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TopMainそれって愛でしょ
あの声が聞けなくなって、一か月ぐらいは経っただろうか。いつも決まった時間帯になると入口のベルに過敏に反応してしまっている自分が憎い。こんなことになるなら帰ってくる日くらい訊けばよかっただろうかとも思ったが、それはそれで帰ってくるまでカウントダウンを始めて余計焦れてしまいそうだった。

「大将さん最近来ないのね」

ケーキに生クリームを絞っていた母がぼやいた内容に、思わずびくっと肩を揺れる。私は浅く息を吸ってから、努めて冷静に答えた。

「仕事でしばらく来れないんだって」
「あら、さびしい」
「し、仕事なんだからしょうがないでしょ。さびしいとか別に…」
「ママがさびしいって思っただけなんだけど」
「……」

ここまで来て母相手に言い訳しても無駄なことは分かっていたが、どうにか取り繕おうとぐるぐる考え込んでいる私をよそに、母は大して追及せずにデコレーションを終えたケーキを冷蔵庫に運び入れる。
それでもまだ身構えていると、何事もなかったかのように「ちょっと買い出し行ってきて」と頼まれ、これ以上母の前にいたくなかった私は秒で引き受けて店を飛び出した。

外に出て、港の方を見やるといつもより見える軍艦の数が多い気がした。ある予感が胸をよぎらないでもなかったが、無駄に期待して落ち込むのも嫌で私は買い出しに集中しようと手元のメモを読み上げた。

いつも通り馴染みの店で買い物をしていると、海兵が大通りを行き来しているのが目立った。これは私の勘がいよいよ当たってるのではないだろうかと港を見つめていると、お会計をしていた店主が「青キジさん帰ってきたみたいだねえ」と言うものだから心臓が跳ねる。

「やっぱあれクザ…、青キジさんの軍艦?」
「多分そうだよ。はい、おつり」

店主からお釣りを受け取って、私は足早に店を出た。行き交う海兵の中にクザンさんの姿を探してしまったが、よく考えたら仕事中に声はかけられないなと冷静になって、踵を返して次の店へと向かう。そわそわする気持ちは必死に抑え込んで、知らないふりをした。

私が買い出しを終える頃には、空にほんのりと赤みが差していた。帰ってゆっくりしたい、と若干の眠気と戦いながら帰路をのろのろ歩いていると「あらら、」と予想していなかった声が降ってきて、勢いよく顔を上げる。

「く、クザンさ…!」
「久しぶり、名前ちゃん」

鼓膜を揺らした低い声に、じわじわとこみ上げる熱。そこでやっと、不本意ながらもずっとこの声が聞きたかったのだと、さびしかったのだと実感してしまって、私はクザンさんの顔がまともに見れなかった。

「偶然ねェ。まさか外で会うとは思わなかったわ。…あ、もしかしておれのお出迎え、」
「ただの買い出しです!!」
「そんなに強く否定しなくてもいいじゃない……」

意識していただけに、図星ではないが図星を突かれたような気がして、勢いよく否定してしまう。そして同時に何も変わってない様子に、安心している自分がいた。
背けていた視線をちらりとクザンさんの方に向けると、あまり見慣れないきっちりとした海軍のコートが視界の端に揺れる。普段より仕事中の雰囲気が強く出ているその姿に、なんだか落ち着かない。

「お仕事終わって帰ってきた、んだよね」
「うん、そうよ。帰ってきたばっか」
「お疲れ様、です。…あと、お…おかえりなさい」

言わなければいけないと思ったから口にしただけ。だが、言った後から恥ずかしさがこみ上げてきて、私が言う台詞じゃないかもしれないなんて考え込んでる間、場に流れていたのは沈黙だった。珍しくクザンさんからの返答がないと思い見上げると、クザンさんは少し驚いているように見えた。

「あ〜〜…、ありがと、名前ちゃん。ただいま」

引かれてしまったのかも、と一瞬思ったが、クザンさんが次に見せたのはずいぶんと柔らかい表情で、今度はこっちが面食らう。お互いが気恥ずかしいような、そんな空気が流れて、耐えられなくなった私は「じゃあ、」と帰り道の方角へ体を向けた。

「み、店で待ってます」

そう言い残して私は大股でその場から逃げるように立ち去った。夕陽が落ちていくのは本当に早いもので、先ほどまで紅かった空はすっかり濃紺に染まっている。吹き付ける風が段々と冷たくなっていたが、高揚感でのぼせている私の体を冷ますのにはちょうどよかった。


それって愛でしょ 4話


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