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TopMainそれって愛でしょ
ある意味、感覚的な未来予知だったのかもしれない、と思う。

名前の隣を居心地が良いと感じたあの時から、どこかこんな日々を描いていた自分がいたような気がした。緩やかなまどろみを惜しみつつそんなことを思い、お昼寝中の名前を残してクザンは野暮用のために家を出た。

防波堤沿いを歩いていると、立ち昇る白い煙が視界の端に映る。同時にあちら側もクザンに気が付いたようだったが、その人物は愛想悪く葉巻をふかし続けた。

「またやらかしたんだって?おれもそろそろ庇いきれねェんだがなァ…」
「別にどこに左遷されたって構いやしねェ」
「左遷じゃなくてお前の場合クビだから。ちゃんとヒナにも感謝しなさいよ、ったく…」

柄にもなくお小言のようなものを多く漏らしてしまうのは、後にも先にもスモーカー相手だけだろう。自分もヤンチャをしてきた一派だが、もう少し上手くやれていたほうだとは思うのだ、多分。降りかかる火の粉は賢く躱せばいいものを、この男は真っ向からぶつかっていくのだから一周回って愛すべきバカなところはあった。
こんな風に思わず向けてしまう老婆心は、自分と似通った思想を海軍から排除したくないという気持ちから来ている部分もある。そんなこと気色が悪すぎて、決して本人には言わないが。

別に定期報告を義務付けているわけでもなんでもなかったが、お互いタイミングが合うときに話をするのが恒例になっていた。海軍本部の執務室にこもってするには他人の目が気になるような内容ばかりをいつも話すので、こうして外や店で会うのもお決まりだ。

冷たい風に吹かれながら、大方お互いが聞きたかったことを話し終えて、クザンは体を預けていた防波堤から背を離す。名前が目を覚ます前には、家に戻りたかった。

「んじゃ、おれァそろそろ帰るわ」
「帰る?…珍しいな、あの家使ってるのか」
「最近はな。名前ちゃんがいるから」
「名前……、あの女か」

途端、スモーカーは厳しい視線をクザンに向けた。その表情が何を言わんとしているかは即座に察したが、スモーカーがわざわざクザンのそういう事情に反応を示すのは珍しい。名前があまりにも一般人すぎるからだろうか。いや、一度顔を合わせたことがあるというのも原因か。クザンが飛ばされる追及にすっとぼけていると、スモーカーは諦めたように息をつく。

「まァ…、見た目よりかは肝が据わってるようだったしな…」
「肝が据わってる?名前ちゃんが?」

他の人から見た名前はそのような印象を受けるのか、と随分新鮮な気持ちになる。スモーカーが不思議そうに「そう見えたが、」と言うものだから、クザンは小さく笑った。

「名前ちゃんはそんなんじゃないよ。本当に普通の女の子。ただ、人よりお利口さんってだけ」
「利口……」
「まァ〜、だからスモーカーの心配はその通りっちゃその通りだ。だから、なんかあったときは友達として頼むときがくるかもしれねェな」

やや沈黙があって、紫煙と共に大きく息を吐きだしたスモーカーは「勘弁してくれ」と昏くなってきた空を見上げる。一度頼まれると、いつまでも忘れられずに喉元に引っかかってしまう男であることをクザンは充分に分かっていた。多少の罪悪感はあったが保険は大事だ。名前を思えば、それはなおのことだった。

***

家に帰ると、名前はまだ目を覚ましていなかった。そろそろ夕方も過ぎて夜の時間に差し掛かってきたが、大丈夫なのだろうか。クザンは静かに名前に歩み寄り、その寝顔を覗き込んだ。全く目を覚ます兆しのない爆睡ぶりである。クザンがそうっと名前の頬に撫でると、手の冷たさが嫌だったのか煩わし気に身をよじられた。

「名前ちゃ〜ん、そろそろ起きないと…」

控えめに声をかけてみるが、やはり起きる気配はない。今日は明日仕事だから帰ると言っていたし、放置すると怒られるのはクザンだ。どうしようかと考えあぐねていると、ふとソファーの下でチカッと何かが瞬いた。
不思議になってソファーの下を覗くと、きらきらと光る何かがある。手を滑り込ませてどうにか指先にそれを引っ掛けて取り出すと、クザンの手のひらでピアスが煌めいた。
そういえば、この前名前がピアスを無くしたと騒いでいたような。これに違いないと思い、クザンは後で渡そうと自身のポケットに突っ込んだ。

近くでクザンがばたばたと何か物音を立てている気配が気になったのだろう。名前がううんと唸り声をあげて寝返りをうつ。起こすなら今しかないと思い、クザンは名前の体を揺すった。

「今日帰るって言ってたじゃないの、名前ちゃん」
「ぅん……」
「起きて〜」

しばらくクザンが名前の頬をつついていると、さすがに鬱陶しくなったのか名前がうっすらと目を開く。

「起きた?」
「おきない…」
「もう夜よ?」
「…うう〜……」

覚醒するまでに時間がかかることは重々承知のため、クザンが気長に声をかけ続けていると、ようやく名前が体を起こした。好き勝手にうねっている名前の前髪に吹き出して、面白がるように指先で遊ぶとぺちっと手を払われる。そして眠気と格闘している瞳でクザンを睨むと(恐らく寝起きで目つきが悪いだけ)、心底気怠そうにため息をついた。

「帰るのめんどう……」
「んー…じゃあ一緒に住む?」

ぱちり、と。今まで重たそうにしていた瞼がこれ以上にないほどはっきりと瞬きをする。てっきりバカなりアホなり言われると思っていたのだが、思ったより真っすぐに言葉が届いたようだ。ついでに眠気も吹き飛ばしてしまったらしい。
名前の意外な反応に逆にクザンが驚いたが、別段吐いた言葉を取り消すつもりはなかった。冗談で言った事ではあったが、全部が全部冗談のつもりではない。もごもごと返答しかねている名前の手を取って、クザンは名前と視線を合わせた。

「すぐにって話じゃなくてね、や、おれはすぐでもいいんだけど」
「……」
「名前ちゃんが良かったらの話だから。家のこともあるしね」
「…うん…」

すっかり丸くなってしまった名前の反応が愛らしい。幾分か素直なのは、寝起きのせいだろうか。

「その…なんだ、この前も言ったけど、名前ちゃんが家にいてくれると、おれ嬉しいからさ」
「わ、わかった、もういい」

耐えきれずといったようにクザンの口を塞いだ名前の耳は、それもう真っ赤に染まっていた。予想外に転がり出てしまった提案だったが、名前の満更でもない反応に急速に現実味を帯びてくる。思わず柔らかい笑みが口元から零れて、クザンは名前の手を優しく絡めとった。
抗議の声が上がる前に唇を合わせると、抵抗もそれなりに受け入れられる。こんな風に、家に帰って名前に触れられる日々が当たり前になるのも遠くないかもしれないと思うと、じんわりとぬくい何かで胸が満たされるのを感じた。


それって愛でしょ 19話


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