げさせる。
「すみませんきり丸が変なこと言って…。できれば忘れてください」
「あはは……。でも土井先生のお嫁さんって幸せそうですね」
「ど、どうなんでしょう……はは……」
土井先生から史上最高に乾いた笑いが漏れて、これ以上はやぶ蛇だと口を噤んだ。婚姻に悩んでるのは私だけじゃないんだな。土井先生みたいな人間できてると思った人でも悩みがあるんだと思うとちょっと親近感が湧いて安心した。
「結構お似合いだと思うんすけどね…」
「きり丸っ!」
「あ〜〜わかりましたって〜。もう言いません〜!」
不満そうなきり丸くん。多分だけれど、きり丸くんはきり丸くんなりに土井先生のこと心配してるんじゃないかなと思った。いたずらとか、野次馬精神で土井先生のことを私に勧めてきているわけじゃないのが見て取れたから。
土井先生ときり丸くんが一緒に暮らしているということは知っていたが、私が考えるより二人の間に深い愛情と信頼があることを感じて私は思わず微笑んだ。
***
「息災でしたか」
「は、はい。この通り…」
針のむしろだ。生きた心地がしない。私の家はこんなに息のしづらい場所だっただろうか。母が私を案ずる言葉は投げかけてくれるのは、きっと体裁とかではなく本当に気にかけてくれていたからで。そういう部分は娘としてとてもありがたく思うのだけれど、それとこれとは話が別だ。
「どうだったのです、忍術学園とやらは」
「…素晴らしい所でした。聡明な生徒ばかりで、叔父さんたち教師の方達も指導者としてとても優れていて…。未熟な私は学ぶことばかりです」
「そう。あなたにとって良い経験になったのならよかったですね」
うん?と母の物言いに若干の違和感を覚えつつ、突っ込むことも出来ずに固まっていると「それで」ときっちりした母の声が刃のように下ろされる。
「いつ戻るのです」
「いっ……」
「……戻らないつもりですか?」
冷や汗が滝のように背中から溢れ出す。予期していなかったわけではない問答だったが、いざ目の前にすると頭が真っ白になって何も出てこない。帰りたくない。素直な気持ちはそうでしかなかった。けれど、そんなこと言ったって母上は……。
「鉄丸が、一度家の外に出てみれば見識も広がって名前の良い経験になると言うから。それであなたの視野が広くなるならばと送り出したのです。決して忍術学園とやらに永久就職させるために送り出したのではありませんよ」
分かっていた。母上の考えていることくらい。でも、ほんの少しでも、気が変わってくれたりするんじゃないかって。結局母上は私の口から忍術学園でどう過ごしたのかとか、何を思ったのかとか、詳細に聞いてすらくれないのだ。そんなの私が何を経験したかなんてどうでもよくて、私が諦めて大人しく縁談を引き受けること待ちでしかないってことで。そんなの。
「戻りたく…ありません……」
「……」
「戻ったとて、誰かに嫁ぐしか私の道がないのであれば戻りたくなんてありません!」
「…勝手なことを……」
冷たい母上の物言いに、きゅうと肺の奥が切なくなる。
「では、これからもずっと忍術学園で働いて、誰に嫁ぐこともなく一人で生きていくのがお前の望みですか」
「……」
「現実的ではありませんね」
詰められても母上が聞きたい答えなんて一生私の口から出そうもないので黙るしかない。
「娘が不安定な道を選ぼうとして引き止めるのは親心としておかしいことですか」
「私が誰かに嫁いで地獄のような日々を生きることになるかもしれないっていうのはいいんですか」
「嫁ぐことが地獄になるかどうかはおまえの振る舞い次第でしょう」
「私は母上のようにはなれません!!」
衝動的に私が感情をぶちまけると、さすがに母上が息を呑んだようで部屋に沈黙が満ちた。私、生まれてから初めてこの家で声を荒げたんじゃないだろうか。母上の正しさが、強さが息苦しくて、ずっと声を喉に詰まらせてきた。それが今、初めて外に出た。
私相手に言葉を失くす母上に胸がすいたような気持ちと、罪悪感と、次の瞬間には勘当を言い渡されるんじゃないかという恐怖。色んな感情が綯い交ぜになって涙が落ちた。母上との会話で泣いたら負けだって分かってるのに、それでも溢れて止まらなかった。
「…もうすこし、時間を…ください……」
「……」
「自分の生きる道くらい、自分で決めたいのです……」
ぐずぐずの声で精一杯そう告げると、母上が重たく息を吐きだしてゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
忍術学園でみんなに囲まれて、色んな機会に触れて、私も何か成長できた気がしていたけれど。結局何も変わっていないのかもしれない。泣き虫で役立たずのままだ。
ちょっとは自分を好きになれた気がしてきたのに、また大嫌いになりそう。
モラトリアムと青い春 25話
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