1月 ツバキ

冬季に鮮やかな大輪を咲かせ、人の目を惹く花。

艶のある葉も特徴的で、その油は髪を美しくするものとして用られたりもする。

女性の美しさを表しながらも気取らない姿は、尚一層の艶めきを放ち、そして、美しいその姿はどこか奥ゆかしさをも纏う。

そんな君を、私は心底恋しく思う。





***



「あけまして、おめでとう。」


時計の針が、ちょうど0時を指した頃。

グラスの重なる音が響くと同時にかけた言葉。

私はミーナと共にとあるバーの片隅で新年を迎えていた。


「おめでとう、今年もよろしくね。」


ふわりと彼女は微笑みながら、そう応える。

初めて一緒に迎える新年は、普段と変わらない日常のひとコマ。

彼女と付き合い始めて3ヶ月足らず。

次の秋に結婚を予定している関係だとはいえ、未だにプラトニックな関係を続けている私たちには、今日のような何気ない新年の迎え方が丁度良い。

だが、もう良い歳の自分が未だに好意を寄せている女性に手を出さずにいる事自体、不思議な事だ。

それは何故なのか。

頻繁に会えない距離感のせいか
会えても仕事終わりの食事だけの時間のせいか。

いや、それは単なる言い訳にしか過ぎない。



ミーナはすぐ頬を赤く染めては顔を俯かせる。

頭を撫でた時
手を繋いだ時
肩を抱いた時

触れる度、彼女は毎回ウブな反応を見せてくれる。

キスしようと頬を撫でようものなら、一大決心だ!とでも言いたげな表情でぎゅっと目を瞑り、私の行動に身を任せる。

可愛らしいなと思う反面、キスするだけでこれだから、その先の関係に発展した場合、どんなに身体を強張らせるだろうかと思うと、正直どう接したら良いものかと考え込んでしまう自分がいる。

初めてではないのは知っている。

だから余計にこの緊張するミーナの様子に、違和感を感じてしまう。

私は嫌われるのを恐れているのか?

我ながら何とも女々しいな・・・と苦笑いを浮かべながら、隣に腰掛ける彼女の肩を抱いた。





肩を抱き自分の方へと抱き寄せたミーナは、くたりと力を抜いて私に身体を委ねる。

この反応は珍しいなと顔を覗き込むと、目を閉じ小さく肩を揺らしながら、うとうとと眠りにつこうとしていた。



花屋であるミーナは、年末ギリギリまで仕事に精を出していた。

新年を迎える準備として、年末は花はよく売れるのだそうだ。

今日私と合流する直前まで、彼女は大好きな花を売り、人々に新しい年を迎える喜びのお手伝いをしていたことだろう。

見るに耐えないほどの赤切れた痛々しい手は、一生懸命働く彼女の姿を連想させるのに、十分な役割を担っていた。



そして、新年。

年末の忙しさとは打って変わり、花の市場は休みを迎え、花屋に足を運ぶ人の姿もパタリと途絶えるようで、ミーナの店も新年は一週間ほど纏まった休みを取るそうだ。

その安心感からか、ミーナはいよいよ私の腕の中で深い眠りに落ちようとしていた。

このまま眠らせてやりたい。

だが、いつも仕事一筋の彼女を独り占めできる時間だと思うと、何とも言えない独占欲が芽を出し、咄嗟にその可愛らしい唇にそっと口付けを落とした。





ピクリと身体を強張らせ反応を見せるミーナ。

そんな様子はお構いなしに、角度を変えて深いキスを求める。

舌を差し出し、開いた唇から覗く歯列をなぞろうとした時、ミーナは胸元をトントンと叩くので、一旦キスをやめ、至近距離で彼女の瞳の奥を覗いた。


「ね、ここ・・・お店・・・」

「あぁ、お店で眠ろうとしていたのは誰だ?」

「そ、だけど・・・誰か見てるかも」

「見られたら困るか?」

「や・・・困る、というか、恥ずかしい」


唇が触れるか触れないかの距離での会話。

鼻の頭を擦り寄せ、ミーナの反応を楽しむ。


「大丈夫だよ。新年を迎えて騒がしい店内の端っこ、誰も私たちのことなんて気に留めもしないよ。」


顔を赤らめて俯こうとする彼女にそう囁くと、再びキスを落とした。





先程の続きだといったように、ミーナの顔を覗き込むように深くキスを求める。

俯き逃げてしまわないよう、肩を抱く手とは反対側の手で、彼女の顎を固定する。

観念したのか、目を固く瞑りされるがままのミーナは、いつの間にかピタリとくっつくほどに近寄っていた隣に腰掛ける私のズボンを、何かに縋るようにギュッと握りしめた。

膝の上に感じるミーナの手。

その感覚とじんわりと伝わる体温に身体が反応しそうになる。

そろそろ先へと進んでもいいか?

そう問いかけたくなる情動から、つい声を掛ける。


「今から君の家に行ってもいいか?」


無言のまま、目線をあちらこちらに動かしながら、ミーナは狼狽える。

その様子が可愛らしくて最初は笑みが溢れたが、なかなか返事を返してこないミーナに痺れを切らし、時期尚早だったかと小さく後悔の波が押し寄せる。


「嫌なら今日はやめておくよ。」
「ううん、違うっ!嫌ではないの!」


そう焦って答えるミーナ。


「ただ、その・・・心の準備が・・・」


それだけ言うと、ミーナは表情が読み取れないほどに俯き、再び私の膝の上でギュッと拳を固くする。

何故そこまで緊張するのか疑問が湧かないわけでもないが、それがミーナの良さなのだろうと安易に思い、然程深くは考えずに彼女の頭を撫でた。


「なら、その準備が整うまで気長に待つよ。」





カチャリと扉の開く音と共に、ミーナの生活する空間が目の前に広がる。

何度か家まで送り迎えに来たことはあったが、足を踏み入れたのは初めてだった。

決して広い家ではないが、一人で住むには十分な広さで、玄関横のキッチンの奥には小さなソファも据え置かれ、寛ぐには十分そうに見えた。

派手な装飾や家具もなく、部屋は質素に見えたが、ダイニングテーブルの上には可愛らしく生けられた花が彩りを添え、壁に所々掛けられたドライフラワーはミーナらしさを滲み出す。

どうぞ。と腰掛けるように案内されたテーブルの椅子に座ると、ミーナはいそいそとお湯を沸かし、私にお茶を淹れようとしてくれる。


「紅茶かハーブティしかないけれど・・・」

「何でもいいよ。」


ふわりと湯気の立ち込めたティーカップを手に、ミーナは私の横にやってくると、カチャリとそれをテーブルの上に差し出す。

ティーカップをテーブルに置いた途端、少し屈んだ彼女の腰を抱き寄せ、座る足元の間に彼女を抱き咎める。

突然の出来事にミーナは驚いていたが、そのまま自分の片膝の上に彼女を座らせた。


「ここなら誰も見ていないから恥ずかしくないだろう?」

「えと、そう言う問題でもないのだけど・・・」



膝の上にミーナを座らせたまま、彼女を抱き寄せその首元に顔を埋めた。

甘い彼女自身の香りが鼻腔を掠め、心地よい安心感が胸を満たす。

思わず白い首筋に唇を寄せ舌を這わすと、ミーナは小さくしなるように背筋を伸ばした。

そんな仕草が堪まらなく愛おしく、伸ばした背中もまた手のひらで撫で回した。





ギュッと私にしがみつくように、ミーナは私の両肩に自分の手を添え、胸元に顔を埋める。

抱き締め返そうと彼女を包み込んだその時、にわかに震えていることに気付いてしまった。


「どうした?」

「ううん、なんでもない・・・」


なんでもない訳がない。

顔を胸元に埋めているので表情は読み取れないが、その声は酷く怯えている。


「悪かった、無理強いをしたようだね。」

「違う、そんなんじゃないの。」


今にも泣きそうなミーナの声。

そんなんじゃない?
それなら何だ?

見えない壁に遮られているような心境に心苦しく思い、彼女を胸元から無理矢理引き剥がし、彼女の顔を覗き込む。


「なら、教えてくれないか?」

「嫌われないか、怖い・・・」


そう呟くミーナの声は震えていて、その不安を取り除こうと必死に声を掛けた。


「大丈夫。私は君に何を言われようとも、君が好きだよ。」





ほんとうに?とでも言いたげな表情で私を見上げたミーナは、何かを決意したかのように小声で話し始めた。


「・・・わたし、怖いの。
好きな人と、その、身体を重ねたことがなくて・・・
嫌な思い出しかなくて。」


そこまで言うと頬にポロリと一粒の涙が伝う。


「エルヴィンさんの気持ちに上手く応えられる自信がない。」


ひと呼吸でそう告げられると、堪え切れない涙がポロポロと溢れ落ちる。



衝撃的な事実。

ミーナは今まで身体の関係にまで発展するような付き合いをした事がないということか。

今までの緊張する彼女の様子の理由が、ようやく理解できた。

そんなこと気にしなくていいよ・・・
そう言い掛けた途端、その言葉は喉元に詰まる。

思い出したくないであろう事実
そしてそれを恋人に伝えなければならない状況

ミーナの心境を考えると、とてつもない苦悩が安易に想像できる。

目の前で泣きじゃくるミーナを、思わず強く抱き締めた。





「ミーナ、無理する必要はない。
君が受け入れる準備が整うまで、いつまでも待つよ。
今日はそんな君のことまで考えてやれなくて、すまなかった。」


少しでも、ミーナの不安を取り除けられればと思い、彼女の頭を撫でながらそう伝える。

小さく、ありがとう、と呟く声が聞こえると、私の片膝の上に腰掛けたまま首元にギュッと抱きついてくる。



そんなミーナを愛おしく思いながら、彼女の過去に想いを馳せる。

私の知りうる限りの情報では、ミーナは少し前まで貴族のロイス公にその身を捧げていた。

両親が他界し、一人で花屋を切り盛りしなくてはならなくなった時の苦肉の策だったと聞いた。

だが、つまりはミーナの経験はあの貴族のロイス公しかない、と言うことか。

初めてを捧げさせられ、さぞかし辛い思いをしてきたことだろう。



貴族が金に物を言わせて女を買うことなど、珍しいことではない。

そんなことは昔からよく知っている。

それについて、今まで私がとやかく言うつもりはなかったが、自分の想い人がその対象になっていたのかと思うと、フツフツとこみ上げる怒りを感じずにはいられない。



しかし、過ぎたことをとやかく言ったところで、状況は変わるわけではない。

怯えきった彼女をほぐすには・・・

簡単に導き出されない答えに苛つきながら、小さな溜息が溢れた。





「ごめんなさい、面倒だよね・・・」


小さく吐いたつもりの溜息は、ミーナの元に届いてしまっていたようで、不安気な彼女の視線が私のそれと交錯する。


「いや、面倒だとは思わない。
ただ、私には君に何が出来るだろうかと考えていただけだ。」


潤んだ瞳で私の言葉を聞いたミーナは、ひとつ深呼吸して続ける。


「ありがとう・・・ございます・・・
でも、エルヴィンさんがそんなわたしに愛想を尽かしたなら、わたし、」
「私は、君にとってそんな簡単に諦められるような存在なのか?」


急によそよそしく何かを決意したかのような口調に、その言葉の先を理解してしまい、思わず話を遮りミーナの言わんとする事を逆に問いかける。


「え・・・」

「生きていれば、様々な事が起こる。
そして、生涯を共に生きようとするなら、お互いにそれを理解しなければならないのは当たり前の事ではないのか?
その為に、結婚まで一年間の期間を設けたんじゃないのか?」


そう、私たちはまだ始まったばかりだ。

そう自分にも言い聞かすようにミーナに伝えると、再び彼女はポロポロと大粒の涙を溢した。

そして、もっと君のことを知りたいと囁くと、うんうんと頷きながら涙を拭った。





涙を拭い、落ち着きを取り戻したミーナは、私の身体にくたりと身を委ねる。

私もまた、そんな彼女の頭をただ静かに撫でていた。

穏やかな時間。

だが、そんな時間とは裏腹に、ひんやりとした冬の風が隙間風となって足元を過ぎ去り、私たちの体温を奪っていく。


「エルヴィンさん・・・冷えてきたし、もう、寝ましょうか。
でもね、うち、ベッドはひとつしかないから、その・・・」

「大丈夫、何もしないよ。」

「でも、それはそれで申し訳なくて・・・」

「君の気持ちはしっかり理解したつもりだ。」


そう言葉を交わすと、安心したような、でもどこか困ったような顔でミーナは小さく微笑む。

その表情に、つい悪戯心が軽く顔を出す。


「だが、ミーナ・・・そんな立派な事を言ったところで、私も所詮は男だ。
君に欲情だってするし、抱きたいとも思う。
君がその気になるように、今後色々仕掛けるのは許してはくれるか?」


そうからかい半分で耳元で囁くと、顔を真っ赤に染めたミーナは小さく頷く。

そんなミーナを愛おしく思い、ぎゅっと抱き締め決意する。


「なら、君が私に触れたい触れてほしいと思えるように、努力するよ。」


そして、頬に優しく触れるだけのキスをした。





シングルベッドに二人横たわる。

潜り込んだ布団からはミーナの甘い香りがした。

二人で眠るには狭いこの場所で、ミーナを腕枕で抱き寄せ、体を寄せ合いながら眠りにつく。

余程眠かったのか
泣き疲れたのか
それとも私を信頼してくれているのか・・・

ミーナは布団に入るや否や、私の胸元にピタリと体を寄せて、すやすやと寝息を立てる。



無邪気に眠るその姿と体温は、自分の理性なんか軽く吹き飛ばしてしまいそうなほど、心地よい誘惑を纏っている。

全く・・・こちらの気も知らないで・・・

だが、そう言いたくなるより先に、胸の奥に嬉しさが込み上げる。

本当は、今すぐにでも抱いてしまいたい。

だが、そう思うよりも強く、彼女の心に寄り添いたいと切に思う。



自分のことよりも相手を想うこと、それは“愛”だと、世間一般的にそう言われる。

この気持ちは“愛”なのか?

まだ始まったばかりの私たちの間に小さく芽生えたこの気持ちは、きっといつか実を結ぶことだろう。

そんな小さな気持ちに想いを馳せると、苦しいほどに君を恋しく思う。





外に蕾を携えるツバキの垣根。

まだ芯の固い蕾は、そのうち美しい花を咲かすだろう。

そして、次々に艶やかな花を咲かせては、冬の路地に彩りを与える。

気取らない慎み深いその優美さは、開花を待ちわびていた者の心を捉え、きっと掴んで離さない。

そんな君を想えばこそ、私は心底、君のことを恋しく思う。





【1月 ツバキ FIN】

花季 -hanagoyomi-