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TopMainそれって愛でしょ
背中を丸めて店内に入ってくるその姿に、ドキリとしてしまう感覚を私はまだ認められずにいる。

こんな小さなカフェ何度か来ればもう顔なじみで、有名人であるクザンさんなんて余計忘れられるわけもなく、すっかり私の中でクザンさんは常連枠となっていた。いつもの席に着いたのを確認して、私は水を持ってクザンさんの席へと向かう。

「…なんか不機嫌?」
「いえ別に」
「そう?」

そわそわと落ち着かない気持ちを抑え込もうとすればするほど、表情が硬くなってしまう。この人のテンションのせいだろうか、クザンさんの前ではいつもの営業スマイルを振りまくモードを保てず、つい素の自分が顔を出す。ちゃんとしなければと気合を入れなおして、持っていた水をテーブルへと置いた。

「今日のおすすめは?」
「フロランタン」
「フロランタン?」
「多分クザンさん好きだよ」
「じゃあそれで」

コーヒーを注文するのはもういつものことなので、他に頼むものだけを確認して奥へ引っ込もうとすると、クザンさんの声が私を呼び止める。何かと思って振り返れば、クザンさんの視線はカウンターの向こう側へ向いていた。

「お母さん?」
「うん。見たの初めてだっけ」

クザンさんが見ていたのはカウンターの中で作業している母だった。いつもは奥で調理をしているためホールに出ることはないが、今日はたまたまこちら側で仕事をしているようだ。
何度か来ているクザンさんだったが、母を見るのは今日が初めてだったらしい。クザンさんは母を観察した後、見比べるように私を見た。

「美人だねェ、お母さん」
「よく言われます」
「まァ、名前ちゃんもかわいいけど」

さらりと落とされた爆弾に硬直する。他の馴染みのおじさんたちに「かわいいね〜」と言われても笑顔でお礼を言って流せるものが、どうにもクザンさんだとそういかない。
上手く言えないが、クザンさんのそれは馴染みのおじさんたちが言うものと持つ意味合いが違うのだ。クザンさんのはどちらかというと口説き文句のようなもので、もちろん本気でそれを言っているとは微塵も思っていないが、全く耐性がない私は流すことすらできない。

例によって何も言葉を返せずに絶句していると、クザンさんが愉快そうに目を細める。

「名前ちゃん、ほんとに照れ屋よね」
「……く…クザンさんこそ、その軽口何とかならないんですか」
「おれ本音だもん」
「もんっていうな」

つい厳しい口調で突っ込むと、クザンさんがまた満足そうに笑う。その表情を見た瞬間、ぞわぞわとした感覚が這い上がってきて、発火したように顔が熱くなる。これ以上この場にいるのは耐えられず、私は逃げるように奥へと引っ込んだ。

厨房に戻ると、カウンターで作業していた母が戻ってきて、淹れ終えたらしいコーヒーをカップに注ぎ始める。私もクザンさんに出すフロランタンを皿に盛りつけていると、母がちらりとホールを一瞥した。

「大将さんまた来てるの?」
「うん、来てるけど…」
「お熱ねえ」
「は?何に?」
「名前に」

一瞬何を言われてるのか本当に分からず、数秒してからやっと言葉の意味を理解した私は声にならない声をあげる。

「なっ……!そ、そんなんじゃないでしょ!!」
「はいはい。早く運びなさいそれ」

否定する理由を並べなければと思っては言葉にならずに身悶えていると、追い払うようにカップが乗ったトレーを渡されてしまい、もやもやしたままトレーを持って厨房を出る。こういうことになると冷静さを欠いてしまうのをどうにかしたいとは最近常々思っているが、意識してみてすぐできるようなものでもない。

クザンさんが私目当てで店に来てるなんて、そんなバカげたことあるわけないと思っているものの、どこかそう期待してしまってるのも確かで。図星で余計に反論できなかった自分に、また羞恥心がこみ上げる。このまま店を飛び出して叫びながら全力疾走したいとアホなことを考えたが、途端に冷静になって目の前の仕事に意識を戻す。

平常心、と唱えてホールに戻りクザンさんのテーブルを見やると、店に居合わせたらしき海兵がクザンさんに挨拶をしていた。大将を見かけたのに、一海兵として挨拶もなしに通り過ぎることもできなかったのだろう。その光景を、私はどこか不思議な気持ちで眺めていた。
海兵がクザンさんの席からいなくなったのを見計らって運びに行くと、クザンさんが「ごめんな」と申し訳なさそうに眉を下げた。

「え、何がですか」
「待たせちゃったでしょ」
「ああ…、別に大丈夫ですよ」

見えてたのか、とクザンさんの視野の広さに感嘆しつつ、テーブルにコーヒーとフロランタンを並べる。置かれたコーヒーを手に取って口をつけたクザンさんがいつものように「うまい」と呟くのを見て、私は先ほどの違和感また胸の内に広げた。

「…名前ちゃん?どしたの」
「なんか、クザンさんって本当に大将さんなんだなって」
「…うん?」

意味が飲み込めない様子で私を見上げるクザンさんは、やっぱり私の中ではただのクザンさんに見える。

「ここにいるとあんま分かんないから」
「ああ、おれが大将だってこと?」
「うん。なんていうか、普通だし」

普通、というと語弊があったりもするのだが、少なくとも今までここで過ごしてきたクザンさんを見ていて“大将青キジ”を感じることはそうなかったのだ。先ほど海兵に挨拶をされていたクザンさんを見て、ようやくそういえばと思ったくらいだった。
今更ながら少し失礼だったのだろうか、と考えていると、クザンさんはふっと柔らかく笑う。

「別に名前ちゃんは大将だって思わなくていいよ」

クザンさんの言葉に、心の奥で私が胸を撫で下ろした気がした。やっぱり、クザンさんはクザンさんだ。わずかに力が入ってた肩が落ちて、小さく息をつく。大将だと思わなくていいとは言われたが、改めてクザンさんが海軍のトップの方に立つ人間だということを思い出して、私はふと思った疑問を口にしていた。

「大将ってやっぱ強いの?」

別に声を張ったわけでもなかったのだが、広くない店内には私の声が全体的に届いたらしく、数か所から飲み物を吹き出す音やむせる声があがる。そんなにまずい質問をしただろうかとクザンさんを見れば、何故か盛大に笑っていて「そうねェ、そこそこ強いかな」と震える声で私に答えたのだった。


それって愛でしょ 2話


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