a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMainそれって愛でしょ
隣を歩いているクザンの体が揺れたので、誰かにぶつかったのだと私もすぐに分かった。

「っと悪い…って、」
「あら」

でかい図体をしているんだから気を付けて歩け、と非難の目を向けたところで、綺麗な声が響いたので驚いて身を乗り出す。ふわり、と甘美な匂いが鼻を掠めて、それがクザンの見下ろす先にいる美女の香水だと理解するまで、そう時間はかからなかった。

「メリアじゃないの」
「どうも。あなた無駄にでかいんだから気を付けて歩きなさいよ」
「開口一番きつ〜…」

慣れた様子で会話をし始めるところを見ると、どうやら知り合いらしい。美女の服装はどこからどうみても海軍の人間で、肩にかけられた正義のコートが優雅に揺れていた。店に来る海軍の方たちを見ていても思うが、海軍の女性は美女しかいないのだろうか。すらりとしたその美女に見惚れていると、ばちりと目が合う。

「…やだ、デート中じゃない」
「え?…あ〜〜、うん、そう」

このまま棒立ちでいるのも失礼かと思い、会釈をしてからクザンに「部下の人?」と尋ねる。ごく自然な流れで紹介を求めたつもりだったのだが、クザンは何故かぎくりと肩を揺らして目を泳がせた。

「ん〜〜、まあ…、そんな感じ…」

自称するのも変な気はするが、察しはよい方である。クザンという男を大分理解できている、というのも大いにあったが、私はその一瞬で全てを悟ってしまった。腹が立ったとか、悲しくなったとか、そういうのは全くなかったが、クザンに対しての呆れがそのまま顔に出てしまった気がする。美女もそんな私の様子に察したようで、小さく舌打ちをするとクザンを睨みつけた。

「…あなたってほんと」

美女はそのまま鋭いヒールでクザンの足の甲を思い切り踏みつけた。華麗なその一撃にダウンしたクザンを呆然としながら見つめていると、美女は私に目線を合わせるように身をかがめて愛想のよい笑みを浮かべる。

「こんにちは。私、メリアって言うの。名前を訊いても?」
「あ…名前です」
「かわいい名前ね。名前ちゃん、少しあたしとお茶しない?」
「えっ!?」

驚きの声をあげたのは私ではなく、悶絶していたクザンだ。私はといえば、唐突な美女の誘いに困惑しながらも勝手に首が縦に動いていた。だってそんな、美女には逆らえない。私の反応に美女はにっこり笑うと、惜しげもなく出している美しい腕で私の肩を抱いた。

「この子、借りるから。あなたはそこら辺で時間を潰してなさい。いいわね?」
「はあ!?」
「そうね…20分後にまたここに来て。時間通りに来なかったら私が連れて帰るからね」
「ちょっ…!」

反論は一切受け付けない毅然とした態度に、クザンはなすすべもなく完敗していた。こんなに一方的にやられているクザンを見るのは初めてのことで、なんだかちょっと愉快だったことは可哀想なので言わないでおくことにする。美女のパワーって、やはりすごい。


美女、改めメリアさんに連れられて近くのカフェに入った私は、緊張が漂う空気の中、運ばれてきた紅茶にミルクと砂糖を投入してかき混ぜていた。身を固くしていたせいか、上手くかき混ぜられずにティースプーンがかちゃかちゃと音を立てる。

「ごめんなさい、強引に連れ去っちゃったりなんかして」
「いえ、そんな。…綺麗な女の人に攫われるなんて、ちょっと得したなとすら思ってますので」
「…っふ、あははっ、そう?それならよかった」

メリアさんは弾けたように笑うと、少し肩の力が抜けた様子でコーヒーに口を付ける。うーん、何をしてても様になるのが悩ましい。

「もう、つい、我慢できなくなって」
「…ご迷惑おかけしてすみません」
「やだ、名前ちゃんのせいじゃないのよ。ただ、あの様子じゃあの人に言い訳させるとさらに拗れるだろうなって思って。せめてあたしの方から言い訳させてもらいたかったの。デートの邪魔して、本当にごめんなさいね」

メリアさんの謝罪に、私は慌てて首を横に振った。この件に関して、クザンがポンコツというのは先ほどの出来事からしても言い逃れのできない事実で。もう関係ないであろうメリアさんが、わざわざ私のことを考えてここまで連れてきてくれたその気遣いに、私としては申し訳なさと感謝しかなかった。

私の予想通り、メリアさんはクザンと一時期関係があったらしいが、メリアさんからしてみれば随分と昔の話らしい。メリアさんはその当時のことを多く語るわけでもなく、そういう時があったのだと淡々と私に告げた。

「話してみた感じ、名前ちゃんなら変な勘違いとかしてないと思うけれど、一応ね。今はきれいさっぱり何もないのよ。塵ほどもあの人と繋がってないから、安心してね」
「…うう…すみません、私のアフターケアをしてもらって…」

こんないい人の手を煩わせてしまったという、いたたまれなさに身を縮こまらせると、メリアさんが「あたしのお節介だから気にしないで」と手を重ねてくる。すべすべとした感触にメリアさんの手をついガン見してしまった、反省。

「まあ、あの男がもっとちゃんとしてればこんなことにはならなかったかもね」
「…そう考えると棚からぼた餅かもしれないです」
「あら……、フフッ。そうね、名前ちゃんみたいなかわいい子とお茶できたのはあの男のおかげでもあるわね」

二人顔を見合わせると、なんだか楽しくなってきてくすくすと笑う。出会い方はかなり突飛だが、メリアさんのような素敵な女性に出会えたことは、私にとってかなりの幸運だ。クザンのポンコツさのおかげでメリアさんと出会えたというならば、クザンに感謝しなければ。…今、何して時間潰してるんだろう。

「ああ、なんかでも腹が立ってきたわ」

唐突に苛立った声をあげたメリアさんは、気に食わないといったように腕を組んで窓の外を見つめる。

「最終的にはこんないい子をゲットしたあの男のちゃっかりさというか、抜け目のなさに」

急な褒め言葉に紅茶を飲もうとしていた手が狂いそうになる。自分のことをそんないい物件だとは思えないが、メリアさんにそう言われると妙な説得感がある気がして、じわじわと恥ずかしくなる。ゲットされた、という客観的な事実も、悔しいような、むず痒いような。

「本当に勿体ないわ。…でも、お似合いよ」

不機嫌そうに顰められていた顔がふっと緩んで、流された視線と共に穏やかな微笑を向けられる。お似合い、何度か周りの人間にそう言われたことはあったが、元恋人だからだろうか、メリアさんだからだろうか。その言葉はずしんと私に響いて、耳の縁が発火したように熱くなった。

クザンの隣は私に相応しくない、そんな風に思い詰めたことはなかった。それでも、客観的に見ればクザンは海軍的にも、世間的にも重要なポストで。お金も権力もそれなりにあって、それなりの歳で。私なんかより優先しなければいけない事項はたくさんあって。いいのかな、と思うことはあった。
だけど、メリアさんの言葉が私の背中を押してくれるようで。そのままでいいのだと。嬉しくもあって、気恥ずかしくもあって、ちょっとだけ泣きそうだった。

「今度、うちの店にも来てください。サービスします」
「あらほんと?」

メリアさんとこれっきりで終わらせるのは勿体なくて、また会いたいの意を込めてそう言うと、メリアさんは本当に嬉しそうに笑ってくれた。

***

約束の場所にメリアさんと二人で戻ると、落ち着きなさげにそわそわとしているクザンがいた。少し遠くからそれを発見したメリアさんが「格好つかないわね…」と忌々しげに言うので、思わず隣で吹き出してしまった。

「ほら、ちゃんと返しに来たわよ」
「いやいや当たり前だから!…名前ちゃんに変なこと教えたりしてないよね…?」
「変なことって?」
「だからその〜…あんまり、おれがかっこよくない話みたいな…」
「心当たりがあるわけね」
「ありすぎるからこんなに心配してるの!」

わたわたとするクザンをメリアさんは適当にあしらうと、私の方に体を向ける。

「じゃあ、今度はあたしから会いに行くわね」
「はい、待ってます」

長い脚を折って身をかがめたメリアさんはちゅっと私の頬にキスを落として、颯爽と踵を返した。柔らかな感触と、揺れる正義のコートの後ろ姿に惚れ惚れとしていると、慌てた様子のクザンが視界に飛び込んでくる。
今やこの件に関してクザンに対して向ける感情は無だが、ひどく申し訳なさそうにしているので申し開きは聞いてやろうと見上げる。

「う〜〜んと、あの…名前ちゃん」
「なに」
「名前ちゃんが、一番だからね」
「知ってる」
「えっ?うん…、え?」
「別に怒ってないってば」
「そ、そう?それなら、いいんだけど……」

私の反応に納得がいってないのか、クザンは隣で居心地が悪そうにしていたが、私の心は先ほどの余韻に引っ張られっぱなしだった。メリアさんが去っていった方向を眺めて、ぼんやり恍惚とする。

「メリアさん、素敵だよね」
「……なんて答えたらいいのおれ」
「私、前から綺麗な女の人好きだったけど、やっぱりアリかもしれない」
「え、うそ。…冗談だよね?」

ちら、とクザンを見やると、面白いほどに顔を青くさせていて吹き出しそうになるのをこらえる。クザンの問いには答えずにスタスタと歩き出すと、クザンの悲痛な叫びが路地に響いた。

「冗談って言って!?」
「ふふふ」

これでおあいこということで。


それって愛でしょ 18話


prev │ main │ next