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最近、本をよく手に取るようになった。父に同盟諸侯の情勢を聞くようになった。剣術の稽古も苦手なりに励んでいる。
父は私の変化に驚いていたが、突っ込むことも揶揄ることもせずに、今が好機と言わんばかりに私に様々なことを教えてくれた。盤上遊戯の遊び相手ができたことも、素直に嬉しいらしい。

変わってきているのは自覚できている。何が私を動かしているのかも何となく分かっていた。しかし、言葉に当てはめようとするとすると難しいものがある。
劣等感のような気持ちから来るものではなく、例えるならそう。これから大海に飛び込む準備をしているような。

自分の心根も曖昧に、今ただ湧き上がってくるのは知識欲。知りたい。色々なことを。
そうしたら、彼の瞳から視線を逸らさずにいられる気がした。

彼とはあれ以来会っていない。今は後継者問題で忙しさの真っ只中のようだ。父や、ダフネル家のジュディットさんも彼のために動いているようで、忙しなく連絡を取ったり悪い笑みを浮かべた会合をしたりしているのをよく見かける。
今の私ができることは、知識を積もらせていくこと。誰に言われたわけでもないが、そう感じていた。


一か月後、クロードがリーガン家の嫡子であることが公表された。

後日、リーガン家主催の社交界の招待状が届いた。改めてクロードの御目見え、と言ったところだろう。私が彼の立場なら胃痛で吐いていただろうな、と招待状を片手に思わず遠い目をしてしまった。だが、彼なら上手くこなすのだろう。むしろ、これを逆手にとって同盟諸侯の半数以上は味方につけたい、くらいは思っていそうだ。…本当に、そう思っていそうだ。

私の希望に関わらず、コーンウォール家の嫡子として私も出席することは確定事項だった。その日を心待ちにしている父と話をしていると、横で母がドレスを新調しなければと張り切っていたので「私に選ばせてください」と慌てて口を挟んだ。もう目が痛くなるような赤のドレスを着るのは御免願いたい。

***

煌びやかで人の声が絶えない空気。昔からあまり好きではなかった。この空気を感じると、条件反射のように体が「退屈だ」と感じるのだ。例のごとく足を踏み入れたときは鬱々とした気分が胸の中を占めたが、今日は少し今までと違う物事の見え方がした。
いつものように父の横について同盟諸侯への挨拶回り。声の高さと笑顔が崩れないことに気を配ることで精神が疲弊してくだけ、と思っていたがそうでもない。周りから聞いた話を思いだしながら、相手の様子を見ていると様々な情報が飛び込んでくる。

なるほど、情勢が分かるとはこうも面白いものか。ちょっとした全能感すら湧いてくる。隣であくび一つせずに挨拶回りを続ける私に、父は機嫌がよさそうだった。

しばらくして、忙しなく多数の貴族の対応をしていたリーガン公の手が空いたようで、私たちを見て手招きをする。リーガン公の隣に立つ彼の姿に心臓が大げさなほど反応したが、素知らぬふり。

「リーガン公!お元気でしたか」
「しょっちゅう会っているだろう、わざとらしい。それより名前だ。おお、久しぶりだな名前」
「お祝いの言葉くらい言わせてもらえませんかねえ」
「そんなものいらん」

一蹴された父がわざとらしく肩を竦める。リーガン公は父を放っておき、確かめるように私の両肩に手を置いた。

「少し会わないだけですっかり美人になったな、名前」
「おじさまは相変わらずお元気そうで何よりです」
「名前が美しく成長していく様を見ずに死ぬことなぞできん」

大げさに首を振ってみせるリーガン公に、愛想ではない笑みがこぼれる。固くなっていた頬の筋肉が解れる感覚がした。
リーガン家の後継ぎがどうなってもいい、と思っていたのは嘘ではない。後継ぎやリーガン家の未来には別に興味などなかった。しかし、このリーガン公のことだけは、昔から大好きであった。

捻くれ真っ最中だった幼少期の私を何かと構ってくれていたのがリーガン公だった。失礼なこともたくさん言ったはずなのに、リーガン公は怒りもせずに私と同じ目線に立ち、悪戯っ子のような顔で良いことから悪いことまで何でも教えてくれた。あまりにもよろしくないことを教えすぎて、度々父に怒られていたが。

本当のことを言うと、相変わらずお元気そうで、なんて嘘だ。会うたびに老いをまざまざと感じる。随分と皺が増えたリーガン公の手をとると、侘しさが一層増した。

「しかし、この度は優秀な後継者に恵まれましたし、安心していつでも逝けるんじゃないですか?」
「父上、縁起でもない…」
「安心なんて馬鹿をぬかすな。こんな未熟な小僧、まだまだ同盟を任せられたものではない」
「おいおい祖父さん、どれだけ世に憚るつもりだ?」

リーガン公とクロードが会話を交わす姿を見たのはこれが初めてだったが、予想通りというか、なんというか。つい、血を感じてしまった。彼はリーガン公の孫なのだなあと実感していると、父とリーガン公はいつものように話が盛り上がり始めたようで、自然と私とクロードが取り残された。

何か、話を。まず祝いの言葉からだろうか。今更言うのもおかしい気がして、しかし言わないのも失礼な気がして、ぐるぐると考え込んでいると、クロードが「…驚いた」と小さく呟く。

「え?」
「結構祖父さんに気に入られてるんだな」
「あ、ああ…。昔から私のことを気にかけてくれていたの。私にとっても祖父のような存在で……って、貴方の前で言うと失礼でした、すみません」
「いや別に構わないぜ。そうなると、俺たちはいとこってとこか?」

クロードが、いとこ。考えた後で表情に制限をかけていないことに気が付いて、慌てて取り繕う。が、すでに時遅し。

「そうあからさまに嫌そうな顔するなよ」
「し、してないです」

もう嘘だということも分かり切っているだろうが、形式上否定だけはしておかなければ。
クロードがいとこだなんて、比較の対象になって惨めな気分を今の何倍も味わうことになりそうだな、と考えたら一瞬で喉が詰まって気持ち悪くなるほどだった。しみじみと彼が親戚の類ではないことに感謝した。

リーガン公と父の話もそろそろ切り上げられそうな気配がしたため、そわそわと落ち着かなく待っていると、ふと彼の咳払いに気が付く。別に無視もできた。そのまま聞こえなかったふりをしても違和感はない。しかし、ここで一歩踏み出さないと、何も変わらない気がした。

「(何も?…何が?)」

今は考えるより先に行動。それに、答えはまだ分かりたくないと心の片隅で誰かが囁いていた。
私はいつも忍ばせている小さな包みを取り出し、そのままクロードに差し出す。

「あの、よかったらこれ」
「ん?…飴?」
「のど飴です」

ぱちり、とそれこそ飴玉みたいな翠緑の瞳が丸くなる。

「…そんなに聞き苦しい声だったか?風邪は引いてないんだが」
「いえ、そうではないけど、でも、疲れるでしょう」

首を捻る彼に、今更言うのも失礼な気がしてきたと尻込みした私はぽそりと呟く。

「猫なで声」

ぱちぱち。ふたつほど瞬きをすると、クロードは堪えきれないと言ったように吹き出した。

「っふ……ああ、確かにな。ありがたく貰っておくよ。…くく…」

ちょっとした冗談、も含ませたつもりでもあった。だからクロードが無事笑っているのを見てほっと胸を撫でおろす。クロードじゃなければこんなに緊張することもないだろうに。どっと疲れが押し寄せたが、クロードが普通に笑っている顔を見ていると、今まで彼に抱いていた恐れのような気持ちが僅かにほどけていくのを感じた。

緊張で重くなっていた心が解放されたと同時に、話が終わったらしい父も迎えに来たので、私はクロードとリーガン公に一礼をしてその場を後にした。


今日も彼の瞳からは目を逸らしてしまったし、心の靄が晴れたわけではない。それでも少し、何かが変わったような。そういう風に思っても、今日はいいんじゃないだろうか。そう言い聞かせて、疲弊した喉を癒すため飴玉を口に放り込んだ。


まばゆいひと 2話


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