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TopMainモラトリアムと青い春
外で女性の、…いや、名前の隣を歩くのは正直普段と変わらず冷静に、とはいかなかった。おつかいも終えた帰り道は開放感が心を占めて、余計にだったのかもしれない。ふわふわと舞い上がってしまいそうな心を押さえつけて、勘右衛門は平常心に努めた。

「尾浜くんのおかげですぐ終わっちゃった」
「これくらいいつでも付き合いますよ」
「でも、さすがに今度は道を覚えないと」

相変わらず真面目だなと心の中で呟いたのは呆れではなく、納得の意。確かに学園長先生が名前におつかいを頼んだのは、このあたりの地理を覚えるためもあっただろう。しかし、同時に息抜きができるようにとの計らいもあったはずだ。

たまたま名前がおつかいを依頼されている所に通りかかり、学園長先生の突然の思いつきで名前の付き添いに抜擢されたのが今朝のこと。
名前一人でも行くことは可能だったおつかいに、付き添いとして抜擢されたからには、やはり学園長先生の意図を汲む義務がある。でなければわざわざ一緒に来た意味がない。

勘右衛門は真っすぐに帰路を歩もうとしている名前を引き留めると、近くの甘味処を指さした。

「ちょっと休憩してから帰りません?」
「え、でも」
「おれもう疲れちゃって。そんな急がないといけない理由もないですし、ね?」
「…じゃあ、そうしよっか」

勘右衛門の提案を無碍にするのも気が引けたのか、名前はあまり食い下がらずに首を縦に振った。
名前を連れて近くの甘味処に入ると、気のよさそうな店主が出迎えてくれた。お団子を二人分頼んで、勘右衛門が学園長先生から預かったお金で払うと、名前が目を白黒させる。

「だ、大丈夫?」
「うん。学園長先生もそのために多く渡してるし」
「そうなの…?」
「おつかいの報酬ってことで」

上級生になるにつれて下級生には任せられないような面倒な用事を申し付けられることが多く、その信頼と共にこういう心づけは必ずあった。今回は普段の名前の働きっぷりを見た結果だろう。名前一人ではきっとこのお金はそのまま学園長先生に返していただろうから、誰か付き添いがいること前提だったようだ。

そうなんだ、と納得してそれ以上名前が突っ込むことはしなかったが、お金を払っていない状態がむず痒いのか挙動が落ち着かない。その心中は理解に及ぶところではあるが、そわそわした様子が少し面白かった。

お団子とお茶が運ばれてくると、香り立つ緑茶の匂いに体の力がふっと緩む。ゆっくりお茶に口を付けると、喉を滑り落ちる熱に自然と息が漏れた。一息ついた名前と共にお団子へと手を伸ばして食べると、僅かに疲れが滲んでいた名前の表情がぱぁっと明るくなる。

「おいしい〜…」

にこにこと頬張るその姿はいつもより少し幼く見えて、年上だと一瞬忘れそうになる雰囲気が新鮮だった。学園内で比較的仕事モードの名前しか見てないからだろうか。やけに、かわいらしく勘右衛門の目に映った。

「甘いものってしみますよねえ」
「そうだねー…」

元々張り詰めた空気だったというわけではないが、お茶とお団子で一服するとことさら脱力した空気が流れる。穏やかな心地を満喫しつつ、勘右衛門は自然と笑顔が浮かんでいる名前の横顔を見つめた。

「もう足は大丈夫ですか?」
「うん、おかげさまですっかり。本当に色々とご迷惑おかけしました」
「いやいや」

落とし穴の中でうずくまる名前を見たときは肝が冷えたが、大きな怪我に繋がらなくて何よりだ。捻挫も、伊作に言いつけ通り安静にしていたのが効いたのか、無事完治したらしい。
こう言うと聞こえが悪いが、名前が足を怪我していた間、勘右衛門は喜んでいた。普段から人を頼ることに関して不器用な名前が、あの期間で随分と素直に頼ってくれることが多くなったのだ。

「今度、何かお礼させてね」
「ええ…そんな大層なことは何もしてないけど…」
「私の気が済まないもの」

お礼かあ、と考えを巡らせながら勘右衛門は呟く。名前からであればきっと嬉しくないお礼をされることはないだろうが、過度なお礼は勘右衛門も遠慮願いたい。何か折衷案はないものかと考えると、一つ、勘右衛門の欲望にも正直で名前にもそこまで負荷がかからないお礼が思い当たる。

「じゃあまた一緒にお昼食べましょうよ」
「もちろん構わないけど…それってお礼になる…?」
「なるなる!名前さんと一緒にお昼食べれるってだけでおれ楽しみにしちゃうもん」

何一つ偽ることなく、勘右衛門の気持ちを素直に述べると、名前の頬にうっすらと赤みがさす。はにかんだ名前に、勘右衛門はお団子を食べるのも忘れて瞠目した。

「お、尾浜くんがそう言うなら……」

どこか、自分は生徒で、年下だから、と距離感を見誤っていた気がする。勘右衛門の言葉に、名前が多少でも照れるとはあまり思っていなかったのだ。
勘右衛門が山本シナ先生に「先生と一緒にご飯食べられるの嬉しいです!」と言ったとして、シナ先生は「あら、ありがとう」と返してくれるだろう。生徒からの好意を邪険にする先生はそういない。だが、名前は違う。先生ではないのだ。
勘右衛門の本音自体は、確かに先生に向ける敬意、好意のそれではない。その自覚はできていた。ただ、生徒の戯言だと捉えられるであろうと気を抜いていたのだ。ある意味、勘右衛門の言葉が正しく届いてしまったことを勘右衛門は反省した。

「(……反省、しなきゃいけないのか?)」

じわじわと確実に侵食しはじめているこの気持ちを抑える必要はあるのだろうか。頭の隅の八左ヱ門が「三禁!」と騒いだ気がしたが、放っておいた。

「あっ、じゃあその時に尾浜くんの好きなおかずあげるね」
「あはははっ、別にそこまでしなくて大丈夫ですよ」
「だって…、自己満足かもしれないけれど、尾浜くんにはちゃんとお礼したくて」

そこまで思われていたとは初耳だ。恩を売ったつもりはなかったが、何事も気に留める名前には大きかったらしい。名前は湯呑を置いて、改めて勘右衛門の方に体を向ける。

「いつもね、助けてくれたのが尾浜くんでよかったって思ってるの。だから、本当にありがとう」

また、だ。ゆるりと空気が解けて、柔らかな女性特有の雰囲気が名前を包む。もう誤魔化せないくらい甘く捉えられてしまった感覚に、勘右衛門は白旗を振った。観念して認めてしまうと、一周回って諦めの色を纏うため息がこぼれる。

「おれ、何かと巻き込まれ型なんだけどさ。名前さんには巻き込まれてよかったと、いつも思ってるよ」

純粋に本心を伝えただけのつもりだったのだが、名前に「巻き込まれ型なの…?」と物凄く心配した表情を返される。よく話を聞くと、保健委員会のような目に合ってるのではないかと心配していたため、断じてあそこまでではない、と強く否定しておいた。

***

甘味処を出てゆったりと帰路を辿っている間、勘右衛門はずっと考えていた。この想いをどう処理するべきかと。
勘右衛門は忍たまだ。忍たまの本分は、学業に努め一流忍者を目指すこと。恋愛にかまけるのは勘右衛門としても望むところではない。が、禁じる必要はないと感じていた。
三禁、と口を酸っぱくして教えられるが、あくまで溺れることを禁じているのであり、それ自体を禁じられているわけではない。現に、忍たまはくのたまを始め、異性を好きになった経験が在学中誰しもあるはずで、今も密やかに恋仲を築き上げている者もいる。教師陣は勿論気づいているだろうに、止められないということはそういうことだ。

勘右衛門はこの気持ちを捨てたいとはどうにも思えなかった。いらないものであると、余計なものであると決めつけたくなかった。隣を歩く名前を見ていると、伝えたい欲すら湧いてくる。

……伝えて、しまおうか。それが、一番この気持ちを大切にする方法な気がした。

結ばれたいわけではない。きっと、名前は勘右衛門が告白したとしても断るだろう。それは目に見えていた。しかし、好きであることは許してくれるはずだ。

勘右衛門は、忍たまだ。いずれ忍者になる。忍者になった自分の横に、名前がいる光景はどうにも想像できなかった。多分、卒業と共に置いていく定めなのだろう。そう思えば、多少気が楽だった。学園にいる間くらいは、好きでいてもいいじゃないか。

学園が近くなってきたところで、勘右衛門は目の前の名前の手を取った。振り返った名前が不思議そうに目を瞬かせている。声を発しようとした途端口が重くなったが、その重みも振り切って勘右衛門は紡いだ。

「おれ、苗字さんのこと好き」

名前のことを全て知ったわけじゃない。きっとまだ勘右衛門が見たことのない一面がたくさんあるのだろう。それでも、勘右衛門には自身が名前に落胆する未来が見えなかった。これは期待ではなく、根拠のない確信だ。

勘右衛門は目の前の女性が好きであるし、多分もっともっと好きになる。そこに意外性はなく、勘右衛門の胸中にはただ納得感だけが残った。

愕然とした表情を浮かべ固まっている名前に、勘右衛門は笑ってみせようとしたが、緊張で引きつって上手く笑顔が浮かべられなかった。


モラトリアムと青い春 6話


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