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お見合いで散々な思いをした次の日、出勤して部屋の片付けや書類の整理をしていると、いつも通り怠そうに背中を丸めたクザンさんが執務室へと入ってくる。

「おはよーさん」
「おはようございます」

クザンさんの顔を見た瞬間、何故か我が家に帰ってきたかのような安堵感が胸を占めて、私はほっと息をついた。クザンさんの声や仕草や雰囲気、ほとんど毎日見てるはずなのに懐かしく感じる。

「どしたのよ」
「え?」
「なーんか疲れた顔してる」

何故こんなにも私の機微に聡いのか、常々不思議に思う。その鋭さに今日も驚いたが、昨日のお見合いの愚痴を延々と言うわけにもいかず、私は曖昧に笑って「そんなことないですよ」とお茶を濁した。
これ以上突っ込まれるとボロが出てしまいそうだったので、仕事モードに無理やり気分を切り替える。

「昨日サボった分、今日はちゃんと働いてもらいますよ」
「そんなおれサボってたわけじゃないのよ?ただ名前ちゃんがいなくてちょーっとやる気が出なかったっていうか」
「はいはい、コーヒー淹れてきすね」

クザンさんの冗談を軽く流して、私は日課である朝のコーヒーを淹れに給湯室へと向かった。クザンさんのためにちゃんとした店で買った美味しいコーヒーを淹れて、今日は上手くできたのではないだろうかとるんるんしながら執務室へと戻ると、クザンさんがしゃがんで何やら棚を漁っていた。

「?、何してるんです?」
「おかえり名前ちゃん。ほい」

私の持っていたコーヒーポッドを受け取ったクザンさんは代わりに棚から今しがた取り出したブランケットを私に渡す。唐突にブランケットを渡された状況が理解できなくて、私はクザンさんとブランケットを交互に見やった。

「あの、これ」
「ん〜、今日さみィかと思って」
「あ…ありがとうございます」
「名前ちゃん女の子なんだから体冷やしちゃだめよ」

確かに今日は肌寒く、薄着をしてきたことを少し後悔してたが、それでもそんなあからさまな態度は見せてないはずだ。クザンさんなんて能力上、大して寒さなんて感じないはずなのに。
クザンさんに渡されたブランケットが妙に熱を持って、ぐわーっとよく分からない感情がこみ上げた。

「…クザンさんってほんともう……」
「え、なに?どうかした?」
「何でもありません!」
「何で怒ってんの!?」

急に大きな声をあげた私にクザンさんがビビっていると、ノックと同時に執務室のドアが開けられてボルサリーノさんの「入るよ〜」という間延びした声が響く。予想してなかった来客に私は慌ててブランケットを置いて振り返った。

「お、おはようございますボルサリーノさん!」
「おー、名前ちゃん元気いいねェ」
「ちょっと朝から何?」

クザンさんもボルサリーノさんが訪れることは知らなかったようで、顔を顰めて不満げな声を上げる。何かクザンさんに用事だろうかと思い、通りやすいように道を開けると、私の予想に反してボルサリーノさんは私の前で歩みを止めた。

「ん〜、ちょっと名前ちゃんにお願いしたいことがあって」
「あ、私ですか?」
「うん、事務の子に名前ちゃんじゃないと分からないって突っ返されちゃってね〜」

そう言われて思い当たる仕事内容を頭の中に並べながら、メモとペンを取り出して事務室へ行く準備をする。そんな私をクザンさんは不機嫌そうにじっと見つめてきたが、構っているときりがないため無視した。

「分かりました。一緒に行きますね」
「すまないねェ。クザ〜ン、名前ちゃん借りていくよォ〜」
「うちの名前ちゃんなんだからすぐ返してよ!」

喚くクザンさんを背に、私はボルサリーノさんと事務室へと向かった。うちの、にドキッとしたりだなんて、断じてそんなことは無い。

事務室へ行って頼まれた仕事内容は大したものではなく、ただの確認作業と私のみが把握している資料の場所についての引継ぎだったため、案外すぐに終わった。
執務室へと戻る廊下をボルサリーノさんと並んで歩いていると「助かったよ、ありがとねェ〜」と言われ、照れ臭くなる。他人に期待してないであろうボルサリーノさんに仕事上でお礼を言われると、やけに嬉しかった。

「本当は昨日頼もうと思ってたんだけど、名前ちゃんが珍しくいなかったからびっくりしたよォ」
「あー…ちょっと、用事があってお休みをいただいてました」

歯切れ悪く返した私に、目を瞬かせるボルサリーノさん。私が口ごもった理由を何となく察したようで、ボルサリーノさんは驚きつつ私の顔を覗き込んだ。

「厄介ごとかい〜?」
「厄介……そう、ですね…確かに厄介です…。…その、ちょっとお見合いを…」

思わず厄介であることを肯定してしまった。勢いに任せてお見合いのことまで口を滑らすと、ボルサリーノさんが珍しく驚いた様子を見せる。

「母に頼まれて、うう…断れなくて…」
「おー…大変だねェ…」

サングラスの向こうは相変わらず何を映し出しているのかは分からなかったが、それでも労わる雰囲気は伝わってきて無性に泣きたくなった。変に同情とかではなく、あのボルサリーノさんが労わってくれているというのが心にしみる。
また次の休みには彼と会わなければならないことを思いだすと、重しを詰めたように胸が重くなった。何とも言えない空気を抱えながら執務室へと戻ると、クザンさんが弾かれたように顔を上げて嬉しそうに私を出迎えた。

「遅かったじゃないの〜、おかえり」
「…はあ……」
「え、おれの顔見てため息?」
「クザ〜ン」
「なにこれ、おれが悪いの?」

話してしまっただけにまた憂鬱なお見合いのことが頭から離れず、クザンさんの顔を見てもいまいち仕事モードに切り替えることが出来ない。ボルサリーノさんの非難を浴びて慌て始めたクザンさんに「すみません何でもないです」と力なく言って、私はのろのろと業務を再開するのだった。次の休みなんて来ずに、ずっとここで仕事をしていられたらいいのに。

***

面倒くさがるクザンさんを会議に送り出してから、溜まった仕事を一人で黙々と消化し始めたところまでは覚えている。そのうち静かな空間で文字を追ってる作業に眠気を覚えて、そこから先の記憶が無い。
恐らく、いや絶対に眠りこけたのだろう。でなければ今ソファーのふかふか具合を堪能しているはずがない。

ぱちりと目を覚ました時には窓から差し込む外の光ではなく、ランプの明かりが部屋を照らしていた。心地の良い温もりに包まれていた私はさぞ爆睡をしたのだろう。私を包んでいたのは、クザンさんの海軍コートだった。かたかたと小さな物音が近くで聞こえて、とっくに会議が終わってクザンさんが帰ってきていることが分かる。

普通だったら跳ね起きて仕事の最中に寝てしまうなんてクザンさんみたいなことをしてしまって申し訳ないと謝り倒すのだが、クザンさんの海軍コートに包まれている現状でどんな顔をして目を覚ましたらいいのか分からず、ソファーの布地をひたすら見つめる。
とりあえず固まった体を解そうと身じろぎをすると、コートからクザンさんの匂いがふわりと鼻腔を掠めて無性に泣きたくなった。

何故、今私は泣きそうになっているのだろう。クザンさんがそばにいる気配が、クザンさんのコートから香る匂いが、部屋をぼんやりと照らす控えめなランプの明かりが、やけに悲しくて私の頬を伝った涙はソファーに染みを作った。

「(…なんか…クザンさんのこと……)」

好き、かも。

自覚をしたのは唐突だったが、やけにすんなりと私の胸に落ちた事実だった。だからきっと訳もなく涙が出るのだ。
クザンさんに甘やかされるこの関係が心地よくて、私はそれにずっと甘えきって気づかないふりをしていた。理想でもなんでもなく、私はただの女としてクザンさんが好きなだけだった。

自覚をしたのと同時に私はその恋を諦めた。クザンさんとは今のような仕事上の間柄であるからこのような空気感でいられるのであって、恋人関係になんてなれるわけが無い。不毛すぎる。
冷静に物事を考えられていた頭は、クザンさんへの恋心をいち早く削除してしまおうと、無理矢理お見合いの方へと気持ちを傾け始める。

お見合い、真剣に考えてみよう。そうしたら、クザンさんのことを忘れられるかもしれない。そう決めた私の瞳からは、まだ涙が止まりそうになかった。

今日は私の拙い恋心の誕生日で、そして命日だ。


恋情ブレンド 6話


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