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TopMainそれって愛でしょ
窮屈な本部を抜けて、いつものようにカフェに向かおうとしてたところ、前方に見慣れた姿を発見してクザンは思わず歩み寄る。ひょい、と顔を覗き込めば、クザンと目が合った名前が素っ頓狂な声をあげた。

「やっぱり名前ちゃんじゃない」
「く、クザンさん…びっくりした……」

驚きが抜けきらない表情をしてたかと思うと、クザンと視線がばちりと合ってどこか照れ臭そうに視線を逸らす名前。口では絶対に言ってくれないものの、顔を合わせる度に会えて嬉しそうな態度が隠しきれていないのが、どうにもいじらくてクザンの口元が緩んだ。

「これから店行こうと思ってたんだけど、名前ちゃんは…買い出し?」
「うん。もうちょっとで終わるけど」
「じゃあおれが手伝ってもいい?」

名前の手元にある荷物を掬い取って尋ねると、名前は慌てて手を伸ばしてきたが、やんわりとそれを阻止する。クザンが荷物を渡すつもりがないのをすぐ悟ったのか、名前は肩を落として「…じゃあ手伝ってもらいます」と不満げに呟いた。

「今からおれが行っても名前ちゃんが店にいないならさびしいしねェ」
「お母さんじゃいやだってことね。言っておく」
「ちょっ…とそれは……!」

名前とよく似た名前の母親には頭が上がらない気しかしないクザンは、つい本気で焦るような声を出してしまい、名前にけらけら笑われる。

「冗談だって」
「も〜…やめてちょうだい…お母さんにはおれ多分敵わねェから」

よっぽどおかしかったのかくすくす笑い続ける名前の姿に、クザンもふっと笑みが漏れる。ひとしきり笑って息をついた名前は、ゆったりと目的地に向けて歩き出した。その数歩後ろをついていきながら、クザンは買い物袋を一瞥する。

「あと何買うの?」
「薄力粉だけ。これ重いからクザンさんいて助かったかも」
「あらら、手伝いがいがあるじゃない」

前方を指さして振り返った名前が「あそこ曲がったところ」と言って、少し早い足取りで前を歩いてく。つまずいて転んだりしないものかとそわっとしたが、はたと我に返って父親じゃないんだからと自分に苦笑した。
クザンも歩幅を広くして名前に追いつくと、店の前にたどり着いて待っていた名前が店内に入っていく。追って中に入ると、名前に笑顔を向けていた店主がガタガタと音を立てて後ずさった。

「た、大将!?」
「あ〜どうも。まァ、今は名前ちゃんの荷物持ちだから気にしなさんな」

荷物を掲げてそう言ってみせると、店主がすごい勢いで名前とクザンの顔を見比べる。店の商品を物色していた名前はちらりと顔をあげると「気にしなさんな」とクザンの口調を真似ておどけた。その様子に店主も事態を飲み込んだのか何も言わなくなり、名前といつもしているであろうやりとりをし始める。そんな様子をクザンは店の端で欠伸を噛み殺しながらぼんやりと見つめていた。

これってデートなんじゃなかろうか、と考えが一瞬よぎったが、あまり色気のない買い物内容のためそうとも思えない。デート、というよりかは、むしろ日常のように感じてしまうのは何故だろうか。馴染みのない感覚なのに、違和感に思えない違和感を感じていると、もうすでに名前の用事は終えていたようだった。

「クザンさん、これ」
「はいはい。…確かに重いわなこれ」
「か弱い私は毎回きつかったから助かった」
「ンフフフ」
「笑うとこじゃないんだけど」

店主が奥から取り出してきたかなりの重量の紙袋を抱えて、どこかぎこちない「ありがとうございました」を聞きながら、クザンは名前と店を後にした。

「これで終わり」
「じゃあお店に戻るわけね」
「うん。…やっぱ重い?」
「ちょっとちょっとおれをなんだと思ってるの。これぐらい持てなきゃ海軍大将務まらないから」
「大将関係あるのそれ」

さすがに手ぶらの状態だと罪悪感が湧いたのか心配そうにこちらを見てきたが、クザンの軽口で表情が解れる。これ以上言うのも野暮だと思ったらしい名前は、緩慢な足取りでクザンの横を歩いた。そして歩きながら何か考え込み始めたのか、名前からううんと唸り声が漏れる。

「…やっぱり、普通はびっくりするよね」
「うん?…あ、さっきの店?」
「そう。私、よくよく考えたら大将をこき使う謎の女じゃん」

謎の女という表現の仕方にクザンは思わず吹き出す。もう少しかわいい言い方があってもよさげなものだが、そういう表現になってしまうのが名前らしい。

「普通にデートだと思われたかもしれないじゃないの」

正直に言うとそう思われたかは微妙だ。自分で言うのもなんだが、あの時クザンと名前から醸し出されていた雰囲気は、親戚などの類の方が近い気さえした。だが、恋人に思われたかもしれないとは微塵も考えてなさげな名前に、つい言ってみてくなってしまう自分の罪深さを他人事のように反省する。
クザンの台詞に勢いよく顔を上げた名前の頬にはさっと赤みが差し、どんな言葉を紡いだらよいか試行錯誤を重ねている唇がはくはくと動く。

「な…、そんなわけ、なっ……!」
「え〜…そう?」
「思われるわけないでしょ!!」

それ以上の返す言葉は見つからないようで、名前は気まずそうに顔を逸らす。ちらりと覗く耳や首まで真っ赤な様子に、さすがにこれ以上追撃する気にはならなかった。

「じゃあ名前ちゃんはやっぱり謎の女だと思われてんのかねェ」
「…謎の女だと思われてるでしょ」

ぽつぽつ話しながら、名前の赤みが引いていくのを待っていると、びゅうっと潮風がクザンの顔に吹き付ける。風が強いな、と思った時にはまた突風が襲ってきてわずかに揺らぐ体。心配になって名前を見やると、目をぎゅっとつむりながら風にあおられて足取りが不安定だったため、クザンは背中に手を回して名前の体を支える。

「大丈夫?」
「う……、なんとか…びっくりした」

緩やかに落ちていく風力に、名前の無事を確認してから、回していた手を離す。名前は突風に荒ぶった髪の毛を必死に指で梳いていた。

「も〜…風強いのほんとやだ…。……いてっ」
「え、どしたの?」
「…ピアスが、」

耳のあたりでもぞもぞと手を動かす名前。クザンがしゃがんで名前の顔を覗き込むと、どうやらピアスが髪の毛に引っかかってしまったようだった。ゆらゆらと揺れるほどの長さがあったピアスが髪の毛と絡まってしまい、自力で解くのは難しそうに見えた。

「おれやろうか?」
「うん…」

こくんと名前が頷いて自身の両手を耳から離したため、クザンは荷物を持っていない方の手を名前に伸ばした。細いもの同士が絡まっていて時間はかかったが、なんとか解き終えてそのまま軽く髪を梳いてやる。傷がないか確認のために、すりと耳朶を指の腹で撫でると名前の体が小さく跳ねた。
そこでようやくしくじったことに気が付き、肌色を取り戻していた名前の耳や首筋がまた赤く染まっているのが目に入る。
だが、掌から伝わる熱や吸い付く肌の感触に手を離すことができず、名前の頬をそっと包み込んで撫でる。さすがに耐えきれなくなったらしい名前の手が遠慮がちにクザンの手首に置かれて、上ずった声で名を呼ばれた。

「ほ、ほどけた…?」
「……あ〜、うん、解けたわ。もう大丈夫よ」

これ以上何もしないという意思表明としてぱっと手を離すと、名前が真っ赤な顔のまま浅く息をつく。立ち上がって何事もなかったかのように二人歩き始めたが、その歩みは鈍重でもう目の前のはずのカフェが遠くに感じた。

油断した、というべきだろうか。名前に対して、いつもクザンの気持ちは穏やかに揺れていた。だから少し触れただけであんなに熱を求めるとは思わなかったのだ。もし、名前の上ずった声に止められなければ、あのまま唇を重ねていたかもしれない。意識すればすぐ脳裏に首まで真っ赤な名前がよみがえって、クザンの心はずしりと重みを増した。

別に分かろうと思えば分かることができたこの感情。答えをいつまでも先延ばしにしていたのは、穏やかな余韻に浸っていたかったからだ。しかしいよいよコップから溢れ出てしまったそれに、クザンは白旗を上げた。

以前、名前と対面した後のボルサリーノに冷たい目線を向けられたことを思い出す。ボルサリーノがあのような非難の視線を向けてくる理由は、正直自分でも分かってはいる。分かってはいたが、自分の気持ちに名前を付けずにまだふらふらしていたかったのも確かで。今更ながら先延ばしにしていたツケがきたらしく、クザンは鉛を飲み込んだような気分だった。

意味もなく叫びたい衝動にかられたが、名前が隣にいる状態でそれができるはずもなく、感情を抑え込んだ咳ばらいをする。どうにかカフェに着く前にこの空気を解消しないと、と考えもなしに口を開いた。

「あ〜〜…、名前ちゃん、今日のおすすめって…」

あまりにも適当すぎる質問に自分でも辟易としたが、ややあって名前がか細い声で「た、たるとたたん…」と答えるものだから、クザンはまた叫びたくなった。

多分、こうなるとどこか予想していたのだろう。先ほどから荒波のように突き上げてくる感情と、これからも戦っていかなければならないのかと考えると、涙がちょちょぎれそうになるのだった。


それって愛でしょ 7話


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