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タイミングが良いのか悪いのか。勘右衛門は名前を数日間見かけていなかった。
最初のうちは名前も心の整理があるだろう、なんて思っていたが、長い間をあけていると段々と不安になってくるものがある。もし次顔を合わせたときに無視でもされたらどうしよう、という不安すら湧いてきた。どれもこれも思い浮かぶ名前のリアクションは、あくまで勘右衛門が勝手に作り出したにすぎず、余計に会いたい気持ちが募っていく。答え合わせを、早くしてしまいたかった。

しかしここまで会わないとなると、避けられている可能性すら出てくる。この前までの、運命的な遭遇率が嘘のように思えた。神様の采配はこうも悪戯なものか。
一度自分から会いにいったほうがよいのだろうか。悶々と考えながら廊下を歩いていると、気まぐれに神様が応えてくれたのか、ずっと考えていた人物がそこにいた。

「あっ」
「…ん?」

思わず勘右衛門の口から転がり出た驚きの声に、名前が顔を上げる。目が合った瞬間、名前の瞳が大きく揺れたのが分かった。
ここは、努めていつも通りに。忍者として培った経験が、何とか勘右衛門に笑顔を作らせる。

「こんにちは」
「こ、んにちは!」

名前の声があからさまに裏返り、反射的に吹き出しそうになったが何とか堪えた。それよりも、無視をされなかったという安堵の気持ちが強かった。
どもってはいるものの、名前から負の空気は感じない。その事実が、思ったよりも勘右衛門に安心感を与える。

「これからお昼ですか?」
「あ、いやっ…それがちょっと、まだとれそうになくて……」
「なんか…バタバタしてる感じ?」
「うん…少しね」

苦笑いを浮かべた様子に、小松田さんの影を感じて同情が湧き上がる。これはまた何かしら尻拭いに奔走しているのではないだろうか。本当ならば手伝いたいところだが、今手伝っても余計にドギマギさせてしまいそうだ。勘右衛門も、昼餉の後にはまだ授業がある。

「時間なかったら、食堂のおばちゃんおにぎりとかも作ってくれますよ」
「そうなんだ…!ありがとう。お昼とれそうになかったら頼もうかな」
「……」
「……」

少しいつもの調子に戻ってきたと思ったが、僅かな沈黙が落ちるだけで場の重みが増す。ここはさっさと挨拶をして立ち去るべきだっただろうか、と切り口を探していると、「あの!」という意志のこもった名前の声が勘右衛門の意識を引き戻す。

「尾浜、くん、その…」

懸命に張っている声は、微かに震えている。紡ぐ言葉の先に緊張をしていたのは勘右衛門も一緒だった。

「…わ、私!尾浜くんとこれまで通り、お話ししていきたい、んだけど……いいかな…?」

ぎゅっと拳に力を入れて、勇気を振り絞っているであろう名前の姿を見ていると、告白でもされたかのような錯覚に陥る。喜びが、じわりと胸の内から滲んだ。
たくさんの時間、考えてくれたのだろう。色々なことを考えて、悩んで、その結果勘右衛門の気持ちを大事にする選択をしてくれたことは、これ以上にないほど嬉しかった。

「もちろん!…おれも、これからもいっぱい名前さんとお話ししたい」
「えっ、あ…名前…」
「……だめ?」

我ながらずるい訊き方をしたと思っている。名前はだめと言えない人間であることを、これでもかというほど知っているというのに。

「だ、めじゃないです…はい……」
「やった。嬉しい」

半ば強引感が否めなかったが、猛烈な照れと戦っているだけのように見えたので、反省はしない。嫌がっているのであればやめるつもりだった、と悪びれない言い訳を自身に言い聞かせる。

「…大丈夫です?名前さん」
「か、勘弁して……」
「あはは」

普段は名前に対してそこまで働かない悪戯心が、珍しく増長したのはきっと勘右衛門も浮かれていたからだろう。


食堂の手前で名前と別れて、勘右衛門はご機嫌に食堂へと入っていく。頼んだBランチを受け取り、五年生の輪が作られているテーブルへと赴けば、「随分と遅かったな」と探るような三郎の台詞で迎えられた。

「ちょっと立ち話してて」
「また例の事務員か」
「あたり〜」

特段隠す理由もないので軽く肯定しながら席へと着く。勘右衛門と三郎の会話に、箸を進めていた八左ヱ門が顔を上げた。

「例の事務員って…苗字さんのことか?」
「勘右衛門が最近ご執心でな」
「へ、え〜…」

どこかぎこちない相槌を打つ八左ヱ門。面倒なのでわざわざこちらから突っ込むことはしない。素知らぬふりで「いただきまあす」と手を合わせたが、八左ヱ門から飛んでくる好奇心の視線は圧を増すばかりで、おちおち食べ進められそうもなかった。

「それって、勘右衛門は…そのー……」
「好きだよ」

はぐらかすのも面倒だった勘右衛門は八左ヱ門の声を遮って言い切った。さすがにこの事実を口にしたのは初めてのことだったため、「マジか!?」と大袈裟に驚いた八左ヱ門以外の他の皆も、目を丸くしている。

「告白もしたし」

面倒な会話が広がる前に続けてカミングアウトをすれば、八左ヱ門と雷蔵が思い切りむせた。八左ヱ門に至っては若干散布させたので、思わず「きたない」と眉をひそめる。涙目で苦しむ雷蔵は三郎の手厚い介護を受けていた。

「早すぎねえか!?」
「そう?」
「で、返事は?」

畳みかけるように三郎の追及が飛んでくるが、勘右衛門はお味噌汁に入っていたさつまいもに喜びを感じていた。さつまいもの甘みと味噌が合うんだよなあ、と頬張りながら幸せに浸る。

「もらってない。というか、おれがいらないって言ったの」

片手間に返事をすると、皆の間に微妙な沈黙が落ちる。そんなに理解ができないものだろうか、と不思議に思いながら鮭をつついていると、ようやく呼吸が整った雷蔵が控えめに問うてくる。

「えっと、それはどうして?」
「おれが名前さんのこと好きでいたかっただけだから。あとは…まあ、普通に振られたら落ち込むし」
「…なるほどね」

雷蔵は納得したように頷いたが、横の三郎は相変わらず訝しげな顔で「理解できんな」とむっつり吐き捨てる。

「見返りを求めない気持ちなんて…正気か?」
「誰かを好きでいるっていうのがいいじゃん。毎日ちょっとうきうきするし、心が豊かになる」
「同意を求めるならくのいち教室へ行け」
「乾いた感性だなー」
「あいにく、不便だったことはない」

勘右衛門らの応酬に、見かねた兵助がまあまあと割って入ってくる。

「いいんじゃないか。勘右衛門がそれでいいなら」
「忍者の三禁って知ってるか」
「別にそこら辺の心のバランスは勘右衛門が勝手にとるだろ」

どこか恨みがましそうに呟いた八左ヱ門に、間髪入れずに兵助のフォロー返しが決まる。同室ながら、ここまで信頼を置かれているのが気恥ずかしいような、嬉しいような。言い返せずにはくはくと空気を紡いでいる八左ヱ門の背を、雷蔵が宥めるように撫でる。

「八左ヱ門は自分だったらできないから勘右衛門のことが心配なんだよね」
「おれはそもそも三禁を守る!」
「四年生の時、くのたまの子好きだったじゃん」
「うるせーー!!」

勘右衛門に図星を突かれた八左ヱ門が顔を真っ赤にして騒ぎ始める。結局、勘右衛門ではなく全体的に八左ヱ門を弄る流れとなってしまったその場は、そういえばあの時は〜なんて追撃に、八左ヱ門が撃沈するまで場が盛り上がったのだった。


モラトリアムと青い春 8話


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