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父の口から士官学校入学の話が出たとき、驚きはしなかった。初めて切り出された話題でもなかったし、有力貴族の嫡子は大体入れられるものである。
とうとうか、と小さくため息をつくと、肺に重りを投げ込まれたかのように気分が沈む。別に泣きわめきたくなるほど嫌なわけではない。戦術等に興味を持ち始めた今、専門的に学べることには楽しみを抱いている部分もある。しかし、新たな環境というのは往々にして憂鬱になるものだ。

「級友たちと切磋琢磨し、その才を存分に伸ばしてくるといい」

父にとって士官学校はとてもいい思い出のようで、私より期待に満ち溢れた目をしている。入学するのは、私なんですけれども。悪気はないと分かってはいるものの、父の浮かれ具合が重圧に思えてげんなりする。多少ぎこちない笑みで「はい」と良い娘らしく頷くと、何かを思いだしたらしい父が手を叩いた。

「そういえば、クロードも今年入るそうだ」
「あ……そうなん、ですね」
「顔見知りがいてよかったな」
「はい。安心しました」

知っていたけれども、そうなるだろうと思っていたけれども。いざ事実として聞くと、心臓がやけに飛び跳ねた。
クロードと一年間、一緒。それも同じ学級でだ。ひどく憂鬱なような、なんだかこそばゆいような。綯い交ぜになった感情に、最終的には何故か恥ずかしくなってしまい、自身の頬を叩いて一喝した。このことは入学までは深く考えないようにしよう。
そう決めてから部屋に戻り、入学前に準備しなければいけないことを整理しようとペンを手に取る。しかし、拷問のように何度も彼の顔がちらつくものだから、声とも呼べない奇妙な唸りが私の口から漏れたのだった。

***

出発の朝、父は爛々とした瞳で「励むのだぞ」と私の背を撫でた。母は始終眉を下げて、心配で寂しくてたまらないというような顔をするものだから、つい苦笑いが漏れた。「たくさん手紙を出します」と母に告げてから、馬車へと乗り込む。少しの間だけ、この屋敷とはお別れだ。

大樹の節は本当に、どうにも眠くなる。うららかな陽を受けて船を漕いでいると、あっという間にガルグ=マク大修道院に到着していた。訪れるのは初めてではなかったが、この物々しい雰囲気にはそう慣れるものではない。一年も過ごしていれば、慣れるのかもしれないが。

ついてしまったか、と思った頃には、憂鬱さはあまり胸に残っていなかった。諦めの良さいうか、腹を括る速さは多分人よりある方なのだろう。御者に礼を告げて、重たい荷物を持った私は大修道院へと足を踏み入れた。



がやがやと落ち着きのない空気。同盟領出身のものたちがひしめきあう教室は、様々な話し声で満ちていた。こういうとき、積極的に話しかけて友人を作ろう、となれない私はかわいくないと自分で思う。機会が合ったらなるようになるのだから、無理して動く必要性は全く感じなかった。
暇を持て余すように周りの話し声に耳を傾けていると、どうやら今年は話題性に富んでいるらしい。黒鷲の学級には皇女様がいるだとか、青獅子の学級には王子様がいるとか。かくいう、この金鹿の学級にも次期盟主の彼がいる。
そうそうたる顔ぶれに、しばらく話題は尽きなさそうだ。まあ、あまり興味はないけれど。聞き耳を立てることにも飽きてきて、また瞼が重くなってきたところで、不意にふわりと甘い香りが鼻を掠める。

「名前ちゃん、だよねー」

名を呼ばれたことに驚いて顔を上げると、ぱっちりとした瞳と目が合った。桃色の髪、はっきりとした華やかな顔立ち。記憶を辿ってその家名を思いだすのは、難しくはなかった。

「ゴネリル公の…」
「覚えててくれたの?嬉しいー」
「さすがに覚えてるよ。そっちこそ、私の名前まで覚えててくれたの?」
「ずっと気になってたものー。初めまして、あたしはヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリル」
「初めまして、私は名前=フォン=コーンウォール」

差し出された綺麗な手を握ると、ヒルダはにこっと愛想のいい笑顔を浮かべて私の隣に腰を下ろす。

「名前ちゃんの姿見かけて、これはもうお話ししなきゃーって思ったの」
「ええ…なんか、口説かれてる?ヒルダちゃんみたいなかわいい子に言われると嬉しいな」
「名前ちゃんこそあたしのこと口説いてるー?」
「ふふ、前から思ってた本音だよ」

社交界や同盟諸侯の催しの場でヒルダを見かけたことは何度かあった。人目を惹く華やかな容姿の上に、あのゴネリル公の一人娘で、あのホルスト卿の妹だ。気にならないわけがない。遠くから見ていてもその愛想の良さはよく分かったが、実際に話してみると本当に人づきあいが上手そうな接し方をする。

「これから一年間、ぜひ仲良くしましょうねー」
「うん、よろしく」

話していてもあまり苦にならなそうな級友ができて、どっと安心感が押し寄せる。積極的に話しかけに行くつもりはなかったが、友人が欲しくなかったわけではない。やはり一人でもいると心持ちが全然違う。ヒルダが話しかけにきてくれたことを心の中で感謝していると、ふと教室全体の声が潜まった。
何かと思い辺りを見渡すと、教室の入口に彼の姿。あ、と思った時にはばっちりと視線がかち合っていた。目を逸らすこともできずにいると、すたすたと彼の足が真っすぐに私を目指す。

「久しぶりだな、名前」
「う、ん。ひさしぶり」

別に、顔見知りがいたから挨拶をしにきた、という何でもなさげな彼の顔。教室中の意識がこちらに割かれていることも気にしていないようだ。心の準備もできないまま話しかけられた私は、彼の言葉を復唱するように返事することしかできない。

「これからいやでも一年間は一緒なわけだが」
「…いやじゃないよ」
「そうか?」

前のこと、覚えていたのか。彼の性質上、根に持っているわけではないと思うが、冗談で持ち出すあたりいやらしさを感じる。私が少し笑ったのを見て彼も満足そうに笑ったかと思うと、私に向けてぱっと手を広げた。

「じゃ、一年間よろしく頼む」

差し出された手は握らなければ、礼儀なのだから。何故か戸惑う思考を叱咤して、なんとかその手を握り返す。先ほどの白魚のようなヒルダの手とは違い、大きくて節ばった手だった。

クロードと一年間、この学び舎で共に過ごす。確かに事実であるのに、同じ制服をきて今この場で握手をしているのに。想像も実感も少しもできやしなかった。


まばゆいひと 3話


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