変化




「・・・おい、聞いているか!?」




クララはジェームズが怒鳴る声でハッとする。


「あ・・・ごめんなさい。
ぼーっとしていました。」


「全く。最近手を抜きすぎだ。
明日、ワシは用事が出来たから、一日お前にここを任せると言っているが、本当に大丈夫だろうな?
あぁ?」


ジェームズが怒るのも無理もない。

本当に最近のクララは変だ。

ふと気付けば物思いにふけって、ぼーっと宙を見つめていた。





理由はわかってはいた。

こないだエルヴィンにキスされてから、心が落ち着かないのだ。

でも、キスと言ってもそっと触れるだけのキス。

愛を囁かれたわけでも、それ以上のことがあったわけでもない。

現に、静かで一瞬のキスの後、何事もなかったかのように振る舞われ、部屋に帰ろうと促された。

あの日のクララは随分と弱っていた。

誰かに頼りたい気持ちが前面に出てしまい、エルヴィンの肩を借りた。

きっとそんな自分を見て、励ますつもりだったに違いない。

エルヴィンのあの端正な容姿と紳士的な性格のことだから、女性慣れもしているだろう。

エルヴィンにとったら、きっと挨拶代わりだったんだ。





そう自分に言い聞かせながらも、クララの心は常にざわついていた。






次の日、ジェームズは知人に不幸があったからと、調査兵団の宿舎を離れていた。

調理場にはクララ一人。

ジェームズの代わりになれるだろうかと心配していたが、パンをメインに献立を考えたので、何とか無事に一日を終える事が出来た。

やはりジェームズは凄い。

毎日一人でパン以外のメニューをこなしているのだから。





一日が終わり、クララは調理場を片付けていた。


「お疲れさ〜ん!」


元気な声で話かけてくるのはハンジだった。

そう言えば、ハンジとは久し振りだった。

最近、捕獲した巨人に付きっ切りだとモブリットから聞いていたので、食事もモブリットに預け、ハンジの所まで届けて貰っていた。


「ハンジ、元気にしてた?」


「うん!元気元気!
クララ、会いたかったよ!
けど、あれ?
久しぶりに来たらジェームズが居ないじゃない?
今日はクララだけ?」


「そう、今日はジェームズさん用事があるから、私ひとり。
ところで、食事はさっきモブリットが持って行ってたけど、足りなかった?」


クララが声をかけると、ハンジはいいやと首を横に振り、息抜きに来たと言う。


「じゃあ、美味しいお茶を振る舞うわね。」


クララは屈託無い笑顔でハンジに答えた。






食堂では、調理場を片付けているクララに、ハンジが最近の自分のことを熱く語りかけ、クララもまたそれに相槌をしながら、二人はしばらく話し込んでいた。


「・・・そういうわけでさ、私はその通りに報告書を書いたのさ。」


ハンジはヒートアップしていた。

クララは、熱く語るハンジを微笑みながらぼんやりと眺めては、調査兵団の兵士たちは、本当にいつも希望を持っていて、眩しい存在だなぁと目を細めていた。





「ところでさ、クララ。
最近エルヴィンが上の空な時があるんだけど、何か知らない?」


「・・・えっ」


突然の団長の報告に、クララは慌てる。

エルヴィン団長が上の空?

自分が見かける時は、いつも忙しそうにしているから、最近は話もしていない。


「・・・さ、さあ?
疲れてるんじゃないの?」


「それだけなら良いんだけどね。
会議中話を聞いてない時はあるわ、ペンを落としたり書類を忘れてきたり、あのエルヴィンにしては珍しいことが多くてね。
クララは色んな兵士と接点があるでしょ?
何か知ってるんじゃないかと思って。」


何か?

先日、エルヴィン団長が私にキスをして、私の方が上の空だよ・・・なんて言えるはずもない。


「・・・そうね、きっとお疲れなんでしょう。
今度会った時に、何か甘いものでも差し入れてみるわ。
ハンジが心配してたって伝えておくよ。」


「それはいいね!」


ハンジは屈託ない笑顔で、クララによろしく頼むよと言う。


「あぁ!クララと話してたら、すっかりリラックスしちゃって眠くなってきたよ。」


よっぽど疲れているのか、大きな欠伸をしながら目を擦っている。


「無理しないで、寝れる時に寝なきゃ。
身体は資本よ。」


「クララはまるでお母さんみたいだなぁ〜」


ハンジはクララの優しい言葉掛けに、まるで子供のような笑顔を向けると、お母さんの言うことは聞かないとと言っては“おやすみ”と言い、部屋へと帰って行った。






ハンジが帰った後、クララの頭の中には、調理場の片付けは終わったものの先程のハンジの話が離れずにいた。


“エルヴィンが上の空なんだよ”


本当に?

クララには、あれからエルヴィンは普段と変わらず過ごしているように見えていたので、こないだのキスのことで、私だけが上の空なんだろうかと、少しガッカリした気持ちになっていた。

だから、ハンジの話を聞いて、少し心が跳ねるような感覚だった。

“もしかしたらエルヴィン団長も・・・?”





でも、何を期待して?

夫の影がチラリと見えて、心が痛くなった。

寂しいからって、ゲンキンな自分に呆れる。

いいや、団長にとって、こないだ肩を借りてしまったことは迷惑だったのかもしれない。

死別しているとはいえ自分には夫がいるし、団長だって、大きな使命のために相思相愛の恋を諦めたって言ってたじゃない。

自分は何を期待しているというのだろうか?

負の連鎖でどんどん沈んだ方に考えが進んでいく。





そんなとき、クララはエルヴィンの一言を思い出していた。


“良かったら、次の毒味係も頼まれよう”


調理場の隅の方に置いてあった、昼間気まぐれに焼いたパンの試作品が目に止まる。

こっそりおやつにしようと思っていた、甘いクリームが入ったパンだった。


「あれ、持って行ってみようかな・・・」


クララはポツリと呟いた。






コンコン・・・


クララは、パンの試作品を籠に抱えて、団長室のドアをノックしていた。

今まで感じたことのないくらいの緊張がクララを襲う。


「開いている。」


ドアの奥から低い声が聞こえる。

クララは胸が締め付けられる思いで、ドアを開ける。


「お忙しいところすみません、クララです。」


忙しそうに書き物をしていたエルヴィンは、手を止め驚いた顔でクララを見る。


「こんな所にどうした?」


そして何か急ぎの用かと、部屋の入り口で中に入るのを躊躇しているクララに駆け寄っては心配する。

ただ自分の都合で訪問したクララは、居たたまれなくなって、団長室にまで足を運んでしまったことを後悔した。


「いえ、ごめんなさい。
何も用はありません。
ただ、ハンジが、ここのところ団長が疲れてるみたいでずっと上の空だと言っていたので、差し入れをお持ちしただけです。」





帰りたい。

逃げたい。

泣きたい。





クララは、忙しくしている団長の邪魔をしてしまったと後悔の念に駆られ、エルヴィンの顔が見れずに俯いていた。

すると程なくして、エルヴィンの優しい声が聞こえてきた。


「ありがとう。」


クララが顔を上げると、柔らかい笑顔でエルヴィンが自分へ微笑んでいた。

クララの胸が、キュンと締め付けられる。





あぁ、どうしよう。

クララは連日の自分の上の空の正体を確信してしまった。

私、エルヴィン団長に恋しちゃったみたい。

そんな資格なんてないのに。






「すみません。
ただそれだけなんです。
そしたら私、失礼します。」


甘いパンの詰まった籠をエルヴィンに差し出すと、クララは後退りした。

一刻も早く、この場を去りたかった。

自分の気持ちに気付いてしまったクララは、エルヴィンの前ではとても居心地が悪かった。

とにかくここを離れ、自分の鼓動を抑えて蓋を閉めてしまいたい気分だった。





だけどエルヴィンはそれを許してはくれなかった。


「折角来てくれたんだ。
一緒に付き合ってくれないか。
一人でお茶をするには少し物寂しいな。」


そう言って、クララが持ってきた試作品のパンをソファの前のテーブルに広げ、クララに座るように促す。

エルヴィンは二人分のお茶を淹れると、クララの斜め向かいの一人掛けソファに腰掛け、いただきますとそのパンに手をつけた。


「今日のパンは甘いんだな。」


エルヴィンは、クララが持って来たパンを一口食べては不思議そうに感想を述べていた。

食料不足のこのご時世、甘いものは贅沢品だ。


「それは、今日のお昼に私がこっそりおやつにしようと思って作った試作のパンなので、・・・その、食事用ではないです。」


クララが申し訳なさそうに言うと、中に甘いクリームが入っているのにエルヴィンは気付く。


「あぁ、これも毒味か。」


エルヴィンは、先日の苦し紛れの淡い約束を思い出しては、その約束が叶ったことに小さな喜びを感じていた。


「しかし君は、こっそり食材をくすねて、一人で甘いものを堪能しようと思ってたわけだな。
それは団長の私にとって、喜ばしい秘密ではないな。」


「エルヴィン団長も食べてしまったので、同罪ですよ。」


エルヴィンが意地悪に笑うのでクララも反論してみせると、それはまいったと楽しそうにしている。

クララは、そんなエルヴィンの様子をぼんやりと見つめていた。






「上の空なのは、君の方じゃないか。」


笑って話すエルヴィンに、クララはハッとする。


「・・・あ。
いや、その、団長室にまで来てしまって、私何してるんだろうと思って・・・」


「私に会いに来てくれたんじゃないのか?」


エルヴィンはクララの作ったクリームパンを頬張りながら、悪戯に言う。

そんな事を言われては、もうクララの早くなる鼓動は止められない。

でも精一杯の見栄を張ってみせる。


「エルヴィン団長が寂しがっていないかなぁと思って、様子を見に来たんです。
こないだ寂しそうに話してらっしゃったから。」


「はは。確かにな。」


意外な返事だった。

もっとはぐらかす様な返事をすると思っていたのに・・・





エルヴィンは、何か言いたげな表情をしていたが、少し考えた後にクララに言った。


「心配してくれてありがとう。
パンも美味しかった。
ジェームズが留守のときに心配かけて悪かったね。
今日はもう遅い。
君も部屋に帰るといい。」


またクララの胸がギュッと締め付けられる。

今度は切なかった。

さっき引き止められた事で、何か自分に頼ってくれるのではと言う期待がどこかにあったのだろう。

なんてワガママなんだろう。

追いかけられると逃げたくなるのに、突き放されると離れたくない・・・





自分の欲深さに失望しながら、クララはエルヴィンに挨拶する。


「そうね、元気そうで良かったわ。
おやすみなさい。
あまり、無理をなさらないでね。」


クララは力なく微笑み、重い足取りで団長室を後にした。






一方のエルヴィンも、クララが団長室を去った後、一人ひっそりと溜め息をついていた。

クララが自分を心配して訪れて来てくれたことは、素直に嬉しかった。

だけど、クララとどのように接していいのかわからない自分がいた。





もしこれが後輩兵士なら、訓練の話や最近の兵団内の様子を聞いただろう。

もしこれがリヴァイやミケやハンジなどの気の知れた幹部なら、次の壁外調査の作戦についての意見を聞いただろう。

もしこれが接待しなくてはいけない貴族や王族関係なら、団長の表の顔を駆使し、調査兵団のポイント稼ぎに注力しただろう。





だが、相手は兵士や接待の相手ではない。

しかも先日、ついうっかりキスしてしまった同い年の女性。

団長としての自分ではなく、個の“エルヴィン・スミス”として接している気分だった。

しかも意気揚々と。

慣れない自分が見え隠れすることに戸惑いを覚え、ついクララを帰してしまった。

折角持って来てくれた彼女のパンは、一人で食べるには多すぎる量があり、なんだかやるせなくなる。

外で出くわして話すならともかく、きっと団長室にまで足を運ぶのは、少し躊躇いもあっただろうに。

もう少しゆっくり話したかったと思うが、時はすでに遅い。

早々とクララを帰してしまったことに後悔しながら、でもこの渦巻く感情の答えには目を背け、また一つ溜め息をついた。






「おはよう、クララ!
これ、エルヴィンから預かってきた!」


次の日の朝、ハンジがクララに一つの籠を差し出す。

昨日エルヴィンに差し入れしたパンを入れていた籠だ。

そう言えば、昨日はぼんやりしながら帰ってきたので、籠のことをすっかり忘れていた。

ありがとうと籠を受け取ると、ハンジは不服そうに続けてきた。


「けどクララ、昨日は私ともここであんなにゆっくり話してたのに、なんであんな美味しいパンを秘密にしてたのさ〜。
エルヴィンだけずるいよ〜。」


ハンジが言うのでそう言えばと思う。

昨日持って行ったクリームパンは五個は軽くあっただろうか。

一つくらいハンジにあげても良かったなと思いつつ、決して昨日ハンジと話してる時にクリームパンのことを忘れていたわけじゃなかったことを思い出す。


“ああ、私ったら、はなっからあのクリームパンをエルヴィン団長に食べて貰うつもりだったんだ・・・”


無意識のうちに、“次の毒味係も頼まれよう”というエルヴィンの言葉にワクワクしていて、一番に食べて貰いたいと思っていた自分に気付く。

あぁ、これは重症だわ、困ったわ。

・・・と思っていたら、籠の中で一枚のメモがカサっと音を立てる。

なんだろう?と中身を確認してみると、こう書いてあった。


『昨日はありがとう。
美味しいパンを独り占めしたかったが、食べ切れそうになかったので、ハンジに残りをあげたよ。
また次もよろしく。』


エルヴィンからの走り書きのメモだった。

さりげない小さな手紙に、クララの心はほっこりと暖かくなり、そして無意識のうちに微笑んでいた。



花季 -hanagoyomi-