星の輝き




847年。

クララが調査兵団に来てから、一年の月日が過ぎていた。





調査兵団の調理場では、相変わらず忙しく働くクララの姿があった。

兵士たちに焼き立てのふわふわのパンを提供し、ジェームズの作った料理を配膳するクララの顔は、いつも笑顔で満ち溢れていた。

初めて壁外調査の後の惨劇を知ったあの日、クララは兵士でない自分には何ができるか悩んでいたが、疲弊しきって帰ってくる兵士たちにはできないこと・・・それは、どんな状況でも、無事に帰ってきた兵士たちを笑顔で出迎えることだという結論に至っていた。

仲間を失って悲しいのは、クララよりも現場を目の当たりにした兵士たちのはず。

だからせめて、帰って来れた兵士たちの帰還を喜ぶものも居なくてはと思っていた。

側で一緒に働くジェームズは、クララが振りまく笑顔に眩しさを覚えながら、クララが一つの大きな山を越えたことに安堵していた。





また、誰も言葉にはしなかったが、クララの想いは兵士たちに伝わり、兵士たち皆がクララの笑顔に癒され、それは帰ってくる場所を与えられている気持ちにさえもなっていた。

もはや、クララは調査兵団の母のような存在になっていた。





そんなクララを、遠くからエルヴィンはいつも優しく見守っていた。

最初は、調査兵団に疲れて嫌になってしまわないかが心配で気に掛けていたのだが、次第にその心配もなくなると、エルヴィンもまた、気付けばクララの笑顔に癒されるようになっていた。

そして時には団長として、時には同じ歳の友達として声をかけては、笑い合ったりしていた。

どこにでもある他愛もない風景。

でもそれは、調査兵団では貴重な存在だと、エルヴィンもひっそりと感じていた。






とある日の夜、クララはいつもの中庭に小さな花束を捧げていた。

何故か、クララは相談役としてこの中庭に誘われる事が多い。

あまりひと気のない場所だからか、それとも星が良く見えるからか。

いずれにせよ、調査兵団に来てからの一年間で、この中庭には沢山の兵士たちとの思い出があった。

だからクララは、時間が出来てはこの中庭に花を捧げる事にしていた。





花を捧げ終え、静かに一人黙祷をした後、近くのベンチに座り、星になってしまった兵士たちを想いながら、試作で作ったパンを味見していた。


「こんなところで夜のピクニックかい?」


頭上から突然、落ち着いた、でも少しはにかんだ声が聞こえて、クララはビクッとする。

上を見上げると大柄の男がクララを覗き込んでいる。

声の主はエルヴィンだった。


「びっくりした。
脅かさないでください。」


クララはパンを頬張りながら、こんなに近くに接近されるまで気付かないなんて、どれだけボーッとしていたんだろうと苦笑いする。


「夢中でパンを食べていたから、気付かなかっただけだろう。」


笑いながら、エルヴィンはクララの座るベンチの左側に腰掛けた。






「今日も追悼式か?」


エルヴィンの団長室から、この中庭は微かに見える位置にある。

クララが兵士たちに中庭で色々な相談を受けている事、そして時々花を手向けている事をエルヴィンは知っていた。





クララは悲しそうにはにかんで言った。


「ええ。
先日の壁外調査でディルクが星となってしまったでしょう。
今日は彼を想って。」


一年前、想いを寄せていたハンナを失ってからは、ディルクは大きく成長した兵士となっていた。

落ち着いた行動、素早い判断、どれも新兵とは思えないたたずまいだった。

数ヶ月前には後輩もでき、頼れる兄貴的な存在でもあった。

しかし、一週間前の壁外調査では、後輩を守るため自分を犠牲にし、帰らぬ人となってしまった。

死んだ方が良かったと、一年前にこの場所で泣きじゃくっていたディルクは、立派な兵士として旅立っていった。


「ディルクは、ハンナに想いを伝えられなかったと後悔していました。
今頃、一年前の想いを伝えられてたらいいのだけど・・・」


クララは呟いた。

エルヴィンもクララの話に耳を傾け、夜空に広がる満天の星屑を見ながら頷いていた。






「ところで、エルヴィン団長・・・」


急に名前を呼ばれ、エルヴィンは何事かとクララの方を見る。


「今日時間があったので、パンの試作品を作ってみたんです。
良かったら、感想を聞かせてくれません?」


クララは、籠の中から一つのパンを取り出しては、エルヴィンに差し出した。

緑色の見た事のない色のパンだった。


「パンに、薬草を練り込んでみたんです。
苦味を抑えるのに苦労しました。
もし食べられる味なら、今度の壁外調査のお供にさせて貰おうと思って。」


「それはつまり、毒味というやつか?」


エルヴィンは笑いながら、薬草をパンに練り込むとは、兵士想いのクララらしいなと思い、緑色のパンを一口頬張る。

見た目の緑色からは想像の付かない、ほんのり甘くて優しい味がした。


「美味しいな・・・」


思わずエルヴィンは呟いた。


「ほんと!?良かった!
じゃあ、次の壁外調査では、緑のパンで皆を驚かせようかな。
あ、今のは秘密にしておいてくださいね。」


自分と同じ歳なのに、子供のように無邪気に喜ぶクララが、なんだか可愛らしく見える。

エルヴィンは、照れ隠しに緑色のパンをもう一口頬張っていた。






夜の静けさが心地よい風を運んでくる。





気分が良くなったのか、突然遠くを見つめながら鼻歌を歌いだすクララ。

なんとなく懐かしく感じるその歌を、エルヴィンは聞いたことがあったので、サビのところでエルヴィンもメロディーを重ねてみせた。


「!!!」


驚いた顔でクララはエルヴィンを見る。


「知ってます?この歌」


「ああ、確か学校で初めて貰った教科書に載ってた歌じゃないか?
歌詞までは覚えていないけどな。」


エルヴィンは遠い記憶を巡りながら、記憶の中のページをめくる。


「そうそう!さすが同い年!」


クララは嬉しくなって夢中になって話す。


「でも知ってる?
次の年から教科書が変わって、この歌の記載がなくなったのよ。
好きだったのに、残念。」


思い掛けない共通の話題にクララは舞い上がる。


「あ、そしたら、図工の教科書に載ってたこの手遊びは知ってる?」


クララはエルヴィンの手を取っては、その手を悪戯に叩いたりつねったりして遊び出すので、確かこうやって交わしてポイントを取るゲームだったかな?と、頭をフル回転させながら不器用にクララの遊びに付き合ってみた。


「ああ、思い出してきた。
これ、当時流行ってただろ?」


「そうそう!
・・・あ!負けちゃった!」


クララは楽しそうにエルヴィンにはにかむ。

二人はまるで子供に戻ったかのように、昔話に花を咲かせていた。






「しかし、よくこんな小さな頃のことを覚えているな。
君が言わなければ、私は一生忘れていたよ。」


一息ついた頃、エルヴィンはクララの記憶力に感心する。


「うふふ。
私ね、ずっと先生になるのが夢だったの。
昔から人の面倒見るのが好きで。
よく今の歌も遊びも、近所の子供達にやってみせてたわ。
今思うと、当時からおせっかいおばさんだったのね。
それとほら、子供って可愛いじゃない。」


無邪気に笑いながら言い、少し間を空けると遠い目をして言った。


「そして、いつかお母さんになれたらなって思ってた。」


昔見た小さな夢を思い出しながら、それが叶わなかった現実に、現実の厳しさを実感していた。


「どちらも夢で終わっちゃったけどね。」


少し重くなった空気を和ませるかのように、クララはニカッと笑ってみせた。






「私の父が教師だったよ。」


クララの先生になりたかったという夢に連呼して、エルヴィンは父を思い出していた。


「わぁ!そうなんだ!
エルヴィン団長のリーダー気質は、お父さん譲りなんだね!」


エルヴィンの発言に、クララは目を輝かせる。


「だけど・・・」


「だけど?」


クララは興味深々でエルヴィンの顔を覗き込む。

教師の父は、特異な持論を持っていたために殺された。
しかもその引き金を引いたのは自分。
昔の夢を話しただけのクララに、そこまで重い話をするべきか・・・

少し悩んだ末、やはり言うべきではないと思い、エルヴィンは話題を変える。


「・・・いいや。
それより、さっきのパンをもう一つ頂けるかな?」


「うん、いいですよ。
気に入ってくれて嬉しいわ。
ますます次作るとき気合が入っちゃいそう。」


エルヴィンの話したくなさそうな雰囲気を察し、クララもまたそれに合わせ、カゴから先程の緑のパンを取り出し、満面の笑みでエルヴィンに差し出す。


「ありがとう。」


エルヴィンは、自分が言いかけた話題を追求してこないクララの大人な対応に安堵しながら、クララから緑のパンを受け取った。






「ねぇ、エルヴィン団長?
団長は恋したことありますか?
それとも今、恋してたりしますか?」


少し間を開けた後の突然のクララの質問に、エルヴィンは食べていたパンを喉に詰まらせる。


「ゴホッ、ゴホッ・・・
何を急に、言い出すかと、思ったら・・・
ゴホッ・・・」


苦しくて涙目になる。

クララは、エルヴィンが余りにも驚くので、可笑しくてお腹を抱えて笑い、持っていた自分の水筒を差し出す。


「そこまで驚かなくても・・・」


いつもクールな団長が慌てている姿が可笑しくて、クララは笑いが止まらない。

コツンと、エルヴィンはクララの頭に軽くゲンコツを落とすと、クララの水筒を素直に受け取り、少し申し訳なさそうに一口水を口に含んだ。






水を一口飲んで落ち着きを取り戻したエルヴィンは、すうっとひとつ深呼吸すると、溜め息まじりに話し始めた。


「昔、訓練兵時代に、酒場の女に惚れていた。」


クララは、まさかエルヴィンがすんなりと自分の事を話し出すなんてと少し驚きながら、興味深げに耳を傾けていた。


「一目惚れだった。
可憐で笑顔が眩しい彼女は、辛い訓練兵には心のオアシスでな。
みんなのアイドルだった。
私もその一人で、時間ができては酒場に会いに行っていたよ。」


エルヴィンは、懐かしむように目を細める。


「でも、調査兵団を選んでからは、会いに行くのを止めた。
いつ死ぬか分からない身分で、恋なんて・・・と思ってね。
君から見たらそんな理由で、と思うかもしれないが、私はそんなに器用じゃないからな。」


“えぇ?器用そうに見えるけど〜?”

そう言って茶化そうかと思ったが、ふと横を見るとエルヴィンが思いの外感傷的な顔をしていたので、クララは口を噤んだ。

そして、エルヴィンは少し寂しそうな遠い目で続けた。


「その後彼女は、彼女のために希望兵団を調査兵団から憲兵団へと生き方を変えた、同期と結婚したよ。
正直なところ、その同期が羨ましかった。
自分の人生までもかけて愛せる相手に出会えたんだからな。
私には出来ない選択だ。」


“あぁ、それでそんなに寂しそうな目をしているんだ・・・”

クララは納得していた。






クララは思った。

きっとその彼女とエルヴィンは、本当は相思相愛だったに違いない。

そしてそれは、エルヴィンから諦めた恋なんだと。

そうでないと、そんな切なそうな目をするはずがない。


「・・・そっか。
普段冷徹な団長も、人並みに少年だったんですね。」


エルヴィンが余りにも切ない顔をしていたので、クララは思わず茶化してしまった。


「はは、十年以上も前の話だがな。
今は団長職に猛進しているから、無縁の話だったな。」


“嘘だ、寂しいって言えばいいのに・・・”

クララはそう思いながらも、私だって同じ様なものかと星空を見上げた。

夫を亡くしてもう二年経つが、時々言い様のない寂しさが訪れる時がある。

いつか、この寂しさから開放される時はくるのだろうか。





さあっと、ひんやりとした風がクララとエルヴィンを撫でていた。






「そういう君はどうなんだ?」


エルヴィンは尋ねる。


「え?わたし?」


不意に自分のことを尋ねられたクララは、目をパチクリとさせる。


「あぁ、君のことだよ。
私のことだけ聞いて、自分のことは話さないとは、フェアじゃないな。」


「うふふ。
私のことなんて、聞く価値もないですよ。
幼馴染みの男性と結婚した、住む世界の狭い女の話なんて。」


「そんなことは無いだろう。
嫌々結婚したのか?」


エルヴィンは首をかしげる。


「いいえ。子供の頃から大好きな人でした。
小さな頃から家族のようで、当たり前のようにいつも一緒に居て、当たり前のように結婚して、当たり前のようにパン屋の跡取りになりました。」


「私の一部だった人。
居なくなってしまって、心にぽっかり穴が空いたみたい。
彼を想うと、今自分はひとりぼっちなんだなぁって実感してしまいます。」


クララはふうっと溜め息を吐くと、力無く笑っては夜空を見上げた。


「二年経っても、全然だめ。
ひとりぼっちは気持ちが滅入っちゃうね。」


エルヴィンは、悲しく月明かりに照らされたクララを見つめては、不謹慎ながらもそれを美しいと思ってしまう。

実際、ひとりぼっちだと呟いた彼女は、とても繊細で壊れそうなガラスのようなたたずまいだった。






クララは、そっとエルヴィンの右肩に自分の頭をもたれかけた。

エルヴィンは突然のことに内心驚くが、クララの行動に身を任せていた。


「ごめんなさい、ワガママ言います。
今、エルヴィン団長に想い人がいないのなら、今日少しだけこうさせてください。」


本当は、今日一日クララには言いようのない寂しさが押し寄せていた。





ディルクを助けようと、ハンナは星になってしまった。

ディルクもまた、ハンナを想いながら星になってしまった。

団長にも諦めた恋があった。

自分にも、愛する夫との別れがあった。

行き場のない想いは、一体何処へいくのだろう・・・





クララはそっと目を閉じ、左側からのエルヴィンの体温を感じていた。


“どうか今だけ、こうしていることを許してください”





エルヴィンもまた、自分の恋の話をしたせいか、昔を思い出し人肌恋しくなっていた。

そして、自分の右肩にもたれかかるクララの体温を感じては、そっと右手でクララの肩を抱いた。






どのくらいの時間が経っただろう。

すっかり夜も更けてしまって、辺りはシンと静まり返っていた。





クララとエルヴィンは、ただ無言でそっとお互いの体温を感じ、じっと寄り添っていた。





クララの左側からはエルヴィンの体温。

そして右肩を包む大きな手。

人ってこんなに暖かかっただろうか。

クララは目を瞑り、エルヴィンに身体を預け、心地よい温もりに浸っていた。




エルヴィンの右手を包むクララの肩は、思いの外華奢で繊細だ。

普段、兵団の母のような大きな存在だと思っていたが、腕の中のそれは、一人の女性であることを再認識させられる。

そして、ドキドキとした高揚とは違う、安心感に似たような胸の締め付けが、エルヴィンを襲っていた。

横目でチラリとクララの顔を見てみると、眠ってはいないようだが、目を閉じ物思いにふけっているように見える。

何を考えているだろうか。

胸の内を知りたい気持ちが湧いてくる。

自分もこの歳になるまで様々なことを経験してきたつもりだが、クララもまた自分と同じ歳の分だけ、様々なことを経験してきただろう。

知る由もない長い年月は、クララをどのように育てたのだろうか・・・






流石にもう帰らなきゃなとクララがエルヴィンから離れようとした時、エルヴィンの視線が気になりふと見上げると、エルヴィンが自分を見つめていた。

吸い込まれそうな青くて綺麗な瞳。

どこかで見たことがある気がするが、思い出せない。

でもその力のある瞳は、見覚えがあった。





クララがエルヴィンの瞳に見惚れていると、エルヴィンは静かに目を閉じ、クララの唇にそっと自分の唇を重ね合わせた。





ただそっと触れるだけのキス。





クララは小さく驚きながらも、自分も静かに目を閉じ、エルヴィンのキスを受け入れた。






「明日も早いんだろう?」


何事もなかったかのように、エルヴィンが立ち上がったので、クララもつられて立ち上がる。


「・・・え、えぇ。
もう寝ないといけませんね。」


クララは、今起こったことが気のせいなんじゃないかという錯覚に陥るが、唇にはまだキスの感覚が残っている。

涼しそうな顔をしてるエルヴィンを見て、なんだか自分一人だけがドギマギしてる様な気がして、拍子抜けしていた。





だけど、エルヴィンも本当は胸の鼓動が高鳴っていた。

クララに気付かれたくなくて、平気なふりをしていた。

クララの胸の内を知りたいと思っていたら、クララが自分を見上げるように見つめ、気付けば無意識のうちに口付けしていた。

エルヴィンは、自分で自分の行動に驚いていた。

普段エルヴィンは知性と理性の塊のような男。

本人もそれは重々承知している。

自分の意思に背いて身体が先に動くなんてことは、本人の知る限りでもここ何年もなかったはずだ。

何がそうさせたのだろうか・・・





エルヴィンは冷静を装いながら自分の行動を分析しようとするが、心臓の音がうるさくてうまくいかない。

ひとまず考えるのは後にして、今はこのとっさに立ち上がった状況をなんとかしなくては。


「さっきのパン、美味しかった。
いつもなら壁外調査となれば憂鬱な気持ちになるが、小さな楽しみが増えたよ。
ありがとう。」


そうお礼を言うと、エルヴィンはクララに優しく微笑み、部屋に戻ろうとエスコートする。

でも本音はまだ帰りたくない。

この久しぶりの胸の鼓動の感覚が、たまらなく心地良く感じていた。


「あと・・・」


少し迷った挙句、エルヴィンはクララに言った。


「良かったら、次の毒味係も頼まれよう。」


エルヴィンなりのさりげない次の申し出だった。

それは、帰りたくない自分への、精一杯のいいわけ。


「うん、そしたらお願いするわね。」


クララが二つ返事で言っては屈託無い笑顔で微笑むので、エルヴィンもつられて笑顔になる。





そんな二人の様子を、満天の星屑が優しく見守っていた。




花季 -hanagoyomi-