夏休み。勘右衛門はというと特に何事もなく過ごしていた。全学年の宿題が入れ替わるだとかそういった問題もなく、出された宿題を粛々とこなし、家族とも特に変わったことはなく日々が過ぎた。家の手伝いはあれど、忍術学園に比べると時間の流れは随分と穏やかだ。
勘右衛門が巻き込まれた体質であることに変わりはないので度々ご近所のトラブルに巻き込まれたりもしたが、それも些事だ。そして余暇が生まれるとどうしても要らない事ばかり考えてしまう。名前の事とか名前の事とか。
思えば名前と出会ってから長期休みは初めてだったので、こんなに会わない期間が長いのも初めてだ。学校での名前しか知らない勘右衛門は、名前が故郷ではどのように振る舞うのかが気になった。仲のいい男の幼馴染とかいたらどうしようとか、くだらないことを考えたりもした。
しかし、名前は実家が苦手なようだったので、勘右衛門が思うほど気楽に過ごしてはいないのかもしれない。何がどう拗れて名前が実家が苦手なのかはあまり聞いていないので想像でしかないが。
とにかく勘右衛門は名前に会いたかった。これほどまでに学園の中で名前と過ごす時間は心地が良いものだと感じているなんて驚きだ。
「織姫と彦星にはなれないなあ〜」
自分が存外寂しがり屋なことが発覚してしまって、勘右衛門は呆れ気味にぼやいた。一年に一回しか会えないだなんて、悲しすぎて別れ際にみっともなく縋ってしまいそうだ。そんな男にはなりたくなかったはずなのだが、恋の威力とは恐ろしい。
***
夏休みが明けた。学園に着き荷物を部屋に放り入れて、兵助との再会もそこそこに勘右衛門は名前の姿を探し回る。すると職員室付近の廊下で木下先生と名前が立ち話をしている姿を見かけて、勘右衛門は急ブレーキをかけた。固まった体が本能的に踵を返そうとした時、木下先生がこちらに気が付いて若干呆れたような笑みを浮かべる。そして名前に何か声をかけると、名前がぱっとこちらを振り向いた。
「あっ、尾浜くん!」
まぶしい。かわいすぎてまぶしい。久々に会うと破壊力が凄まじい。勘右衛門が雷が打たれたかのように数秒放心しているとその間に木下先生が消えていた。えっそれはそれで気まずい。と思いながらも、木下先生の前で名前とのびのび話せる訳もないので、勘右衛門に機会を譲ってくれた木下先生に複雑な感謝の念を抱えつつ名前に歩み寄った。
「お久しぶりです。元気でしたか?」
「うん。尾浜くんも元気みたいでよかった」
名前の手元には何やらリストがあって、話を聞くと夏休み明けの見回りをこれから行うらしい。名前とゆっくり話したかった勘右衛門はちょうどいいので付き合うことにした。
学園内を歩き回りながら、勘右衛門は横目で名前の姿を捉える。
「(ええ?名前さんってこんなにかわいかったかな)」
遠距離効果とでも言おうか。久しぶりに会う名前は太陽に照らされた瞳がきらきらと輝いて、ころころと変わる表情が愛嬌に溢れてて、いい匂いがした。ようは夏休み中に思いを馳せすぎて想像の名前とばかり顔を突き合わせていたので、生身の破壊力がすごい。そしてそんな風に感じる自分が気色悪い。
「尾浜くん…なんか背伸びた?」
「えっ、そう…ですか?自分ではなんとも」
「伸びた気がする。男の子って本当にいつの間にかどんどん大きくなるね」
よっしゃと拳を握りしめたい気持ちを堪えて平静を装う。今はあまり変わらない背丈だが、いつかは名前を余裕で追い越すくらいには背丈が欲しい。男として当然の願望だった。
「夏休みの宿題、難しくなかった?」
「まあ簡単ではありませんでしたけど、なんとか頑張りましたよ」
「おお。さすが尾浜くん」
なんて夏休み談義を咲かせる。こうしてみると、名前はいつもと変わらないように見えるが、先ほど木下先生と話していた名前は顔が暗かった。やはり、名前にとっての夏休みは楽しいものではなかったのだろうか。訊きたい気持ちを抑えられず、勘右衛門はなるべく何でもないように尋ねた。
「名前さんは夏休みどうでした?」
「え?……うーん…、あんまり楽しいものでは、なかったかも…」
途端に名前の表情に影が差して視線が落ちる。これは、相当。
「…ご両親と?」
「うん……」
両親と上手くいっていない事だけは何となく聞いていた。期待に応えられないのだと。できることなら勘右衛門が詳細を聞いて名前の気持ちが軽くなるならそうしたかったが、名前の口は相当重いようだった。何かを紡ごうとしてはやめて、やがて震えた唇でか細い息を吐きだす。
「私、なんのために生きてるんだろうとか……思っちゃった。はは…」
そう言葉にすると、堪えきれなくなったのか名前の瞳からぽろぽろと涙がこぼれだす。
「わ…ごめ…、ちょっと待ってね、っ…」
慌てて顔を背けた名前が取り繕おうとするのが分かったので、勘右衛門は思わず名前の手を引いた。
「名前さん、大丈夫だから」
ここは幸い人通りも少ない。夏休み明けで生徒数もまばらな中、誰かが訪れる事はないだろう。立ち止まって泣いても大丈夫。そういう意味で勘右衛門が声をかけると、名前がくしゃっと顔を歪ませた。
「うう〜…ごめ…っぅ…」
「謝らないで。名前さん何も悪くないよ」
堰を切ったように顔を覆って泣きだす名前。どうやら、本当に勘右衛門が思っているより何倍も名前は夏休みが辛かったようだ。泣き震える名前の姿は頼りなくて寄り添いたい気持ちになったが、気安く勘右衛門が触れて良いわけがないので、ただ手を繋ぐだけにとどめた。
名前が泣き続けている間、勘右衛門は抱きしめて慰められる関係だったらどんなにいいだろう、と何度も考えた。こんなに辛そうな姿を目の前にしても、ただ見ることしかできないなんて。
やがて落ち着き始めた名前がゆっくりと今までのことや自分の気持ちを話し始めた。縁談がずっと上手くいかないこと。母親の期待が辛いこと。自分の将来のこと。
「誰にも嫁ぎたくないなんて言っても、そんなわがまま通るわけがないし…、学園にずっといたいっていうのも無理な話だから……」
「なんで。無理な話じゃないですよ。学園長先生に相談すればきっと、」
「そんなに甘えられないよ」
甘えなものか。名前の学園への貢献度を考えれば学園長にとっては願ってもない話のはずだ。そう言いたかったが、今の名前にはそれより伝えるべきことがあると思った。
「でもおれは、おれ以外だって、名前さんに学園にいてほしいって思ってます」
「……ありがとう…」
まっすぐに瞳を見つめて告げると、名前は勘右衛門の言葉をゆっくりと受け取ってくれたようだった。前までの名前だったらこれすら素直に受け取ってくれなかったかもしれない。勘右衛門が想いを伝え続けた成果だろうか。自惚れだとしても、そんな風に思いたかった。
「これだけは覚えてて。おれは名前さんのこと大好きだってこと」
「……」
はらはらと泣いていた名前の涙が驚きでぴたりと止まる。そんな反応に勘右衛門はやっぱりと呆れのような分かっていたような、半笑いが漏れる。
「忘れてた?」
「忘れてなんか…!…ない、けど……ご、ごめんなさい」
勘右衛門が告白したことは忘れていなくても、その自覚はやはり薄れていたようで名前が申し訳なさそうに縮こまる。委縮してほしいわけでなかったので、勘右衛門は冗談交じりな軽い声音を出した。
「だからさ、名前さんが行き着く場所に困るようなことがあったら、おれのお嫁さんになるってのはどう?」
「それは…、」
まあこちらとしては冗談ではないのだが。結構な割合で本音ではあるのだが、今ここで名前を困らせてもしょうがないので。勘右衛門は冗談だと分かるように大袈裟な笑顔を浮かべる。すると、名前もほどけたように笑った。
「素敵な提案だね。…ありがとう」
今はただの名前を元気づけるための冗談で良い。けれど、いつか。これが本気に取ってもらえるようになれたらいいと。勝機もそんなに見えないが夢を馳せるだけはタダなので、都合のいい妄想を脳内で広げるのだった。
モラトリアムと青い春 26話
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