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TopMainそれって愛でしょ
クザンが海軍という仕事をしている以上、初めての経験ではない。付き合う前にも、付き合った後でも何度かあった。
しかし、今回は本人の口から「結構長いかも」と付け足され、言葉通り私が本当に長いなと感じるほど、マリンフォードを空けているのは初めてのことだった。

店の定休日。本来は休日として悠々自適に満喫するのだが、どうもそんな気分にはなれなかった。家から少し歩いたところにあるお気に入りの定食屋でオムライスを食べても、いつものような満足感が得られない。
食後に出してもらった紅茶に口をつけながら、まだ一度も使っていない合鍵を取り出して手のひらで転がす。

「(気晴らしに…行ってみようかな…)」

別に何をしに行こうというわけではなかったが、もしかしたら気分が晴れるかもしれないという一縷の望みにかけて、私はのろのろと定食屋を出た。

爽やかな海風を感じていると、思いだすことは色々ある。生まれてからずっとこの街で(要塞で?)育っているのだ。お使いの途中転んで泣いた日も、友達と喧嘩してむしゃくしゃした帰り道も、クザンと並んで歩いた日も、潮の香りに吹かれていた。

付き合う前、クザンがしばらくマリンフォードを空けたときは、焦がれるような想いだった。はやく会いたくて、声が聞きたくて。じれったくてしょうがなかったのを覚えている。
けれど、今胸に渦巻くのは、ほのかな喪失感。クザンが傍にいるのが当たり前になりかけていた、ということだろうか。気分を変えたくて深く息を吸い込めば、逆に空虚な気持ちを抱えた感触が浮き彫りになるようで不快だった。

悶々としながら惰性で歩いていると、あっという間にクザンの家に辿り着いていた。ドアの前に立つと、改めて家に入って何をするんだろうという疑問が湧いてくる。空き巣をするにしても金目のものは置いてなさそうだ。
それでも家を潜れば何か気分が変わる気がして、合鍵を貰ってから初めて私はその鍵穴に差し込んだ。


この前来た時も思ったが、クザンの家はかなり殺風景だ。本人があまり使っていないと言っていた通り、生活感があまりない。そもそも家に対して「使う」という表現はどうなのだろうか。恐らく、無意識にそんな言い方をするほど、本人はこの家に馴染みがないのだろう。

本当に何も目的がなかった私は、適当に日当たりの良いソファーに寝っ転がる。合鍵の使いどころがいまいち分からずに、今まで全く使うことがなかったが、お昼寝場所としてクザンの家を使うのはいいかもしれない。
心地よいうららかな日差しに、そのまま本格的に眠りに落ちようとした時、不意に無骨なノックが響き渡った。
半分眠りに落ちていた体は、大きな音に派手にびくついて反射的に飛び起きる。

「(な、なに。だれ?)」

許可を得ていることではあるが、他人の家にいるときに誰かが訪ねてくると変な罪悪感が湧いてくる。別にコソ泥をしているわけではないのに。
恐る恐る玄関まで赴き、覗き穴からノックの主を確認すると、かなりの強面が視界に飛び込んできて思わずドアから距離をとる。ただの郵便物なら受け取ろうと思ったが、絶対にそうではないことは分かる。
クザンの家に誰か押しかけてくることって他にあるのだろうか。海軍の誰からならありそうな気もするが、海軍の制服を着ているようには見えなかった。

出ようか出まいかおろおろとしていると、ぴたりとノック音が止む。ややあってから大きな舌打ちと「ここにもいねェか…」と呆れたような声が聞こえて、私は思わず扉に手を伸ばしていた。

ぱっと勢いで扉を開けると、私を見下ろす驚いた様子の強面男。必然的に、ふかしている葉巻の煙がむわっと顔にかかってむせこんだ。二本同時にふかすなんてバカなのだろうか。
本当に勢いだけで飛び出たものだから、名乗り文句も用意しておらず、強面加減と煙たさに若干パニックになる。恋人、と名乗るのは気恥ずかしいし、初対面の人にしたいものではない。ぐるぐると考え込んだ末、怪しまれない程度の単語を必死に選ぶ。

「え、えーっと、あの、る、留守を預かっている者、なんですけど……」
「……あァ?」

ガラの悪い反応に反射的に硬直してしまったが、用を訊くのが最優先事項だ。さっさとこの地獄イベントを終わらせようと勇気を出して、強面男を見上げる。

「く…クザンに用があるんですか?」
「そうだが…」
「もうマリンフォードにはしばらく帰ってきてないですよ」

そう聞くなり大きな舌打ちをした強面男。頭を乱雑に掻きながら「タイミングが悪ィな…」と腹立たしげに呟くその様子は、本当にクザンに所用があった人に見えた。悪い人、ではないのかもしれない。

「あの〜…伝言とかなら承りますけど…」

おずおずと申し出ると、強面男が改めて私の顔を訝し気に見つめる。お前は誰なんだと言わんばかりに。いや、それを言ったらあなたも誰なんですか。とは思ったが、やはりここは私も名乗らないと不自然だ。
どう名乗ろうか迷っていると、強面男の方が先に歯切れ悪く口を開いた。

「あー…お前は、あいつの親戚か何かか…?」
「なっ…、失礼な!似てないでしょうが!こ、恋人ですよ!」
「あァ!?」

色々な意味で屈辱的な間違いに遠慮も忘れて怒ると、強面男が信じられないとばかりに声を上げる。

「あなたこそ誰なんですか!」
「…海軍本部大佐のスモーカーだ」
「海軍の人なんですか!?」

こんなガラの悪い人が海軍なのか、と一瞬思ったが、よく考えてみれば海軍にはそういう人の方が多いような。となると、やはり服の印象は大きいと思うのだ。制服もスーツもコートも身に着けていない状態で何も言われなければ、海軍だなんて分かるはずもない。

「じゃあクザンの部下…、とか?」
「まあ…そんなとこだ」
「なあんだ…そうなのか…」

誰かも分からず緊張で強張っていた肩から力が抜けていく。そこで改めて名乗っていないことに気が付き、慌てて姿勢を正す。

「あ、名前って言います。ちょっと歩いたところにあるカフェで働いてる者です」

軽くお辞儀をすると、スモーカーさんから不躾な視線を飛ばされる。値踏みするような…、いや、どこか呆れているような。どちらにしろいい心地はしないもので、むっと口を引き結ぶと、スモーカーさんが大きく葉巻をふかした。

「……他人の女の趣味に口出すつもりなんざねェが…」
「めっちゃ口出したそうな顔してますけど」
「…おれにも人並みの良心はあるんでな」
「あんな男に捕まってかわいそうってことですか?」

私のはっきりとした物言いに、スモーカーさんは物珍しいものを見たかのように目を瞬かせる。

「正直、心配はごもっともだと思いますけど…まあ、平気です。今のところは」
「……ほォ」

スモーカーさんは納得したのか何なのか知らないが、それ以上は追及してこなかった。興味がもう失せたのかもしれない。

「あいつはマリンフォードを出てどれくらいになる」
「え?三か月、ぐらい?ですかね、たぶん」

突然の質問に、クザンに会わなくなってからの期間を指折り数える。口にしたところでもうそんなに経つのか、と不意にまた喪失感が襲う。スモーカーさんはと言えば、私の返答に「三か月か…」と眉間に皺寄せて考え込んでいた。

「海軍の人の方が分かるんじゃないんですか?クザンの予定」
「あいつがふらついてんのは海軍の仕事じゃねェ」
「え、そうなの」

素で驚いてしまった私の反応に、スモーカーさんの視線が凄い勢いで斜め上に逃げる。目は口ほどになんとやら、とはよく言ったものだ。

「あー…いや、恐らくやってることはそう変わらねェとは思うが……」
「ええと、大丈夫ですよ。知りたいわけでもないので」

バツが悪そうにフォローするスモーカーさんに申し訳なくなって慌てて止めると、スモーカーさんがまた微妙な表情を浮かべる。そんな変な顔しなくても。
確かに私は全く知らない事実ではあったが、今までだってクザンの仕事なんてほとんど把握していないに等しかったのだ。私が知る必要も、ないと思っている。スモーカーさんの口から新事実を聞いたところで、そこにショックや疑念みたいなものは一切生まれていなかった。

「知ったところでどうにもならないし」
「……そうか」

きっぱりと私が言いきると、スモーカーさんは素直にそれを飲み込んだ。嘘偽りのない本音であることは、多分伝わっていると思う。
ふと時計を確認すると、スモーカーさんと立ち話を始めてからそれなりに時間が経っていることに気が付く。クザンがタイミングよく帰ってくる気配も当然ながらない。

「結局クザンがいつ帰ってくるかも分からないですけど…、私で良ければお力になれることありますか?」

改めて訊くと、タイミングが悪いクザンに苛立ちが募ったのか、スモーカーさんが鬱憤が溜まったような深いため息をつく。

「伝言を頼む。電伝虫を持ち歩けって言っとけ」
「持ち歩いてないんだ…。分かりました、言っときます」

任せてください、と拳を握ってみせると、スモーカーさんが小さくふっと笑う。あ、笑った、と思った時には「頼んだ」と踵を返して、スモーカーさんは大量の煙をくゆらせながら去っていった。
この短時間で、服に葉巻の匂いが付いた気がするので、今度会う機会があったときはもう少し控えていただきたいものだ。会うことあるのかどうか知らないけれど。

***

かたん、と何かの物音で僅かに意識が浮上する。気が付くと、日当たりのよかったソファーは少し寒いくらいに気温が落ちていて、もうすっかり夜なことが分かる。
それにしても、先ほどの物音は何だろうか。すべての窓は締め切っているはずだから風が吹き込むこともないはずで。そもそも、先ほどの音はあからさまに人の気配があった。

「(…人の気配?)」

もしかして、と思ったが、中々起床するまでの気力が湧かない。私は睡眠にはみっともなくすがりつきたいタイプなのだ。やっぱり起きたくないし、そもそも私が想像している人物ならばこちらに来るだろうし。
若干の肌寒さに身を縮こまらせて、また眠りに落ちようとすると、リビングに低い声が響いた。

「あらら…」

ざわり、と産毛が立って、ぎゅっと胸が締め付けられる。久しぶりに、声を聞いたからだろうか。分かっているのに、バカみたいにざわつく胸中に目が開けられないでいた。
気配が、近づく。ああもう、このまま寝てしまいたいのに。目の前の胸に飛び込みたいと疼く欲が抑えきれそうになかった。指先が、私の頬を撫でる。

「名前ちゃん」

我慢できなくてうっすらと瞳を開ければ、暗闇の中、クザンと目が合った。ふっと微笑む音が聞こえて、クザンの手のひらが私の首筋を包むと同時に、唇が重ねられる。久しぶりのクザンの匂いに緩んだ涙腺を隠すように、目の前の首にしがみつくと耳元で笑われる。

「待っててくれたの?」
「…ひるねしてただけ」
「もう夜だけど」
「ひあたり、いいから…」

寝起きのかすれた声でもごもごと会話してると、不意にクザンにぎゅうと力強く抱きしめられる。包まれる熱に、ゆらゆらと眠気が舞い戻ってくる。このまま二度寝も、大いにありだ。

「…やっぱ、家に名前ちゃんがいてくれるのいいわー…」

瞼を下ろして二度寝を試みていると、耳元でクザンがしみじみと呟く。答えるよりも眠気が勝って、適当な唸り声を返していると、肩口に顔を埋めていたクザンが「ん?」と声を上げる。

「……名前ちゃん今日誰かと会った?」

クザンの問いに、寝ぼけた頭でスモーカーさんのことを思いだす。そうだ、伝言。ほぼ寝ている状態ではあったが、僅かな使命感でむにゃむにゃと口を動かす。

「すもー…か、さん…」
「…えっ、今スモーカーって言った?ちょ、ちょっと名前ちゃん!?」

手のひらを返すようで悪いが、混乱しているクザンの声は眠りに落ちかけた私には不快でしかなかった。


それって愛でしょ 16話


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