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TopMainトワレに揺れる
ヘルメッポが腕を差し出すと、ためらいもなく絡んでくる細い腕。こちらを見上げて「どうした」と何でもなさげに問う名前の口元には見慣れないルージュが引かれていて、ヘルメッポは手に取るように自身の調子が狂っていくのを感じていた。

事の発端は昨日、何の前触れもなく自身の名が挙げられたことに、ヘルメッポの口から素っ頓狂な声が飛び出た。

「おれ!?」
「ああ。最初はコビーを連れて行こうとしたんだが、コビーがそういう場なら自分よりヘルメッポのほうが慣れているって言うもんだから」

思わずコビーを恨みがましい目で見ると、気まずそうに視線を逸らされる。

「押し付けやがったなコビー…」
「て、適材適所です…!」
「お、言うようになったじゃないか」
「変なところ褒めるな!!」

コビーの余計な成長にニヤニヤとする名前に怒鳴るものの、響くわけもなく。ヘルメッポの抗議も受け付けられないまま、けろっとした顔で名前はヘルメッポの肩を叩いた。

「じゃ、私のパートナー、よろしく頼んだぞ」

天井を見上げれば、無駄に豪勢で目がちかちかしそうなほど眩いシャンデリアがぶら下がっていた。緩やかに流れる音楽と、いくつもの男女の声が入り混ざった話し声にため息が出る。うんざりして視線を落とせば、艶やかな大理石が目に入って、逃げ場のない空気感に一刻も早く帰りたくなった。
仕事内容は、ただのお偉いさんの警護だ。パーティー中、不敬な輩が乱入してくる恐れがあるため、その警護と見回り。軍服を着て闊歩してほしくないとの要望のせいで、ドレスコードをして他の参加者と同じ振舞いを強いられているのが、ヘルメッポ的には調子の狂う原因であった。

「別に私だけでも良かったんだが、こんな場に一人は目立つし…助かったよ、ありがとなメッポ」
「いいえ…、仕事ですから」

どうにも気分が乗らないのは事実だったが、仕事なのも事実。いつもより体のラインが目立つようなドレスを身にまとい、薄く化粧を施した見慣れない名前をなるべく視界に入れないようにしながら、ヘルメッポは周りに気を配った。

「コビーの言う通りメッポにしといて正解だったかもな。慣れているようだし」
「あんまり思い出したくない過去ですけど、ボンボンとして遊んでた時期があるんで」
「ああ、クソッタレ時代か」
「傷をえぐる言い方やめてくれます?」

近くのボーイからノンアルコールを受け取って名前に渡すと、すんと匂いを嗅いだ名前が口をへの字に曲げる。

「なんだ、酒じゃないのか」
「当たり前でしょうが。呑むつもりだったんですかあんた」
「冗談だよ、そんなに怒るな」

名前はグラスに口をつけながら、ヘルメッポをぐるりと品定めするかのように見つめたかと思うと、うんと頷いた。

「でもまあ、馴染むな」
「こういう雰囲気にですか?」
「うん」
「どーも」
「今日のメッポは色男だって言ってるんだ。そう不機嫌になるな」

グラスを落とすかと思った。絶句しているヘルメッポなんかお構いなしに、名前は近くにあった食事に興味が移るとすたすたと歩いていく。その行動にまた振り回されている自分がいて、どうしようもなく悔しくなったヘルメッポはセットした髪が崩れるのも厭わず、がしがしと頭を掻きむしる。この後、どんなことを言われようが絶対に動揺してやるものか。そう決めて、ヘルメッポは名前の背を追った。

あくまで必要以上に不審な動きはせず、その後もパーティーを楽しむそぶりを見せながら警護を続けていたのだが今のところ特に異変はない。こういう広い会場で姿を隠しての警護なら、それこそ見聞色の覇気が扱えるコビーのほうがよかったのではないかと思ったが、まあ名前だけで足りるのかもしれない。
それでも自分でできる範囲のことを為すべく、ヘルメッポも気を緩ませずに仕事を続けていると、ふと名前の足元が気になった。ほんの僅かではあるが、変な歩き方をしているような。じっと注視していると、一つ思い当たることがあって、ヘルメッポは名前の手を引いた。

「ん?どうした」
「ちょっと時間もらいますよ」
「なんかあったのか?」
「あんたがね」

バルコニーに出ると、冷たい夜風が吹き抜けて名前が小さく身を震わせる。ヘルメッポは名前の肩に自身のジャケットをかけてから、死角であまり人目のつかない側の手すりに腰掛けさせた。

「なんだなんだ、愛の告白か?」
「そうじゃなくて、あんた…」
「ん、ちょっと待て」

唐突に言葉を遮られたのは悪ふざけでもなんでもなく、何かを察知したからだと分かり即座に口を噤む。手すりから身を乗り出して下の様子を確認していた名前は、素早くヒールを脱いだかと思うと一瞬のうちに下に飛び降りる。ぽいっと投げ捨てられたヒールを思わずキャッチしてしまったヘルメッポは、少し出遅れて下へと飛び降りた。だが、その頃には既に名前が不審人物らの山を築き上げていた。

「お手柄だな〜、メッポ。こっちから侵入するって分かってたのか?」
「ただの偶然ですよ…、というかヒールを脱ぎ捨てるな!」
「悪い悪い、動きにくかったんだ」

気にせず裸足で芝の上ぺたぺたと歩く名前に頭を抱える。何をするにも、とりあえずこの不審人物らを捕縛してからだ。ヘルメッポは名前が感嘆の声を上げるほど手際よくそいつらを縛り上げると、名前の腕を引っ掴んで適当な場所に腰掛けさせた。ヘルメッポは跪き、名前の足首に手を添えながらお目当ての箇所を確認する。

「靴擦れしてたなら言ってくれませんかね」
「ああ、靴擦れか…。なんか違和感あると思ってたけど」
「鈍感にもほどがあるだろ…」

かなり悲惨に捲れ上がった名前のかかとに、持ち歩いていた手当のセットを広げて応急処置を施していく。敵ではなくヒールに傷を負わされる女海兵なんて、海軍には中々いない気がするのだが、名前なら納得できてしまうのがなんとも。

「あんたの弱点ってヒールだったんすね」

仕返しとばかりに意地悪に言ってみせると、珍しく名前がむっとした表情をする。

「私はヒナとは違うんだ。踵のない靴が一番動きやすいに決まってるだろう」
「ヒールは美しさのために履くんでしょう」
「美しさねえ、縁遠い言葉だな」

手当てを終えた素足を子供のように揺らす名前は、月明かりの下だからだろうか。一瞬人間ではない何か、…人魚姫のような。そんな風に見えた気もしたが、気のせいだろう。じゃないと癪だ。ヒールを履きなおして立ち上がる名前の姿を見ながら酷くタバコを吸いたい気持ちになっていると、名前が「あ、」と声を上げる。

「ジャケット汚したかもしれない、悪い」
「ああ…、いいですよ別に」
「さすがボンボン」
「それこそ色男だからってことにしてくれません?」
「ははっ、そうだな。そうしておこう」

最低限身なりを整えなおした名前が背筋を伸ばして、ヘルメッポを見上げる。

「よし、戻るか。エスコート頼むぞ、色男」
「はいはい、怪我人ですしね」
「そうだ、丁重に扱えよ?」

上機嫌に笑った名前の体を支えながら、この後はできるだけ歩かせないようにするために自身の仕事内容を脳内で練り直すヘルメッポだった。


トワレに揺れる 4話


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