a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMainモラトリアムと青い春
忍術学園の生徒は、良い子が多いとつくづく思う。

「うちの喜八郎が本当に申し訳ありません」

頭を下げると同時にさらりと流れた髪の毛に見惚れつつ、その横で強引に頭を押さえつけられている、ふわふわの髪の毛にも視線を奪われる。どちらとも羨ましいほど綺麗な髪だ…なんて言ってる場合ではなかった。

「あ、頭上げて立花くん。本当に、そんな謝られることじゃないから…」
「いえ、こちらの過失で苗字さんに怪我を負わせるなどあってはならないことです。…喜八郎」
「すみませんでしたあ」

間延びした謝罪に立花くんの眉毛がぴくりと動いたが、綾部くんはこれが平常運転らしい。怒っても無駄だと言わんばかりに言葉を飲み込んだ立花くんに、思わず苦笑いがこぼれる。

「これからは私も気を付けるし…。尾浜くんに聞いたの、罠には印があるんでしょう?移動の時は気を付けるようにするね」
「それは確かにそうですが…、苗字さんは忍者ではありません」
「でも忍術学園に勤める身だし、これくらいは私も頑張らないと」

間違ったことは言ってないはずだ。学園の敷地内自体、競合地域となっており、演習場に仕掛けるよう言われているのも、そこまで厳格なルールではないらしい。まだ耐性がない低学年が罠にかかったとしても、そうして成長を重ねていくものだと尾浜くんが言っていた。立花くんもそれは重々承知しているのか、困ったように眉を下げる。
その横でどこだか分からない空間に視線を彷徨わせている後輩がちらちらと気になるようで、立花くんは口をひきつらせながら綾部くんの肩を掴んだ。

「……喜八郎、おまえは本当に反省しているのか?苗字さんには仕事に支障が出るほどの怪我を負わせてしまってるんだ」
「反省してますよお。今度から苗字さんの動線には仕掛けないようにします」

微妙に望んでいた返答ではなかったらしい立花くんがこめかみを押さえて俯く。後輩の面倒を見るのって大変なんだなと他人事のように達観視してしまったが、脳裏に小松田さんが浮かんで私も頭が痛くなった。小松田さん、後輩じゃないけれど。
どうにかしてこれ以上立花くんが頭を悩ませないようフォローせねばと、立花くんの顔色をそろりと窺う。

「その、罠が侵入者に働くこともあるんだよね?」
「…それは…はい。喜八郎の罠はプロ忍にも通用するレベルですので、侵入者対策としては大いに役立ちます」
「だったらやっぱり綾部くんの罠は必要不可欠ってことだね」

私の必死のフォローが効いてくれたのか、立花くんは少し表情を柔らかくすると綾部くんを見ながら呆れ交じりのため息をつく。

「私とて、喜八郎の芽を摘みたいわけではないのです。ただもう少し限度を覚えてほしいだけなのですが…」
「立花先輩がそれ言うんですかー?」
「狙う的を絞れと言っているんだ」

さらっと怖い会話だったような。いや、深く突っ込まないでおこう。口を噤んで二人のやりとりを見守っていると、立花くんがわざとらしく咳ばらいをして「とにかく」と多少強引に話を切り上げる。

「怪我を負わせてしまった責任は私どもにありますので、何かお困りのことがあれば容赦なく言ってください」
「うん。ありがとう、立花くん。綾部くんも」

綾部くんにもお礼を言うと、ゆらゆらと彷徨っていた視線が唐突にばちりと合う。丸っこい綺麗な瞳に目を奪われていると、綾部くんが私の前にしゃがみこみ、包帯でぐるぐる巻きにされている足首にそっと触れた。

「…痛みます?」
「あ、動かさなければ痛みは全然!大丈夫だよ」

驚いた。正直綾部くんは全く気にしていないのかと思っていたが、そうでもないらしい。綾部くんは私の返答に「そうですか」と呟くと、あまり感情を映し出さない瞳で私を見上げた。

「もし、傷残ったりしたらちゃーんと責任はとります」
「…えっ」

責任って、どういう。私が意味を噛み砕けずに呆けている間に「それじゃあ」と踵を返して、すたこらと去って行ってしまう綾部くん。立花くんと言えば、またこめかみに手を当てて俯いていた。

「…すみません。また喜八郎が何かやらかした場合は私に言ってください」
「わ、わかった」
「それでは、失礼します」

苦虫を噛みつぶしたような顔でそう言い残すと、立花くんは綺麗な一礼をして綾部くんの後を追った。
なんていうか、やっぱり忍たまって良い子が多いと、私は思う。

***

怪我をしてから、定期的に保健室に来るように言われた私が、保健委員会の皆と仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
今日も包帯を変えるために保健室へと訪れると、伏木蔵くんの「あ、苗字さんだあ〜」というのほほんとした声に出迎えられて顔が綻ぶ。

「こんにちは。包帯を変えてもらいにきました」
「はい、今用意しますね」

善法寺くんがにこやかに頷いて、その他の小さな体が保健室内をあくせくと動き回る。ここ最近で保健委員会は別名、不運委員会と呼ばれていることと、その意味を身をもってよく理解したので、条件反射ではらはらしてしまう。
あるときはお茶を運ぶ川西くんがひっくり返ったり、ある時は大荷物にふらついた乱太郎くんが薬棚にぶつかってあらゆるものをぶちまけたり。
私が何か憑いてるのでは、と心配すると「いつものことなんです」と全員が困ったように笑うものだから、そういうものなのだと納得した。

「無理な動きとかしませんでしたか?」
「誓ってしてないです」

念を押す善法寺くんの気迫も、尾浜くんの忠告も決して忘れなかった私は、誰の目から見ても安静と言われるような振る舞いを心がけたつもりだ。包帯を解いて診た傷の具合から、言いつけ通り無茶は控えているのが分かったのか、善法寺くんが満足げに頷く。

「うん、特に悪化してないですし、大丈夫そうですね。念のため、もう一週間は様子を見ましょう」
「いっしゅうかん…」
「最後の我慢ですよ」

善法寺くんは足首以外の部分も軽く診ると、ほっと息をつく。

「打ち身の方も跡が残らなさそうでよかったです」
「あ…、そんな心配までしてもらって…」
「そんな心配って…、苗字さん女性なんですから当たり前じゃないですか」

善法寺くんに言われて、ようやくこの前の立花くんの切羽詰まった様子に合点がいく。確かに立花くんなら女性に傷が残ってしまったら、と気にしそうだ。学園に勤めている身でありながら、生徒たちに女として心配をされるのは不思議な心地であり、若干気恥ずかしかった。
しかし、改めて考えてみれば立花くんの「苗字さんは忍者ではありません」という台詞がようやく他の意味でも理解できた気がする。忍者でもない、ただの娘が歩む人生として待ち受けているのは結婚だ。嫁入り前の女性に傷をつけてしまった、なんて気にするなという方が無理だという話である。…いや、そもそも立花くんのせいではないのだが。

「余計な気を使わせちゃって申し訳ない…」
「余計じゃなくて当然のことですから!」

耐えかねたらしい三反田くんにもぴしゃりと反論されてしまい、私は肩身を狭くして口を引き結ぶ。これ以上は藪蛇だと、さすがの私でも分かった。


重ね重ね言うが、忍たまは、忍術学園は本当に良い人が多い。

今になって思うと、私は社会に出て他の人と触れ合う機会が極端に少なかった。私の世界の全ては家だった、家しかなかった。
挨拶等で外を出て他人を話す機会はあっても、当たり障りのないものばかりで。コミュニケーションと言えるほど話す相手と言えば父、母、叔父さん、お手伝いさん、婚約候補の高圧的な態度の男たち、ぐらいだった。
縁談で会う男たちは端から私を見下して、馬鹿にして、私の世界はどんどんと荒んでいった。あの頃は深呼吸ができない日々だった。

だからこそ、こんなにも今が不安なのだろう。自分が望んでいた、いや望んでいた以上の人間関係が、距離感が、こうも容易く築けてしまう忍術学園という空間。一周回って恐縮で、私なんかがという気持ちに必然的になってしまう。
それでも、忍術学園の皆はそんな気持ちすらも解きほぐしてくれるのだ。

「あ、苗字さん」

廊下を歩いていた尾浜くんとばちりと目が合って、人懐こい笑みを浮かべられる。私も笑顔で返すと、尾浜くんは当たり前のように私の傍に歩み寄った。

「大丈夫ですか?」

まだ足をひょこひょこさせていたからか、尾浜くんがいつものように私に問いかけてくる。怪我をしてから尾浜くんは私を見かけるたび、こうして困りごとがないかと声をかけてくれていた。
尾浜くんが人の機微に聡いことはもうあらゆる面で経験済みだ。私が今ここで「うん、大丈夫」と嘘を吐けば、恐らく直ちに見破られるだろう。だが、相変わらず言葉は条件反射のように喉を閊えた。

「えっと、」

そろりと顔をあげると、急かすわけでもなく「うん」と相槌を打ってくれている尾浜くんがいて、僅かに緊張が解ける。
尾浜くんは、うそみたいに話しやすくて、達観した雰囲気も持つ、不思議な男の子だ。もう何度助けてもらったか、数えるのも大変になってきた。だから、分かっていた。私が勇気を出せば、尾浜くんは柔らかく応えてくれることを。

人を頼ることも、人に頼られることも、少ない生き方をしてきた。圧倒的経験不足であることはこの学園に来て、嫌というほども思い知らされた。ゆえに、立ち止まってはいけない、成長しなければ。尾浜くんが以前かけてくれた言葉を、無駄にしたくはなかった。

「あのっ…ちょっと、困ってて…。時間が空いてたら、手伝ってくれませんか…?」
「もちろん!」

笑顔で頷いてくれた尾浜くんに胸の閊えががとれて、すーっと肺に空気が入っていく。やっぱり尾浜くんを頼って、よかったな。

「黒木庄左ヱ門って子、知ってる…?ご両親からの手紙を届けなくちゃいけなくて」
「ああ、庄左ヱ門。うちの委員会の後輩ですよー」

流れるように案内をしはじめる尾浜くんの後をついて、その背中にほっと胸を撫で下ろす。満たされる安堵感と共に、目の前で楽しげに出来の良い後輩について話す尾浜くんに、自然と頬が緩んだ。

忍術学園に来れてよかったと、今の私は心の底からそう思えていた。


モラトリアムと青い春 5話


prev │ main │ next