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TopMainそれって愛でしょ
ちらと時計を一瞥してから、改めて手元の仕事の量を計る。あと一つくらいは消化できるだろうか。非常に面倒くさいことこの上ないが、この後の時間を確保するためだ。致し方ない。クザンはため息ひとつ吐いて、机上の書類を引っ掴んで立ち上がった。

普段ならノックもおざなりに突入するところだが、この人の部屋となると話は別だ。それはもうクザンが新人時代の頃から変わらぬ理である。ノック後、「お入り」という声がかかるまで礼儀正しく待ってから、クザンは扉を開けた。

「げえっ」
「お〜、偶然だねェ〜」

扉を開けてまず目に入ったのは、いるはずのないデカブツで。思わず口からまろびでた不躾な反応に、ボルサリーノは大して気にしてもいないくせに肩を竦めた。そのわざとらしさに反射的に顔を顰めると、一連の流れを見ていた部屋の主、つるが静かに口を開く。

「ここで喧嘩するんじゃないよ」
「喧嘩してな…あ〜もういいや。え〜っと、割り込んでもいい?」
「急ぎかい」
「んー、まあ」

曖昧に頷いてからボルサリーノの反応を促す。別にボルサリーノも緊急性が高かったわけではなかったようで、あっさりとつるの前を譲った。んじゃ、と今日提出期限だった書類を差し出すと、つるが僅かに目を丸くさせる。

「おや、アンタにしちゃ珍しいじゃないかい」
「おれだってたまには頑張りますから」
「このあと名前ちゃんがくるからだろォ〜」
「名前?」

どう考えても余計なことを口走ったボルサリーノを睨めつけるが、どこ吹く風で反省の色は全く見えない。反省なんてするような男じゃないと、知ってはいたが。つるは「名前…」と名前を復唱すると、思い当たったように頷いた。

「ああ…例の子かい」
「待っておつるさん何で知ってんの。例の子ってなに」
「いやでも耳に入ってくるのさ。うちの部下は常連が多いからね」

そう言われれば納得せざるを得ない。確かにあそこは名前が言っていた通り、女海兵がよく利用しているのを見かける。そうなると、必然的におつるの部下である確率は非常に高くなる。それに、女は噂好きだ。クザンが利用していて、あまつさえ店員の女の子にちょっかいを出してるとなれば、いい話題の種になるのは目に見えていた。
どんな噂が流れてるのか想像してみたが、クザンの肩実が狭くなりそうなだけだったので思考を破棄する。別につるに知られていたところで何か不都合があるわけでもないが、居心地が悪いのは確かだった。

「この前のドーナツもそうじゃないのかい」
「え?ああ…そう。よく分かったね」
「いい茶菓子になったよ。礼を伝えておいておくれ」

そういえばこの前大量に余ったドーナツはつるに押し付けたのだった、と頭を掻く。出処を伝えた覚えはなかったが、バレているあたりさすがつるというか、女性というか。

「別にアンタの惚れた腫れたなんてあたしだって聞きたかないよ」
「ぐっ…」
「あと最近その名前って子、よく本部に出入りしてるんだろう。アンタを抜きにしても名前ぐらいは知ってるさ」
「あー、好評らしいねェ〜。海軍へのデリバリー」
「……へっ?」

ずず、とお茶をすすったボルサリーノの台詞に素っ頓狂な声が出る。好評、という言葉は普通に受け取るのであれば多数の評価が良いことを指すはずだ。それはつまり、クザン以外へのデリバリーもしているということで。

「えっ、他にも利用してる奴いるの!?」
「…知らなかったのかい?」
「知らないけど!」

非難じみた叫び声をあげると、つるに「うるさいよ」と一喝される。ぴしゃりとした声に反射的に口を噤んだが、腹落ちは全くできていなかった。しかしここでボルサリーノに詰め寄っても時間の無駄な気がして、強張っていた肩を下ろす。どうせ後で名前には会うのだ。本人に事情を訊けばいい。

「で、時間は平気なのかい」
「あっやべ」

気づけば想定より長居しており、慌てて踵を返す。ドタバタと部屋を退室すると、つるの呆れ交じりのため息が聞こえた気がしたが、機嫌をとる余裕は今のクザンにはなかった。

「…おや、珍しく訂正箇所がないね」
「明日は雪だねェ〜〜」

***

「聞いてない」
「言ってないもん」

けろりと言い放つ名前は全く悪びれない様子で、だから何とでも言いたげだ。名前が持ってきてくれたコーヒーに口をつけながら、不満を込めた視線を送ると逆に睨まれる。

「だってクザンはよくて他の人はダメなんてできないもん」
「ん〜〜…、まあ」
「うちのママが海軍へのデリバリーなんて商業チャンス逃すわけないの、分かるでしょ」

そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。こっちも商売なんだから、とぷりぷり怒りながら菓子を広げる名前を見つめる。別に商魂たくましくやっていることにクザンは何の反論もないのだが、クザンに会う以外で海軍に出入りしているなら一言くれたっていいのでは、とまだ拗ねている心がぼやく。
だがまあ、マリンフォードを長く空けていることもあるクザンに、教えて欲しかったなんて強く言える権利がないのも分かっていた。そんなことを言ったら、平手打ち、いや拳が飛んでくるかもしれない。黙ってコーヒーをすすると、クザンが静かになったことに機嫌を直した名前がクザンの目の前にレモンマカロンを置く。

「甘党の将校さんたちとかお得意様だよ」
「聞いてない!」
「だから言ってないもん。というか、今言ってるでしょ!」

思ったより海軍での友好の輪を広げているらしい名前にまた胸を衝かれる。店に海兵が来るとは言え、もともと海軍との交流はそこまで深くなかった名前だ。それがクザンをきっかけにどんどん輪を広げている様子を目の当たりにすると、動揺、というのだろうか。得も言われぬ焦りを感じる。この間のスモーカーの件もそうだ。あれもまた、自分が留守にしていたのが悪いのだが。
クザンには顔見知り、では済ませられないような連中が海軍にはごまんといる。そこでクザンの恋人である名前の顔が知れると、クザンにとって色々不利なことが起こる予感がしてならないのだ。既に、ボルサリーノですら面倒なのだから。…それもこれも、自分の行いがあまりよろしくないせいだろうか。

勝手に色々考えて鬱々とし始めたが、当の名前はどうやら楽しく仕事をしているらしい。海軍には取っつきにくそうな男が山ほどいるが、大丈夫なのだろうか。探り半分、心配半分でデスクに少し身を乗り出す。

「怖いおじさん苦手って言ってなかった?」
「苦手だけど、まあ接客だと思えば。顔ほど怖くないことも分かったし」

顔ほど怖くないねェ、とぼやいて、先ほど言っていた甘党の将校さんとやらの目星を脳内でつける。名前が海軍で知り合いを増やすのをあまりよく思わないのは、自分の肩身が狭くなりそうだから。それ自体に偽りはなく、むしろそれが九割を占めているのだが、単純に名前を独り占めしたかったという思いも一割くらいはあった。

「…おれよりかっこいい人、いた?」

コーヒーのお代わりを注いでいた名前がぱちん、と目を瞬かせる。数秒静止したと思うと、真剣な顔で首を捻りだすので、ええ…と声がもれそうになる。なにこれ、本気で考えてる?

「……モモンガ中将?」
「いたの!?つか、モモンガ!?」
「あ、ステンレス中将もかっこいい!」
「ス……はあ、もういいわ…。そうよね、名前ちゃんってそういう子だった」

にこにこと他の男の名前を挙げる名前に脱力する。しかもこれは嘘でもなんでもなく、多分普通にタイプだったのだ。

「この前、本部でまた迷子になったんだけど、その時お二人に道案内してもらって、かっこいいな〜って」
「未だに名前ちゃんのタイプ把握しきれないんだけど…」
「かっこいいおじさま」
「おれは〜…?」
「クザンはだらけたおじさんでしょ」

反論することもできずにデスクの上に突っ伏す。仕事をしてる時は、きっともうちょっと、だめだいつでも自分はだらけている。大げさに落ち込んでみせてみるが、名前は一切構わずるんるんと楽し気で。

「クザンの留守中に新たな恋の花が咲くことも無きにしも…」
「わーー!!」

聞き捨てならない台詞に大声で遮ると、名前がけらけらと笑う。本当にあり得そうだから怖い。じとり、と情けなく名前のことを湿っぽい顔で見つめると、名前は心底愉しそうに目を細めた。

「しかえし」

にっ、と三日月を模った口に、呆気にとられる。しかえし、仕返し、ってなんの。また何か怒らせたことがあっただろうか、いやそれならば名前は全身に怒りのオーラを纏うはずだからない。仕返しされるような事象を時系列順に辿っていくと、ひとつ思い当たることがあった。数か月、名前をほったらかしにしたことだ。
別に帰ってきたとき文句の一つも言われなかったが、こんな風に意趣返しされることといえば、それぐらいしか心当たりがない。それはまあなんとも、かわいらしい仕返しだ。

先ほどまでモモンガやらステンレスやらに顔を青くしていたのが馬鹿らしくなって、静かに立ち上がる。急に立ち上がったクザンに笑うのをぴたりとやめた名前は、本能的に嫌な予感がしているのかさっと顔色を変えた。
若干後ずさった名前を容赦なく壁に追い詰めて、身をかがめる。石みたいに固まってしまっている名前に口づけようとすると、寸前で名前の手がクザンの口元を覆った。

「や、やだ」
「え、」
「ここじゃやだ。仕事中でしょ」

必死に目線を背けている名前だが、拒否は頑なだ。これは折れてくれないやつだと早々に察知し、クザンは肩を落とした。

「お堅いのね…」
「当たり前!」

顔を赤くして怒る名前からぱっと離れる。しかし、このまま引き下がるのは正直惜しい。もう、一度触れてしまったのだから、その先を望んでしまうのはしょうがないことだ。妥協案を飲んでもらうべく、クザンは名前と視線を合わせる。

「じゃあ、家で待っててくれない?」
「えっ」
「そしたらおれ残りの仕事も頑張って終わらせられそう」

一度拒否した罪悪感があるのか、まんざらでもないのか。恐らく両者だろうけれど。言葉に詰まった名前は、羞恥との格闘の末、こくりと小さく頷いた。その反応につい嬉しくなって、名前の手を取り指先に口づける。だが、それがよくなかった。
勢いよく手を振り払った名前に「やめろばか!」と拳を振り上げられ、クザンの頭からごちんと鈍い音が響いたのだった。


それって愛でしょ 17話


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